「村上隆もののけ京都」展(最終回):トレカおよび原画の意味は?受け入れることはできるのか
(長文になります)
本記事は前回の記事(5)の続きになります。
第5室・もののけ遊戯譚の作品をどう受け取るか?
これまでの記事で紹介した作品は、村上氏が以前制作した現代ART作品と今回の展覧会のための新作でした。第5室では、様子がガラッと変わります。違いの一つは、村上氏が提唱した「スーパーフラット」とは真逆の、3DCG似の作品だったり、陰影法描写によるイラストであることです。二つ目は、それらは現在「カイカイキキ」が販売中のトレーディングカード(トレカ)の原画でもあり、村上氏が、次に目指す現代ART作品群の展示室でもあったのです。
以下例を示します。
以上ご覧いただいたように、目的がトレーディングカードにあることと、いずれも主題がオタク文化のアイテムであること、さらに絵画技法が、これまでご紹介してきた「スーパーフラット」に基づいた作品とはまったく様相が異なっています。
作品はどう見ても、絵画というよりも3DCGで描いたイラストにしか見えません。
さてこれまでの記事は、村上作品の前知識が全くない状態で、会場の作品を直接見て感じた感想を書いてきました。
しかし、企業に就職後はまったく漫画やアニメとは触れて来ず、いまや世界的にも漫画、アニメ、ゲーム、カード、フィギュアなど、日本のオタク文化が一大潮流なのに、今に至るまでそれらに無縁だった私には、第5室の作品は手掛かりすらなく感想の「カ」の字も思い浮かべることができません。
ただその後見た動画の中で、村上隆氏本人はこの第5室の作品、特にフラワーズのトレカの原画(図67)こそ観客に一番見てほしい作品なのだと言っていることを知り、何も書かないままで終わるわけにはいかないと思いました。
そこで、本記事では会場の生の感想ではなく、その後調べた動画でにわか勉強した後の感想を述べることにします。
私が理解した第5室の作品群の意味(にわか勉強のあとで)
以前の記事でも述べましたが、村上隆氏は今年になってご自身のyou tubeチャンネル、「村上隆」と「村上隆ラヂオ」を始めたことを、この記事を書き始めてから知りました。その中で「もののけ京都展」の開催の舞台裏や各作品の背景、見方を作者自身が解説しているので、ある意味では助かりました。(これまで投稿した記事では、前知識なく作品を見た会場での感想を述べた後に、動画を見て村上氏の解説で知ったことを補足する構成にしました)
さて、問題は今回の第5室のトレカの原画作品です。チャンネルを調べたところ、そのものずばり、カード産業に近年参入した経緯を詳しく述べた動画を見つけました(下記)。
なお、本動画の冒頭では、村上氏が考えるアートおよびアートマーケット、すなわちアートのメカニズムについてホワイトボードに描かれた模式図を使って分かりやすく説明していますので、ご関心のある方は、動画をご覧ください。
ここでは、前節に紹介した第5室のカードの原画作品の背景説明に限定して、村上氏の発言を下記に抜き出します。
カード産業という新しいオタク文化のアイテム、用語が突然出てきたので、私も含む従来の芸術、美術の範疇に慣れ親しんだ人にとっては、チンプンカンプンとなります。ましてや、それによってお金が動くとなれば、うさんくさく感じるのも無理はありません。
しかしトレーディングカード制作は一見突飛なことのように見えますが、これまでの村上氏が現代ART作品を制作してきた姿勢にまったくブレがないと私は思います。
なぜなら西洋絵画において、当初絵画は一点物だったのが、木版画、銅版画技術が出現すると、複製絵画が発生し、価格を維持するために枚数を制限して刷ることになります。さらにミュシャやロートレックの時代にはリトグラフ技術によるポスターが出現し、これらは数百枚規模あるいはそれ以上で印刷されることになります。すなわち、複製技術が出現するたびに新しい複製絵画が出現して新たな芸術作品が出現してきた歴史があります。ですから、一見突飛と思われるトレーディングカード(以降、トレカと略称します)ですが、現代においてはそれがポスターや浮世絵版画に相当すると考えると分かりやすいのではないでしょうか。
もちろん村上氏は、現時点で「ワンピースカード」、「ポケモンカード」が芸術作品と同じだとは言っていません。
以上のカードの例に対して、村上氏のカードは、図67の原画をもとに、下記のようになります(クリックすると「108フラワーズ」シリーズのカードがご覧いただけます。)
前二者に比べて、村上カードがはたして芸術的に優れているのかと問われても、ぱっと見では分かりません。
しかし、これらのカード原画一枚に対し、別の動画でアイデア創出の苦労、絵として完成させるまでの試行錯誤と膨大な時間について制作過程を語っており、図67の全ての作品を作るのがどれだけ大変だったかという内容を聞くと、村上氏のカードにかける意気込みは伝わります。
いずれにせよ、ロートレックやミュシャのポスターや、歌麿、写楽、北斎、広重など江戸時代では安価な商品に過ぎなかった浮世絵版画も今日芸術作品とされているのですから、トレカも形は違っても類似の商品と考えると将来は芸術作品とみなされる可能性は否定できません。
もしポスターや浮世絵版画と大きく異なるところがあるとすれば、現代資本主義のマーケティング戦略に従って、稀少カードを意識的に作り、消費者のギャンブル性を利用していることです。それはさらにセカンダリーマーケットでの高騰も必然的に引き起こします。
こういったところが、日本国内で反発や嫌悪感を買う原因かもしれません。
しかし、日本国内からの批判に対する村上隆氏の一連の発言を見る限り、今に至るまで作品制作の姿勢は一貫しています。
しかも下に示す現代ART作家としての自分自身や作品の位置づけを客観的に把握している発言を聞くと、何の本質的な理解もなくトレカの原画作品の感想を述べても皮相な見方にしかならないので、村上氏の背景説明を紹介するにとどめたいと思います。
以上のように、村上氏はこれまでの西欧絵画、日本絵画の歴史、文脈だけでなく、今後の時代の流れも押さえて発言していることが分かります。ですから、トレカへの進出も安易に思いついたわけではないと思います。
さらに、私がハッと思ったのは次の内容です(確か、文化庁長官との対談の中だったと思います)。
最後の漫画家の遺族に関する一行は、村上氏一流の皮肉です。しかしこれは日本のアートとお金との関係に関する制度の本質的な問題点を指摘していると思います。
実際、今回の「もののけ京都」展もトレカなしには開催できなかったというのです。なぜなら、次のような日本の美術館の制度的な制約があるからです。
以上日本の制度的制約を指摘した後、結論として京都市と協同し、「ふるさと納税」を利用して資金調達にこぎつけたのですが、意図したかどうか分かりませんが、結果的に日本の美術館の制度に対する痛烈な皮肉がここでも込められたのではないでしょうか。
ちなみに返礼品は、ふるさと納税限定「COLLECTIBLE TRADING CARD」付き入場券で、寄付金額に応じて入場券の枚数が変わります。
面白いのは寄付金1億円以上では、京都市内在住(通学)の高校生や大学生を個展に無料招待できる特典が付いていることです。これにより、誰かの寄付により、高校生や大学生の入場料を無償化し芸術に触れる機会を提供することが可能になったとのこと。
参考までに、返礼品のカードのリストを以下に示します。展示作品がカードになっています。
以上、トレカの原画作品の背景を紹介しました。第5室の次は最終室で新作、旧作が展示されていました。ここでは、画像の紹介にとどめます
最終室の作品紹介
さいごに
本記事で「村上隆もののけ京都」展の訪問記事は最後になります。
第一回の記事で述べた様に、もともとは、この展覧会のチラシに載った新作《金色の空の夏のお花畑》を見て、お花の描写が長谷川久蔵の《桜図》と同じであることに気づき、現代ARTにまで日本美術の伝統が続いているのに興味を持ったのが訪問のきっかけです。
ですから、そのことを確認することが目的で、こんなに回数を重ねるとは思いませんでした。ところが村上作品を見るうちに、ここ数年にわたって私がnoteの記事で書いてきた日本美術の様々な諸問題が各展示作品に含まれていることが分かり、はからずも感想が長くなってしまいました。
その諸問題の中でも特に以下の二つに対し大いに考えさせられました。
その過程で現代ARTを理解するよりも江戸絵画の多様性とすばらしさを再確認しました。
特に江戸時代の偉大な点は、封建時代にも関わらず、権力者や知的エリート層向けだけでなく、大衆、市民に向けて世界に先駆けて商業美術を花開かせたからではないかと思うのです(もし世界で対抗できるものがあるとすればオランダの絵画でしょうか)。
また今回のトレカの原画の作品は予想外であり、新しいテクノロジーと複製絵画、資本主義におけるアートメカニズムと商業美術に対する現代的視点があることを知ることができました。
今回の個展で、現代ARTの一端に触れることが出来たのですが、私自身は江戸絵画に目を向けていこうと思います。
(おしまい)
これまでの記事を下記に示します。