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486*多崎礼さんの『煌夜祭』を読んで


今年の本屋大賞を受賞した『レーエンデ国物語』の作者、多崎礼さんのデビュー作。やっぱりこの人の書く本は心が掻き立てられる。。。

『煌夜祭』では、冬至の夜に集まった語り部たちが火を囲みながら自分の知っている物語を順番に披露していきます。魔物の話、滅びた国の話、親子や兄弟姉妹の絆の話、身分や立場を超えて惹かれ合う男女の話。そして自らの生い立ちや抱えてきた苦難を言葉にしていきます。

たった一人の愛する人を救うために自らの命を投げうち、国を焼き払い、多くの人の命を奪った罪の意識。死にたくても死ぬことができない「生」の苦しみ。自分は何のために生まれてきたのか。なぜ人と違う力を与えられてしまったのか。自分が何者なのかも分からない。

人との出会いは人生を変える。時には苦痛を与え、暗闇へと突き落とす。しかし時には苦痛を癒し、希望や生きる力を与える。誰かに愛されたい、必要とされたいと思う気持ちは誰もが持っているもの。それが時に誰かの野望に利用され、時に多くの人々を恐怖へと陥れる。自分がいる限り大切な人を傷つけてしまう。自分なんて生まれてこない方が良かった。そんな苦しみから救ってくれるのも、たった一人の出会いだったりする。

私たちは、つい見た目や表面的なもので判断してしまいがちです。自分を「俺」と呼ぶ人を男だと思いこむ。国を滅ぼし、あるいは救った英雄は女であるはずがない。魔物は人間にとって害をもたらす存在。こんなに美しく優しい人が、かつて多くの人の命を奪った魔物であるはずがない。

人間が持つ表と裏の二面性。どちらが本物か偽物かではなく、どちらもその人が持つ本質であり、ふとした時に裏の面が顔を出す。人の中にも魔物が住みついている。魔物の中にも人の心がある。普段は薬でも、使い方を誤れば毒になる。毒だと思われているものでも、うまく使えば薬になる。

「この世界に無駄なものなど何もない。この世界にあるものすべてには、存在する理由がある。」

人は、どこから来て、どこへ向かうのか。何を求め、何を考え、どう行動するのか。誰と出会い、何を語り合い、それをどう生かすのか。

複雑なようで実はシンプルなこと。簡単なようで難しい。それでも、いつか分かる時がくる。

一人では成しえない事、伝えきれないことを、長い時間をかけて脈々と語り継いでいく。松明の火を手渡すように、先人たちから受け継いだ知恵を次の世代に受け渡す。そして何百年も前の人が描いた夢や理想を、後の世の誰かが形にする。

想いを受け継ぐとはこういうことなのだと、本を読み終えて感じました。

『レーエンデ国物語』にも繋がる原点ともいえる物語。
大人のための大河ファンタジー。

私の中にも、物語に飢えた魔物がいるようです(笑)


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