【「死」とは何か】私たちが「人間はいつか死ぬ」ということを信じていない、たった1つの理由
この企画では「『死』とは何か」という本の内容を要約しつつ、自分の考えをまとめています。
今回は「誰もが皆、死ぬことを本気で信じていない」というテーマについて書いていきます。
結論
筆者と自分の結論は近いですが、異なるものでした。
筆者は
死ぬことを信じていない可能性はある。
自分は
私たちは、死ぬことを信じたくないために信じない。
という考えです。
「死を信じない」に関する2つの理由
「『死』とは何か」で紹介されていたのは以下の2つです。
①死んでいる自分を想像できないから
➁自分の体がいつか死ぬとは本当に信じられないから
①に関しては第三者の視点で自分がいない世界を想像できるため、否定できます。
➁に関して「頭では分かっているけれど信じきれない」という可能性はあると筆者は考えています。
以下ではこの➁に関して説明していきます。
死と卒業は似ている(ここから自分の考え)
何か死に似ているものはないかと考えたとき、"卒業"を思い出しました。
これらの共通点は以下の2つです。
必ず来るもの
来ると信じられないもの
「どちらも必ず来るもの」というのは納得できると思います。人は生きていれば必ず死にますし、学校に入学すれば必ず卒業(もしくは退学)します。
以下で「来ると信じられないもの」という理由に関して説明していきます。
信じているけれども信じられない
両者は一見矛盾しています。確かに私たちはいつか死ぬということを知っています。
しかし筆者と同じで「頭では理解しているが信じきれない」というのが自分の考えです。
ここには「死ぬことを信じたくない」という気持ちがあると自分は考えています。
死ぬことを信じたくない
「信じたくないから信じない」と書くと子どもっぽいかもしれませんが、信じない理由としては成立すると思います。
認知的不協和
人間には認知的不協和という心理があります。
認知的不協和→自分の考えと行動に矛盾が生じたとき、矛盾を解消するためにどちらかを変えてしまうこと
例えばタバコをやめられない人は「タバコを吸う」という行動をしています。
一方で「タバコは体に悪影響である」ということを頭では理解しています。そのため「タバコは悪である」という考えを「でもストレス発散になるから」「税金で国に貢献しているから」などと書き換えて矛盾を解消するのです。
私たちには「人間関係がなくなってしまう」「やりたいことが終わっていない」など、死にたくない理由がたくさんあります。
しかし「死はいずれくる」ということは分かっているため、「今日はまだ死なないだろう」という考えに書き換えているのではないかと思います。
「今日はまだ死なない」と「明日から本気出す」
これは試験期間中に「明日から本気出す」と言っている人と近い考え方なのではないでしょうか。
私たちが生きているのは「今日」なので、「今日は大丈夫」という考えのままでいると一生その考えから変わることができないのです。
「明日から本気出す」と言って勉強をしなかったとしても試験はやってくるのと同じで、「今日は死なないだろう」と思って生きていていきなり死んでしまうということもあるかもしれません。
最後に
以下が今回、紹介させていただいた本のリンクです。
生きることがつまらない方、何か考えることに没頭したい方は読んでみてはいかがでしょうか?
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