「お金に換えられないモノ」の結論の出ない話5

小学校の総合学習の取材から

私は青森の伝統刺し子であるこぎん刺しや菱刺しで活動する人たちをたまに取材して、koginbankというサイトで紹介している。

手芸好きな人なら、こぎん刺しを一度は経験したとか、やってみたいと思っている人は結構いるかもしれない。民藝好きな人もこぎん刺しという言葉は聞いたことがあるかもしれない。知る人ぞ知る存在ではあるが、国外にもファンは多い。そんな、こぎん刺しを3年前に横浜の小学生が総合学習で深めた学習成果が多岐にわたりとても興味深いものだった。

青森出身者なら、学校でこぎん刺しを習ったことがある人は結構いると思う。大抵は、家庭科でこぎん刺しの作品を作りに留まるのではないだろうか。私もそうだった。だからこそ、こぎん刺しという課題でいろんな活動に広げた彼らの発想と行動力にはとても驚いた。


成長の結晶♦プレゼント大作戦

彼らのこの総合学習の中で、プレゼント大作戦というのがある。

こぎん刺しに慣れてきたタイミングで、家族や大切な人にこぎん刺しを作って贈るのだ。贈る相手がどんな物だったら喜んでくれるか、相手をよく観察して考えて作っていた。これ、自分がプレゼントされる母親だったら、死ぬときに棺桶に入れてほしいくらい大事な宝物にしちゃうと思った。正にお金じゃ買えない、子供の成長が詰まったプレゼント。

しかし、これもまた事情を知らない第3者にしてみれば、まったく価値のないものになる。


お金に変えられないというのは、目に見えない当事者の思いが乗っているからなんだな。これ以外にもあるだろうか。。。

例えば、もう技術が無くなり、作ることができなくなった工芸品は唯一無二だからおカネに変えられない。でも、唯一無二→希少と判断する人の思いがそうさせていると思うのだが、どうなんだろう。。。?


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