改めて、秋田と、秋田の課題について考えてみて。
最近、『「課題」は背負わされてきたのではないか?』というnoteを書いた。
どんなことを書いたのかざっくり説明すると、秋田で生まれたぼくは、生まれて物心がついた時にはすでに「課題」みたいなものがすぐ近くにあった。
テレビでも学校でも「秋田の〇〇はワースト1位だって!」みたいなことが当たり前に言われていて、知らず知らずに「へぇ秋田って大変な県なんだ」と思い、その秋田へのイメージが自分のどっかに染み込んでいた。
だから県外から勢いよく来て秋田を見て、「秋田は課題がたくさん。これはチャンスじゃん!」みたいなノリには正直あんまり乗り切れない自分がいて、ぼくからすると「課題」は新鮮なものでも、チャンスでもなく、当たり前にあるもの。
当たり前化した「課題」にどう向き合うのか
「課題」はそもそも、自分たちで背負ったんではなくて、背負われてきたような気がする、、、みたいなことをツラツラ書いた。(とてもザックリなので、時間がある人はぜひ読んでみてください)
今日はそのちょっと続きで「課題」の話。
「秋田は課題が多い県」と染み込まされてきたぼくは、そうとわかっておきながら、さっきふと「秋田の課題ってじゃあなんだろう?」と考えたが、あまり鮮明には出てこない。
人口減少?少子高齢化?でもそれって具体的にはどんなこと…?
あとは農業とか、第一次産業とか、中小企業、政治も?
観光も勢いないのかな。若い人はいないけど、それの何が課題なんだろう…。
色々と課題らしきキーワードは出てくるけど、何一つ具体的に「課題」を捉えられていない自分がいることも自覚する。そこにあるのは「なんか…ダメだよね、秋田って」という感じ。
ぼくは、この「なんか」に、自分たちのなかに、これまで埋め込まれてきた「秋田」みたいなものがあって、それが「秋田は大変だ」「秋田は面白くない」と、どこか諦めをつけていたんじゃないかと思う。
きっと秋田で生まれて、これからも秋田に関わっていくぼくらは、まず、この「なんか」に向き合わないといけないと思う。
「課題」なら課題にちゃんと向き合う。一つでいいから、秋田の課題を詳しく言えるようになる。そんでもって、「課題だなあ」と思うだけではなくて、それにおもしろおかしく関わってみる。覗いてみる。ワクワクしてみる。
そんなところから始めてみると良いかなと思う。
秋田に来て思ったこと。たくさんあるけど、この前東京の方に秋田を案内した時にハッとすることがあった。その方に「いや、鷲谷くん。鷲谷くん前から秋田は全然ダメっすよ!って言ってたけど、秋田おもろいやん。全然色々あるやん。」と言われた。
そこで「秋田を面白ろがれていないのは自分だよな」とふと思う。
こんなに「福祉は面白いぞ!」とか言っているくせに、秋田にはちょっと諦めを持っていた、のかもしれない。
でも、そうやって外からの意見や、外から刺激を受けて、ハッとさせられる時がある。まあこれは秋田に限らず、色々なことに言えると思うけど…。
ぼくは、今秋田にいて、秋田で暮らしている。
ここからもう一度ぼくなりの「秋田」を考えて、向き合って、面白がってみたいと思う。そんなことを急に思ったので、つらつら書いてみました。
今年も残り少し、気を抜かず、雪道にも気をつけて、日々を過ごしていこうと思います。