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発達障害は過剰診断か?

本日は「発達障害は過剰診断か?」というテーマでお話しします。

これは色々な専門家も混乱しているし、世間の人も混乱しているし、雑誌、メディアでもよく質問されたりする話題で、みんな混乱していて、どういうことなんだろうということを思っているみたいです。


◾️頭脳労働が中心になってきている

簡単に言うと、基本的には頭脳労働が中心になってきているんです。

日本も、今の上の世代、僕の上のおじいちゃん世代は製造業が中心でした。

農業から製造業中心の国となり、トヨタとか、だんだん製造業も町工場のようなものからトヨタのような大企業、大きい車をみんなで作っていくという形に変わっていく。

それがだんだん製造業が中心の国から、今は世界の中心産業はIT、金融に移ってますので、ITの世界になってきている。

製造業もどんどん国外に出てしまっているのが今の日本でもあるし、世界はだんだんそうなってきているんです、先進国を中心に。

頭脳労働が社会の中心となってます。

ITで何かを作る、金融のことを考える、マーケティングをしてどうやってモノを売るかを考える。

そういうものが労働の中心、社会の中心となってるんです。

それに伴って家族体系も変わったり、もうちょっと自由が利くようになってきているので、豊かさに伴って多様化している。

豊かになるということが多様化していくということなので、多様化していくと、良いこともあるけど悪いこともあるということです。

何でもできるんですけど、できるためにはお金以上に知的能力というか、その人が持ってる知識、頭脳の力に左右されるので、そこへの期待が高まるという感じです。

頭脳労働が中心じゃない時は信仰の時代、神様を信仰する時代であれば血筋が大事だし。

製造業の時代、大きい工場を持ってる、そういうことだと、先祖代々+大きい工場を持っている、そういうところだと家族の力とお金ですよね。

お金がないとそういうのはできないですから。今は割とお金がなくても人をどうマネージメントするか、工夫次第でお金も借り入れられるし、社長になれちゃうわけですね、IT企業の社長みたいに。

だからやはり頭脳労働と言うのかな、知的能力が高い人が得する社会になってしまってるということです。

だから期待が高まってるんですよ。

この人はどうなんだろう、できるのかできないのか。

家柄が良い人を重視しないんです、今は。

️◾️知的能力

岡田斗司夫さんは良い人戦略、評価経済と言ってますけど、そういう側面もあると思いますけど、精神科医目線だと、頭脳、知的能力だなと僕は思います。

AIの時代だからといって、それはあんまり変わんないんじゃないかなという風に個人的に思います。

やはり患者さんでそういう苦労を見てると、本当にそう思います。

上位層がどうなってるかというのは特に知らないんですけど、でもその瀬戸際ではすごく困ってるんです。

人口の10%弱の知的能力の部分的な欠如、低下、凸凹、発達障害の人やグレーを含めて困ってるし。

あと高すぎることですね。

高すぎることで足を引っ張っているギフテッドのような人、メンサのような人たちも結構苦しんでいるし。

あと人口の15%弱の境界知能の人達ですよね。

全体的に低い感じの、IQだと85以下の人達も困っている。

70以下だと障害認定されるんですけど、70よりは高くて85ぐらい。

どこへ行っても何となくちょっと、言葉悪いですけど、馬鹿扱いされてる人たちというのが結構病みやすいです。

人口の1~2割の人たち、合わせると1~2割、合併していることもあるので1~2割の人たちが注目されたり、不安があったりしているというのが背景にあるのかなと思います。

彼らが欠点ばかりかというと、そういうことではなくて、長所もあるんです。

他の分野では才能があったり、絵が上手かったり。

うちもリョーハムさんに風を読む力があったり。

他に能力があるんだけど、そういう才能は評価されにくいんです。

僕なんて運動神経悪いし、リズム感ないし、ダンス覚えるの下手だし。

でも困らないんですよ。

そこの欠点はほとんど無視することができているので、小学校の時や自衛隊の時は困りましたけど、今こうやってYouTubeを撮ったり仕事してる分には、そこに対する劣等感を感じることが日々ないですから。

もし逆だと思うとすごく恐ろしいなという気がしてしまいますけど。

恐ろしい思いを皆さんされてるんだろうなと思いつつ、どうにかしてあげたいと思うんですけど、そういう社会だということです。

現実的に、会社や学校でのパフォーマンスで問題が起きていたり、ちゃんと課題提出ができなかったり、一部の問題があることで他の長所が評価されにくかったり、一部の欠点でその人の人格まで否定されてしまうようなことが起きることがあるし。

家族友人等の間でのコミュニケーションが難しかったり、コミュ障みたいな形で孤立、疎外されやすいというのがあったりします。

40~50代の独身の人も増えてますし。

これは結構深刻というか、昔だったら無口な人だなという形で家族の仲間として取り入れられてたのが、真面目にコツコツやる人だな、仕事を淡々とする人だなで済んでいたのですが、そういうものが済まなくなってるという社会変化があって、そこで困っている人たちというものがいる、と。

その名付け先として、境界知能、発達障害、発達障害グレーゾーンがあるということです。

僕らは、この頭脳労働中心社会において、知的能力というものがどういうものかというのがわからないんだよね、まだ。

わからなくて扱いかねているというか、そういうものはあるというのは昔からわかっていたけれども、それが僕らの関心の中心になることがなかった。

だから困ってるんだよね。

扱いかねてるというか。

古い世代は甘えだ、過剰だと言って無視をしたいという欲望があるし、若い世代は私もADHDだと言って自称ADHDみたいな形で雑な理解をし、それで雑な態度をとってしまう。

その結果、誰かに対して差別偏見を生んでしまうこともあるということです。

どうしたらいいのか。

扱いかねている様子なんです。

️◾️まだ混乱の中にある

正解は何かというと、正しく理解して、今困っている人たちを正しく治療していくということ。

一個一個治療していくという、その中で具体的な問題を解決していく中で、世の中が変化もしつつ、正しく理解していく中で具体的な問題を片付けていくと、だんだん抽象化された概念が出てくるわけです。

そういう抽象化された概念が出てくるまで時間を待つしかないし、その抽象化された概念を生み出す天才が生まれてくることを待った方がいいのかもしれないということになります。

精神科は結構ムズイんです。

例えば個人の自由、自己決定権というものはすごく大事なんですけど、患者さんは社会から疎外されたり、傷付けられた分、個人の自由だ、自分の意思をもうちょっと尊重してくれと言うんだけど、一方で福祉の対象でもあるので、国やそういうものから強制されないといけないこともあるんです、病気でもあるわけだし。

病気を犯罪だとは言わないですけど、やはりある種の問題を産み得るものでもあるんですよ、精神の病というのは。

だからどうしても国家などそういうもの、行政の管理される対象になりやすいんです。

それが悪いのかというと、別に僕は昔自衛隊にいたんですけど、寮生活をしていて、嫌だったけど、そんなに嫌じゃなかったというか、楽しかったところもあったんで、嫌じゃないんだけれども、嫌な人たちもいるだろうなとは思います。

別に僕は医者だからいいだろうとかではなくて、周りも皆医学部なんで、そういう中では別に僕の長所なんかもうなくなってしまうわけです。

埋もれてしまうので。

そういう中で自分の長所は何かと模索していたわけだから、皆さんと一緒ですよ。

何もない人、むしろ欠点が目立つ人間だったんですけど、それでも寮生活はそれなりに楽しかったんですけど、それは価値観の問題というか、これまでの積み重ねなのかもしれないですけど、あります。でも資本主義の社会というのは貧困と格差を生むんですけど、この個人の自由、個人主義、自己決定と相性が良くて、何か矛盾するんです。

この矛盾がすごい難しいというか、どういうバランスでこの共同体主義と個人の自由や個人の意志を尊重するのかというのは難しいなと思います。

障害じゃなくて、もっと個人のものだろうと。

個人の問題だから障害として認定するんじゃなくて、個人の自助努力に任せた方がいいんじゃないかというのが資本主義の立場です。

だけど僕らは、障害と言われる本当に病気の重い人だけを救っていると、残りの10%の2%だけを救って、残りの8%は軽いんだから、自分で頑張れというのは酷じゃないかとも思うんです。

でも、その8%を障害として積極的に国が管理していくのがいいのかと言われたら、うーんと思います。

ここで言う管理というのは、ガチガチに管理するということじゃないですよ。

福祉や医療の対象にするということも含めての管理ですからね。

難しいね。

よく思いますね。

昔はどうしてたんだろうと思うけど、神様、宗教があった時代なんです。

宗教があった時代は、才能ある人、力ある人、お金を持った人がやはり助けていかなければいけないというものがあったし。

神なき後に国家の時代が来て、民族至上主義の時代が来て、同じ日本人だから、同じ日本国家の人だから助け合おうということになります。

でも今はその国家や民族という概念も少しずつ薄れてきていて、国際化してるし、多様性を受け入れるという時代の中、じゃあどのような形でお金や資本主義に負けず、人を救うべきなのかと考えていかなければいけないですね。

岡田斗司夫の話をちょっとしてしまってますけど、評価経済だから不幸な人を助ければ「いいね!」を押してもらえるから、皆助けるようになるんじゃないか、そういう言い方もしてましたけど、でもそんなことは、不都合なものをみんな見たくないので、実際に僕ら精神科医YouTuberが、YouTube業界の中で中心に来ているかというとそんなこともないわけで、やはり無視されてしまうところはどうしてもあると思いますから、それじゃ解決できないでしょう、と。

だから、ここら辺はすごく扱いかねているし、今はまだ混乱の中にあるんだろうなという風に僕は思っています。

ということですね。

どういうことですかと言われても、まだまだ人類は混乱の中にいます、としか答えようがない。

だけど、具体的な問題というのはちらほらあるので、それを一個一個解決してる中で、抽象化された何かというものがそのうち見つかるんじゃないかなと思っています。

ということになるのかなと思います。

はい。

ということで、今回は、発達障害は過剰診断か?というテーマでお話ししました。

◾️本日の宿題

今回の宿題は、皆さんが過剰か過剰じゃないかということをちょっと考えてもらえたらなと思います。

皆さんなりに考えていただいて、コメント欄に残してもらえると助かります。

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