付き合わない方が良い人間
本日は「付き合わない方が良い人間」というテーマでお話しします。
最近、このテーマでバズっている動画が多いので、僕もこのテーマでお話してみようかなと思いました。
難しいですね。どういう人と付き合うべきじゃないのかというのは難しいし、倫理的なことも問われるし、テーマ自体はアグレッシブというか良くないテーマです。
ただ偽善的なことを話しても皆さんの心に響かないと思いますし、治療的でもないと思うので色々お話しようと思います。
◾️色々な人がいる
人間というのは色々な人がいます。色々な人がいるんですよ。多様なんですよね。理解できないほど多様です。言葉で通じ合えないほど多様なんですよね。
僕も扱えるというか、一緒にいられる組み合わせのパターンというのは限界があるし、全ての人とは付き合えないです。
自分の苦手な組み合わせ、自分と価値観が合わない人と喋ってると、認知不協和という形でイライラするんです。
予想外のことを言われるので、相手の価値観を一回飲み込んだり、吸収したり理解したり、そういう作業が無意識的ないし意識的に必要となるので、認知不協和を起こしてイライラしてしまいます。
感情的になっているなと自覚しつつ、それを抑え込む必要もあるので、抑え込むのも疲れるし、かといってそれでイライラして表に出すとやはり嫌な気持ちになってしまうし、後から自分も反省したり、自分のことを責めますから、やはり多様性というのもほどほどに、というのはやはり仕方ないんだなと思います。
もちろんインクルージョンしていって色々な人と付き合うことは大事なんだけれど、こういう付き合えない弱さというのも僕らは抱えてるのは事実です。
僕らは精神科医なので、色々な患者さんと会う必要があるんだけれど、色々な人と会わなければいけないし、会わなければいけないというか会うのが仕事ですし、それが生きがいではありますけど、そもそも皆さんの人生は何ですか、ということです。
何のために生きるの?何のための仕事なの?どういう人生を送りたいの?
あなたにとって価値がある人生、あなたにとって価値のある正しさ、真実、美徳というのは何なの?
美しい人間の在り方は何なの?
命をあなたはどういう風に使いたいの?
どんな使命を人生が与えているの?
そういうことなんですよね。
自分と他人をしっかり区別して、相手に引きずられないようにしつつ、自分ができることをやる、自分ができる範囲の中で相手を助けていく、これが大事なんだろうなとは思いますね。
ただそれだけと言えばそれだけなんですけど、付き合わない方がいい人間というのはもちろんいないので、ただ自分の生きる意味に合わせて付き合う人間というのは、全ての人とは付き合えないし、全ての人とは仲良くできないので、限定されるんだろうなとは思います。
◾️️臨床上よくあること
臨床上よくあることと言えば、自閉症スペクトラム症(ASDっぽい人)とHSP(敏感な人、繊細な人)は相性がめちゃくちゃ悪いです。
僕もASD寄りなんでわかりますけど、ストレートに言うんですよ、ASDっぽい人は。
対してHSPの人はオブラートに包むんですよ。
オブラートに包んで暗黙知も使いながら、文化や様々なもの、無言のコミュニケーショも駆使して丁寧にオブラートに包みながら言うんです。
対してASDの人は、そんな意味ないやんけとパパッと言ってしまうので、もう全然相性悪いんですね。ぶつかってしまう。
ASDの人から見ると、HSPの人は何を言ってるかよくわかんない。
オブラートに包みすぎてよくわからんということになるし、HSPの人から見るとASDの人はもうガンガン来るので、意地悪に聞こえるし傷つくし、本当に両極端だったりするので、ここはもう本当に水と油という感じがします。
もちろん100%ASDの人もいなければ、100%HSPの人もいないので、程度がありますから、全く付き合えないということではないのですが、でも基本は相性が悪いという感じです。
相性が悪いとわかった上で付き合うと、案外違いを楽しめたりもするので、知識として知ってもらうといいかなと思います。
◾️転移、投影の対象になる
感情に支配されている人たちと付き合うのは結構疲れます。大変です。
それはなぜかというと、転移、投影の対象となってしまうからですね。
彼らの無意識の影響を受けるんですよ。
感情的な人というのは退行したりすることがあるので、そういう状況だと、過去のトラウマの対象になりがちです。
自分は悪くないのに悪いことをしたと言われたりするわけです。
それはなぜかというと、彼らの記憶の中にある悪いこと、悪いことをされた記憶と、目の前の人間がグチャグチャに混ざってしまうんです。
僕らは世界を客観的に見てるわけじゃなくて、過去の記憶、知識、そういうものを使って今の現在を見ているので、記憶と現実ってごちゃごちゃになりやすいんです。
ごちゃごちゃになってしまった結果、感情に支配されているときに、悪くないのに悪者扱いされたりするので、こういうのは疲れるだろうなと思います。
だから論理的かつ倫理的で感情に支配されにくい人と付き合う方が楽は楽ですね。じゃあ論理的じゃなくて倫理的でもなくて感情的な人と付き合ってはいけないのかというと、それも何か違うんじゃないかなと思います。
◾️️僕らも弱い人間だから
僕は最近「チーム友達」を聴いてますけど、リミックスでね、「俺の友達は暴行したり薬で捕まったり」とか言ってました。
お金取って逃げたり、でもそれも友達なんだ、という歌詞というのは心強いというか、ラップという感じがしていいですよね。
すごくべったり付き合わなければいけないかというと、そういうわけじゃないんです。鎌倉時代に親鸞というお坊さんがいて、悪人正機説を唱えたんです。
悪人こそ仏は救ってくれるんだよ、ということを言ったんですね。
仏というのは万能なので、全ての人を救ってくれる。だから悪い人であっても、改心しなくても救ってくれるんだよ、ということを言ったわけです。
倫理的になったら救われるわけじゃないんだということを言いました。
これはよくわかるようでわかりにくい概念だと思いますけど、でも頭の隅にこれを入れておくと、どこかで腑に落ちる時が来ると思うので入れてみてください。
仏はこうなんだな、と。
でも僕らは弱いんだよね。
僕らも弱い人間だから、仏のようにはできないよな、ということなんです。
僕も殺人予告や口コミで「1」を付けられたり、コメントで悪評がつけられたり、動画を見てないのにタイトルで文句言う人とか、色々いてですね、ブロックしたり削除するんですけど、でもそういうことを本当はしていいのかと悩んだことがありました。
医者になりたてのときは結構悩みました。
こういう人たちも僕らは助けていく必要があるし、自分たちの仕事なんじゃないか、と。
患者さんからも言われるんですよね。
見捨てるんですか?
迷惑な患者を益田は見捨てるんですか?
と言うことを言われたりしましたけど、それで悩んだりはしたんですけど、でも結論を言うと、僕らも弱い人間なんです。
だから全ての患者さんを救えるわけじゃないんですよ、医師といえども。
どんな医師でもそうですよね。できないことはできないって言ってもいいし、早い段階で言った方がいいんですよね、抱え込みすぎず。
治療のどこかのネットワークに引っかかってればいいんです。
「あなたしかいないの」と言われたときにはもうダメなんですよ。
あなたしかいないじゃなくて、他の人ともやる。僕だけを信用しちゃダメなんだよということを言ってネットワークに引っかけてあげる、どこかのネットワークに引っかかっていればいいんですよ、治療は続けることができるので。
僕だけで治すわけじゃなくて、患者さんは転院も繰り返しながら全体で良くなっていくんです。
人生全体、社会全体の中で良くなっていくので、自分が全部を背負う必要はないんです。
だけど自分しかいないと思うと、共依存関係になって、相手のわがままを許したりして、どんどんドロドロになっていくんです。
共依存というのは怖いですよ。
自己犠牲的に相手を助けようとする。
そうすると今度は患者さんが良くなることを阻止するんです。
自己犠牲をした過去がもったいなくなるわけですよ。
患者さんが良くなるときに必要以上にやると、俺はここまで頑張ったのにもう何も残らないのか、みたいな、お前はいなくなるのか、みたいな。
患者さんにかけた時間、他のドクターは別のことをしたり、研究したり、バイトに行ったり色々なことをやったのに、俺は何も得てないやんか、だから良くならないでくれ、と思うわけです。
これを共依存と言ったりするんですが、そういう風になってしまうので、結局、無意識的にも患者の治療を自立すること、良くなっていくことを避けちゃうんです。
だから良くない。
たとえ嫌なことがあったとしても、やはりルールの中でやるし、次のドクターが困りますからね、その先生だけが優しくしてくれたら。
益田はよく5分診療だとか言うけど、私の先生は30分診てくれますと言う人がいますよね、タダで診てくれるんですよと言う人、1時間診てくれますよと言う人もいますけど、それは他の患者さんから見れば依怙贔屓なわけだし、僕はあんまりそういうのが好きじゃないです。
もちろん状況によってはそういうことが必要なこともありますけど、あまりフェアじゃないやり方というのは僕は好きじゃないです。
そのドクターが働いてない分、他のドクターが稼いでたりしますからね。
他のドクターがやってたりするので、あんまり、という感じです。
そういうコメントは他の患者さんから見ると、私は主治医から愛されてないのかな、私の主治医というのはやる気がない人なのかな、と変な勘違いをすることもあったりします。
僕は治療というのは平等でなければいけないとやはり基本的には思っているんです。
医療というのは平等でなければいけない、というか、命の価値というのは皆平等なので、そういうところで平等でない治療というのが行われることは原則好きではないですね。
そう思います。
いつもこの話をすると、絶対コメント欄荒れますけど、でも言いますね、他のドクターが困りますから。
まぁいいんですよ、調子が悪い時はいいんですよ。
そういうことがあってもいいんだけど、それが漫然と続いて共依存関係になるのは良くないということです。
◾️組み合わせの問題
あとは組み合わせの問題です。
精神医学の後半戦は、組み合わせの問題をどう対処するかということになります。
前半戦は自己理解及びセルフケアなんです。
後半戦は人間が2人以上集まることによって起きる変化だったり、問題だったり、その時の対応だったり、無意識の葛藤を理解するということなんです。
組み合わせは得意な組み合わせと苦手な組み合わせがありますから、得意な組み合わせを大事にしつつ、苦手な組み合わせを減らしつつ、でも苦手な組み合わせの時にもそこまで壊滅的にならないということを目指していくというのが、人間としてあるべき姿というか、治療の発展のさせ方かなと思います。
◾️集団の狂気
とは言っても、皆と付き合えというわけじゃなくて、集団の狂気というものも起きます。
色々なニュースを見ていてわかると思いますけど、人間一人一人は問題ないのにも関わらず集団になると変なことしていることはあるわけです。
例えば旧ナチスドイツとか旧日本軍とかそうですよね。
愚かな行動をとってしまう時があるわけです。
企業でもありますよね、モラルを無視したようなこと。
小さな不正がだんだん歴史的に積もっていって、大きな不正を常識のように繰り返すような集団になってくることってあるわけです。
そういうことってありますよ。いじめだって何だってあるんですけど、そういうときに、じゃあどうしたらいいのかというと、付き合わない方がいいですよね。
逃げ出した方がいいわけです。
集団の狂気というものは起きます。
それは公務員だから絶対起きないとか、大企業だから起きないとか、そんなことないです。起きますからね。
それは、でも誰も気付けていないんですよ。
歴史が証明することはあっても、その最中にいるとなかなか気付けないので、家族や医師、友達から「あなたのとこちょっと変じゃない?」と言われることが続いたら、これをちょっと考えてみて、付き合わない、逃げるということも検討するのはとても大事です。
これは難しいです。ニュースを見ていると、色々な集団の狂気ってあるじゃないですか。芸能ニュースを見ていても。
それは外から見てると明らかに変なんだけれど、中にいると気付けなかったりするので、これはそういうものなので理解してください。
ということで今回は、付き合わない方がいい人間、というテーマで色々お話しました。
◾️本日の宿題
今日の宿題は、自分が思う苦手なタイプの人、あとこの集団ですね、こういう集団の狂気ってあったよね、それは自分の周りにあったことでもいいし、ニュースの問題でもいいし、色々書いたり考えてもらうと書いてもらうと、ハッと気付けていいのかなと思います。
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