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「北宋書画精華」展(根津美術館):水墨画鑑賞2023年の振り返り、白眉を飾る北宋山水画


はじめに

 昨年は、水墨画の勉強に始まり、水墨画美術展の鑑賞にほぼ注力した年でした。

 もともと「線スケッチ」が表情を大切にする表現方法であり、それは「東洋」の水墨画線描にルーツがあるにも関わらず、現在まで水墨画の鑑賞の仕方がまったく分からないという情けない自分がいました。
 昨年意を決して勉強を始めたのはよいのですが、知識を得るよりも、実物直接見ることを優先したほうが良いと思うようになりました。
 そこで水墨画が出展されている美術展があれば、そのたびごとに訪れ実物直接見ることを決めたのです。

 美術展が来る順に訪問するというスタイルなので、中国水墨画王朝順に観たり、室町期から、安土桃山江戸の順に、日本水墨画の変遷を系統的に見た訳ではありません。

 一見行き当たりばったりのようですが、振り返ってみると、1年の最後の最後に水墨画のまさに”本丸”、北宋山水画を見ることが出来たのです。

 終わってみれば、よかったと思います。以下簡単に昨年を振り返りたいと思います。

2023年水墨画鑑賞の流れ

 もともと私の「水墨画」に対する素朴な疑問は、以下の2点です。

1)中国の山水画は普通(西洋的)の風景画のように鑑賞してはいけないのか? 「気」「老荘思想」「道教」などの中国思想、「詩書画一体」から「詩」を介さなければいけないのか? 「隠逸」の観点は必要か
2)日本の水墨画は中国と何が違うのか? 単なる物まねではないのか? 雪舟はどこがすごいのか? 桃山期以降の水墨画をやまと絵との対比や視点でどのように鑑賞するか? 禅画はどう位置付けたらよいのか? 日本の文人画(南画)は中国の文人画に対してどのように考えたらよいのか・・・

 本家の中国水墨画に対する疑問と、それを受け入れた日本水墨画に対する疑問です。

 以上のような疑問を抱き、昨年は「本北宋書画精華展」を見る前に以下の図に示す二つの美術展水墨画を直接見ました。

図1 「本北宋書画精華展」の前に見た美術展のまとめ

 図1に示すように、最初に見た作品は、日本画家木島櫻谷の風景スケッチ山水画、次に室町時代日本の二人の画家、周文雪舟山水画花鳥画の屏風です。

 水墨画解説書に従えば、1)、2)五代、2) 3)南宋中国の水墨山水画から始め、次に日本の室町の水墨画へ移り、その後桃山江戸および明治以降の日本の水墨画を見るのが通常の順番でしょう。

 ところが、期せずして丁度逆の順番になったのです。しかしそれはむしろ墨画を鑑賞する上でメリットになったように思います。

 鑑賞した結果は、図1の下段に示したように以下になります。

 ●最初に明治の画家、木島櫻谷日本の自然(山)スケッチ櫻谷の「胸中の丘壑」である水墨山水画中国山水画とのに気づいたこと、
 ●次に日本に日本人画家周文室町山水画を、やまと絵と並べて比較し、やまと絵装飾性工芸性に対して、山水画が絵画としての精神性が際立つことに気づいたこと、
 ●さらに雪舟花鳥画を直接見ることで、花鳥画とは何かそして日本中国花鳥画との違いを理解するだけでなく、写実描写工夫と「すだれ効果」を用いた構図の工夫など、雪舟の独自性に気づいた。

 そして2023年も最後近く11月末に「北宋書画精華」展で数少ない北宋時代水墨山水画の作品にまみえることができたのです。

 この「北宋書画精華」展の事は直前までまったく知らなかったので、2023年に見始めた水墨画が、明治(日本)⇒室町(日本)⇒北宋(中国)の順になったのはまるで水墨画ルーツを訪ねるようで不思議な感じがします。

 ともあれ本場中国、しかも北宋水墨画を見た感想を以下に続けます。

特別展「北宋書画精華」展を見て

 さて、本美術展のキャッチ・コピーは、「-きっと伝説になる」です(図2)。

図2 本展チラシ

 一体どなたが考え出したのでしょうか、最初見た時は少々大げさではないかと思いました。
 ところが、根津美術館に近づくと、平日にもかかわらず列をなして人々が入り口に向かって歩いているではありませんか。しかも遠目には分からないのですが、近づくと服の色も日本人と違いますし外国語らしい言葉も聞こえます。

 中に入り理由が分かりました。私の感覚では50%から70%が中国人来場者観光客?)、1割が欧米系の来場者日本人が少ないのです。
 しかも、中国人来場者は単なる旅行者ではないようです。作品を前に時間をかけて同行者といろいろ専門的(のように聞こえる)な内容を話しこんでいます。

 これで分かりました。ああ、北宋優品がこれだけ同時に見ることができるのはめったにないからこそ、中国および欧米系の人々はそれを知って来場したのだなと。まさに「伝説になる」とは大げさでもなんでもなかったのです。
 おそらく、母国では重なる王朝滅亡時の散逸で名品が少ないのでしょう。

 今まで歴史的には日本人が南宋系水墨画好んだため国内に南宋系水墨画が多くあることは知っていましたが、北宋の作品はむしろないと思っていました。ところが清朝消滅するときに、当時の大阪財界人散逸を憂慮して作品を購入し、それを防いだのだと今回初めて知りました。

 それでは、具体的に印象に残った作品を見てみましょう。

山水・花鳥

1)燕文貴《江山楼観図巻》

図3 燕文貴《江山楼観図巻》 北宋 10~11世紀 大阪市立美術館蔵
出典:wikimedia commons, public domain

 のっけから本格的な山水図巻が現れました。1000年も前にこれだけきちんとした風景を描けるのかと感じてしまいます。受ける印象として「緻密」「ゆるがせにしない」「きっちり」「厳しい」という言葉が浮かびます。
 拡大して観るとより分かります。樹木建物人物岩山渓流の描写をご覧ください(図4図5)。

図4 燕文貴《江山楼観図巻》(部分) 樹木、建物、船と人物の描写に注目
出典:wikimedia commons, public domain

 ?)を用いた遠近表現が広大な空間を感じさせるのも印象的です。

図5 燕文貴《江山楼観図巻》(部分) 旅人の群れ、岩肌、樹木、滝と渓流の描写に注目
出典:wikimedia commons, public domain

2)(伝)許道寧《秋山蒲寺図巻》

図6  (伝)許道寧《秋山蒲寺図巻》 北宋 10世紀
出典:曾布川,寛 東方學報 (1980), 52: 451-500、図1および2を引用。
https://core.ac.uk/download/pdf/39199833.pdf 

 最近まで図版を中々見つけることができなかったので、細部の印象はほとんど忘れてしまいました。
 図6に示したように、樹木、特に枝葉の描写が独特で、台北故宮美術館で見た郭煕の「早春図」の厳しい描写を思い起こします。

3)(伝)董源《寒林重汀図》

 きれいな画像で細部を拡大してご覧になりたい方は、下記のURLをクリックしてご覧ください。

http://www.kurokawa-institute.or.jp/files/libs/2547/202203161348533065.jpg

図7 (伝)董源《寒林重汀図》 五代 10世紀
出典 根津美術館プレスリリース

4)李成《喬松平遠図》

 暗くない画像をご覧になりたい方は、下記をご覧ください。

図8 李成《喬松平遠図》 五代~北宋 10世紀
出典:根津美術館プレスリリース

 会場では、3)(伝)董源《寒林重汀図》と、この4)李成《喬松平遠図》が、比較するように並べられていました。共に大きな作品ですが、年月が経ているためと暗めの照明のために、細部はあまりハッキリ見えません。

 前者は江南系山水で後者が華北系山水であるために並列展示したようです。共に奥へ奥へと遠近感が強調されていますが、前者では水の気配が強く、後者では大陸的な乾いた大地で、後年牧谿南宋水墨画を日本人が好んだ理由が分かる気がします。

5)李唐《山水図》

図9 李唐《山水図》 北宋~南宋 12世紀
出典:wikimedia commons, public domain

 どこを切り取っても描写が見事です。山岳の描写もシャープな描写で岩肌抽象画を見ているようです。の描写、樹木の表現、渓流も奥に向かって吸い込まれそう。人物を見ていると、一緒にその中に入り込みたくなります。
 一般化できるのかどうかわかりませんが、五代から100年ほど経てより洗練されているように思います。

6)(伝)趙令穣《秋塘図》

7)《竹塘宿雁図》

図10  《竹塘宿雁図》 北宋 12世紀
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

 小品ですが、拡大して細部を見ると、樹木の描写、水鳥しぐさ・姿勢の描写が素晴らしいと思います。ここまで完成度が高いと後代の人がもはややることがないと思わせるほどです。

8)胡舜臣《送郝玄明使秦書画巻》

 制作は、北宋、宣和4年(1122)になります。
 会場では細部が見れませんでした。上記動画では、細部まで分かりますのより深く味わうことが出来てありがたいです。

 なお、北宋第8代皇帝、徽宗の作品は前期の《猫図》しかみていません。
 今回は水墨山水を中心に見たので、作品を示すだけにします。参考までに、後期展示の《桃鳩図》も示します。

9)(伝)徽宗《猫図》

10)徽宗《桃鳩図》

図11 徽宗《桃鳩図》 北宋 大観元年(1107)
出典:wilipedia, public domain

李公麟

1)李公麟《五馬図巻》

図12 李公麟《五馬図巻》 全図
出典:wikimedia commons, public domain
図13 李公麟《五馬図巻》 部分
出典:wikimedia commons, public domain

 根津美術館の説明によれば、本作品は以前から存在が知られていたが、近年80年ぶりに姿を現し、昔撮影されたモノクロ写真図版からは、李公麟が得意とする白描画だと思われていたのが、じつは彩色されていたことが分かったとのこと。

 次に示すメトロポリタン美術館所蔵の李公麟《孝経図巻》とともに、今回の美術展の目玉となっています。

 白描画については、昨年東京国立博物館やまと絵」展で見た白描絵巻とともに、あらためて記事にするつもりですので、ここではを示すだけにします。

2)李公麟《孝経図巻》

図14 李公麟《孝経図巻》 部分
出典:wikimedia commons, public domain

最後に

 冒頭に述べた様に、昨年水墨画鑑賞の流れで、今回は北宋水墨山水画鑑賞に焦点を当てました。
 中国本国でも数が少ない北宋水墨山水名品を一度に多く見ることが出来ました。確かに「ーきっと伝説になる」と主催者が云うほど滅多にない機会だったのだと思います。

 それでは、一体どのような鑑賞の成果が得られたのか、あるいは最初に述べた二つの疑問に対する答えが得られたのかと問われると「」と言わざるをえません。

 実は現在はとても「鑑賞する」などといえる水準ではありません。正直に言えば、以前は水墨画を見ること自体が苦痛でした。どれを見ても同じですし、名作だといわれてもどこがよいのか、手掛かりすらないのです、当然ながら、中国日本水墨画違い良さもわかりませんでした。

 しかし、1年を通して実物を見続けた結果、描法の違いや時代中国日本との違いなど、少しずつ分かるようになった気がするのです(分かったと言えないのが悲しいですが)
 もし成果というものがあるとするなら、うれしいことに、見ることが苦にならなくなった、いやより積極的には嬉しさや楽しみまで感じるようになったことです。

 この先まだまだ長いですが、引き続き実物を見続けていくことにします。


(参考)2023年に訪れた水墨画鑑賞のための美術展訪問記一覧

1)<木島櫻谷ー山水夢中展>泉屋博古館東京:とにもかくにも写生帖の樹木表現に注目! はからずも「水墨山水」鑑賞の第一歩に(その1)

2)<木島櫻谷ー山水夢中展>泉屋博古館東京:とにもかくにも写生帖の樹木表現に注目! はからずも「水墨山水」鑑賞の第一歩に(その2)

3)東京国立博物館<やまと絵>展:「やまと絵」展なのに「水墨山水」の本質を体得したかも?

4)東京国立博物館<やまと絵>展:おそるべし雪舟!あなたは桃山障壁画の祖か?なぜ樹木・草葉をそこまで突き出して描くのか?

(おしまい)

 このシリーズの前回の記事を下記に示します。


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