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【「死」とは何か】なぜ死は悪いことなのか?➁~生きることに目的はある!?

この企画では「『死』とは何か」という本の内容を要約しつつ、自分の考えや経験を交えてまとめています。(今回は全て自分の考えです)

今回は「私たちが死を悪いことと捉えるのは人生に何かしらの目的があるからなのではないか?」というテーマで書いていきます。

下書きはこちら(インスタにも同じ画像を載せておきます。)
今回は下書きから内容・構成ともにかなり変えていますw

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はじめに

前回の記事で

目的がないから、人生がつらいからという理由で自らの命を絶つのは良くないというのが一般論だ(合理的ではあるかも知れないけれども)

と書きました。

確かにこの考えは合理的ではないものの、「それはただの既成概念である」という一言で片づけてしまうのも違うと自分は思います。

仮にあなたが戦時中の時代に市民として生きていたとします。敵の軍があなたの住んでいるところまで攻め込んできました。そんな最悪の状況下を合理的に考えれば、今すぐにでも自ら命を絶つでしょう。それでも多くの人は、何としてでも生き永らえたいと思うはずです。

結論

自分の最終的な結論としては

人生そのものに目的があるわけではなく、私たちはただ死ぬことを恐れているだけである

という考えに至りました。

生きることに目的はある

自分は過去の記事で「生きる意味はない」という主張をしました(生きること自体に目的はなく、生きがいも人によって異なるという意味です)。

しかし自分の目的(やりたいこと)を達成したら死んでも良いかと聞かれると、そんなことはないはずです。

そう考えるとやはり人生自体に目的が存在していると考えるのが妥当なのではないかと思えてくるのです。自分は以下の3つを候補としてあげました。

①変化すること
理想の人生を送ること
③子孫を残すこと

1つづつ説明していきますが、いずれも人生の目的としては不適だと自分は考えています。

①変化すること

人生がつまらなくなってしまう最大の理由が、この変化がないことです。

小学生の頃、授業や校外学習などの班分けで「俺の班、つまらないやつしかいないんだけど最悪~」と言っている人はクラスに1人くらいはいたと思います。
そんな時、今のあなたであれば真っ先に「その前にグループを面白くする努力はしたのかよ?」と言うと思います。

人生の場合も同じです。環境を理由に人生の不満を語る前に、自分の満足できる環境に変えていくことが必要なのではないかと思います。

しかしこれには欠点があります。それが理不尽な変化を受けたときです。

例えば交通事故に巻き込まれたり何の理由もなくいじめにあうなどの変化は多くの人からしたら苦痛だと思います。そう考えると「変化≒苦痛=目的」となってしまい、不自然でしょう。

➁理想の人生を送ること

これは①を改良したものです。

私たちは人生に変化を求めています。一方で先ほども書いた理不尽な変化は誰も求めていません。常に理想の方向を向いて進んでいくべきです。

しかしこれは先ほど紹介した「生きる意味はない」と完全にかぶってしまいます。

③子孫を残すため(人間を絶滅させないため)

考え方を変えます。

先ほどの戦時中の例の場合、何としてでも死にたくないというのは本能的に思っているのではないかと感じました。

人間は生物です。生物である以上、絶滅させないという目的は持っています。絶体絶命の状況の中であったとしても自らの命を絶つという行為は、人口を1減らすという行為になります。

ただこれも本質的な目的ではないと思います。自分が子孫を増やすことにそれほどの生きがいを感じることはないと思うからです(子育て自体は楽しいこともありますが)。

死を恐れている2つの理由

結局、自分たちが「死=悪である」と考えているのは死を恐れているからだと思います。

まず、単純な情報不足だからです。

死は実際に経験してみなければ分かりません。そのため死ぬときの感情や感覚、死んだら自分はどうなってしまうのかなどは死んでみなければ分かりません。

また一度死んでしまうと元の状態に戻れないということも、死を恐れる理由の一つだと思います。

受験にしろ就活にしろ「失敗できない」というマインドで取り組むと非常に怖くなってくるものです。

ましてや人生というスケールの大きなものに対して完璧主義になってしまうと、その重みはさらに増してきます。

最後に

この記事で紹介させていただいた本がこちらです。

生きることがつまらないと感じている方、何か考えることに没頭したいという方は読んでみてください。

#自分にとって大切なこと

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