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【『死』とは何か】弟を3日で亡くした経験から、死の定義について考える。

こんにちは

今回から数回にわたって「『死』とは何か」という本の内容について、自分の経験や考えたことを交えて書いていきたいと思います。

今回はざっくりと1、2章の内容について書いていきます。

先に結論を書いておくと筆者も自分も

私たちは人格ではなく身体が機能しなくなって初めて「死んだ」ということができる

というものでした。

この記事の下書きはこちら
インスタにも同じ画像を乗せておきます。)

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死に対する2つの考え

上にも書いた通り、一般的に死に関しては2つの考え方があります。

二元論と物理主義です。

二元論→「人間には身体以外の非物質的なものがあり、その存在によって考えることができる」という考え
物理主義→「人間には身体以外の非物質的な存在はなく、考えることができるのは自分たちの体(脳)があるからだ」という考え

簡単に言うと両者の違いは魂があるかということになります。

このように考えていくと

二元論では「死=魂の死」
物理主義では「死=身体の死」

という風に死に対する考え方も大きく変わってきます。

この本の筆者も自分も物理主義の考え方を取っているため、ここからは物理主義の内容に関して深掘りしていきます。

2種類の物理主義

ここから物理主義は、さらに2種類に分かれます。

それが人格主義と身体主義です。

人間には呼吸をする、体を動かすといった身体に関するB機能と考える、コミュニケーションをとるといった思考に関するP機能に分かれます。

人格主義→死=P機能の消滅
身体主義→死=B機能の消滅

人格主義は一見すると二元論にも感じるかもしれませんが、以下で詳しく説明していきます。

死の本質

通常の場合、P機能とB機能は同時に失われます。

図で示すと以下のようになります。

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生まれたばかりのときはP機能を持っていない期間がわずかにあります(この図では長くしすぎました笑)。最後の空白は死体として残っていることを表しています。

P機能とB機能のうち片方だけがない状態は想像しづらいかもしれません。

しかし例外もあります。先にP機能だけが失われている状態のことです。

あなたの家族が寝たきりになった様子を想像してみてください。

病院のベッドで人工呼吸器をつけられて、あなたと話すこともできない。

そんな家族をあなたは決して死んでいると認識することはないと思います。

これを図で示すと以下のようになります。

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思い出も何もなくても死の意識はあった

とは言え、それは自分と思い入れのある人のことだからだと思われる方も多いかもしれません。しかしそんなことはないと自分は考えています。

自分は小1の頃、弟を生まれてから3日で亡くしました。死因は脳死という、まさにP機能だけがない状態です。

当時の自分は何とも思っていませんでした(悲しいことですが)。特に何の思い出もなかったからです。

しかし弟が寝たきりの状態を死んでいると言えたかというと、そんなことは全くありませんでした。

無意識的に「死=B機能の消滅」と捉えていた

ちなみに人間にP機能だけが残っているということは現実的にはないと思います。

例えば生首がいきなり話しかけてきたり死体がゾンビになって襲ってきたりされることはありません。

仮にあったとしても、それを「生きている」と認識することは難しいと思います。

多くの人は無意識的に「死=B機能の消滅」と捉えているのではないでしょうか?

最後に

今回、紹介させていただいた本がこちらです。

生きる意味を感じられていない方、何か1つのことに没頭して考えたいという方はぜひ読んでみてください。

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