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介護記録④ 要介護認定
65歳になり新規の介護申請で要介護4。障害者手帳を取得していたため、後期高齢医療被保険者となった。
玄関の階段と上がり框、2階のトイレに住宅改修制度を使って手摺を設置した。
デイサービスTに週3回(火・水・木・入浴有)通所。塗り絵や工作、書道などをさせてもらい(本人は乗り気でない)数々の作品を持って帰ってきていた。今思えば処分しなければ良かったと後悔する程の、ちょっと様子がおかしい名作ばかりだった。
若い頃から血圧が低め(上90・下50くらい)だったため、入浴不可となることが度々あった。低血圧でも入浴可である旨の主治医の診断書(そんなもの書く医師はいないだろ)を求められ、一悶着したりした。昔からお風呂が大好きな母には、なるべく入浴させてあげたかった。入浴が原因で体調が悪化したとしても、施設側の責任は問わないとも言ったが、血圧の低い日はやはり入浴させてもらえなかった。そんな時はデイサービスがない日と同様に、帰宅後に私が介助しながら一緒に入浴した。今思えば大変だったな。
通院は統合失調症と骨粗鬆症。Aクリニック(精神科)月1回、Kクリニック(介護保険意見書依頼医師・内科・整形外科)2ヵ月に1回、夫が運転し初めの頃は私も行っていた。
夫が着替え、身支度、食事介助、歯磨き、時間誘導でトイレ介助(自覚排泄不可のためリハビリパンツ使用)、などをしてくれていた。平日の昼食も夫が用意してくれた。中でもお茶漬けがお気に入りで、「こうき君はいつもこんなに美味しいものを1人でたべてたの?」と言っていた程らしい。
休日の昼食は私が作った焼きそばや焼きうどん、冷やし中華などの麺類が好きで、エプロンにこぼしながら手で拾い、嬉しそうに食べてくれていた。Pという(1980年頃からあり、母もよく買いに行っていた近所の安くて美味しい)パン屋さんのサンドイッチやウインナードックカレー味も好きだったな。
通院・通所等がなく天気の良い時には、近隣の公園やショッピングモールなどへ夫が散歩に連れて行ってくれていた。
私は通所がない日の入浴介助(皮脂多量分泌のため念入りに全身洗浄、洗髪。湯船の出入り補助、支え)と夕食介助、就寝前の歯磨き、休日の食事介助、歯磨き等を行った。
散髪は2~3ヵ月に1回私が切った。見た目を短くすると「また切られちゃった」と不満を漏らすので、見える部分は長め、見えない後ろは短め作戦で「ほら可愛くなったよ!」と、軽く騙しながら行った。まんまとニコニコしてくれていた。
母の介護をする前から、私達夫婦は共通の趣味としてスキーと某スポーツをしている。某スポーツをしに出かける先に母を連れて行き(家に1人で置いておけないため)、私の好きな中華ランチに付き合わせた。食事介助は途中から夫がしてくれるようになった。「美味しいねー」と、麺をエプロンにこぼし、その麺を手掴みで口に運びながら、これまた嬉しそうに食べてくれていた。炒飯や天津飯も好きだったな。
練習場所に到着後はよく散歩をした。初めの頃は結構な距離を歩けていた。広い公園を30分くらい手を繋いで歩いた。植物や虫、池の中を見たりして会話も楽しんだ。しかし少しずつ少しずつ歩くのが大変になっていった。見学してもらったり、昼寝してもらうことが増えていった。居合わせた方々は皆快く受け入れてくれ、笑いかけ、話しかけ、挨拶してけれて、温かく接してくれた。本当に有り難たかった。
まだ母が動ける頃のスキーシーズンには、父に来てもらい泊まりで母と過ごしてもらっていた。しかしアスペルガーだから色々やらかしてくれる。トイレを詰まらせ、詰まっているのに水を流し、溢れさせた大惨事が2回もあった。母から電話がかかってきて、母が電話をかけられることに驚いて、「大変なことが起きてるよ!」と言われ更に驚いた。そして帰宅してからのこれの片付けは、本当に大変で涙が出るほどだった。