【場面緘黙症】6歳の「死にたい」という叫び
入学式直前に「死にたい」
4月4日、入学式の直前。小学校という未知の場が恐ろしすぎて、どうしても行きたくない息子が死にたいと言い出しました。
私が料理をしていると、「包丁でそのまま僕を切って」
家の玄関前でぐずぐずと「小学校に行きたくない」と言うので、「そうなんだ」と言うと、「トイレに流されて身体がちぎれて死にたい」とのことでした。
その他、
「小学校を爆弾でこわす」
「車の前にわざと飛び出て死ぬ」
「夜に家を出て二度と戻らない」等、6歳の息子は懸命に様々な言い回しで絶望的な気持ちを言葉で表現していました。
親としては恐ろしい発言ですが、大袈裟にしすぎてもよくないような気がしました。
「そうなんだ」「気持ちを言葉で表現するのがうまいね」と、受け止めつつ「死ぬのは絶対にダメだよ」「お母さんが悲しいからね。お母さんは、あなたが大人になって、ビールを一緒に飲むことを楽しみにしているのだから、それまでは絶対に死んだらだめだよ」と言いました。
息子は、それらの言葉にはすぐには反応しませんでしたが、
数日経ってから「お母さんは大人になった僕とビールを飲みたいんだよね」と、安心したような顔をして言いました。
1学期はそれでも学校に行く
どんなに言葉を駆使して嫌がっても、1学期はやってきました。
息子は、毎日のように親同伴で学校に向かいます。
2、3週間は親が放課後まで廊下で待ちましたが、5月頃からやっと、1時間目の途中頃から親が帰宅できるようになりました。
それでも登校時は骨が折れました。
ある日は親と教室まで。ある日は靴箱からなんとか先生に手を引かれて教室へ。ある日は泣き叫びながらも先生に肩に担がれ教室へ。
毎日毎日、泣き叫んだり、シクシク泣いたり、とにかく泣きながらでも、なんとか教室へ行っていました。
少し学校に慣れたようにも見えた
やがて、徐々に学校に滞在する時間は長くなり、4時間目、5時間目まで学校にいられるようになりました。
帰宅時は息子は達成感を感じたようなすっきりした顔をしていたものです。
親としても、「ああ、努力してでも学校に行く方がきっといいんだ。本人もがんばる自分にきっと少しずつ自信を持てるようになるかも」と思いました。
一方で、息子はかなり努力していた(というか無理をしていた)と思います。
一言も思うように発話できない環境で、じっと、ずっと教室の席に座って耐えていたのです。
よくがんばっていたと思います。
「休み時間が一番きらい」
クラスメイトからは悪意なく「喋ったの見たことなーい」「おうちでは喋るって本当?」と、純粋な質問を投げかけられます。
息子はそういった言葉を聞きながらやはり黙っていましたが、
なぜ話せないか、息子自身もわからないわけで、誰よりも息子自身がその理由を誰かに聞きたかったのだろうと思います。
「休み時間は一番きらい」と息子は家で言っていました。
黙っていても構わない授業は良いけど、友達同士おしゃべりをする休み時間に、自分は一言も発することができないので それが苦痛だったのだろうと思います。
そのまま、担任の先生とも、クラスメイトとも一言も話さないまま、夏休みが始まろうとしていました。