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芸術家気質な母親から学べたこと

結論

「技術や成果」と「過程の楽しさ」の両輪で進める!

母親との通話

 先日の晩、いつものように母親から電話がかかってきた。
なんてことはない、特な用事も無い(  +  あちら側からの私の生存確認のため(笑)の)電話である。

 その通話で私がこう話題を振った。
「お母さんが、曲作ったり、詩書いたりしてた時はなんでインプットしなかったの?」

 以前から聞いていたことだが、私の母親は
・子どもの頃、ピアノで曲を作ってはクラスメイトにプレゼントしていた
・中学の頃、美術の先生に大絶賛されて、美術学校を勧められた
・詩を書いて応募し、〇〇新聞に何度も掲載されていた
・昔作った曲は、今でもピアノで弾いている
・ちなみに、小学生の頃持ってた夢の数は10種類以上だった
という、自分からすればまさに夢のようななかなかに素晴らしくて羨ましい人生を送ってこられた方なのだ。

 対して自分は、簡単にいうと「マニュアル人間」っぽいところが強く、
「何かを成し遂げるためのロードマップ、方法論」などがないと安心できない、ほとんど自ら着手することはなく、ほとんど大した成果など残してこなかったただの人間であった。

 そんな自分でも創作欲はあって、
「物語を書きたい!」と思って、その勉強をゆっくりながらに始めた。
(まずは『SAVE THE CAT の法則』などを読んだりして感動したことは記憶に新しい)
そして「物語の作り方」を学ぶためにネットで検索しては色々な作家さんの記事などを読みまくって、
結果私の得られた結論が
「とにかく『インプット』しよう!!」
ということだった。

 記事の中でも印象に残っているのは、私が大好きな、今流行っている『チェンソーマン』の作者であり、その他にも『ルックバック』などで『このマンガがすごい!』の賞で二連覇を果たした「藤本タツキ」先生と、彼を発掘した担当編集であり、他にも『SPY  ×  FAMILY』も担当されていて「ヒットメーカー」と称される「林 士平」さんとの対談である。

 この記事では最後、藤本タツキ先生からのまとめアドバイスが
「Netflixに登録するといいと思います!」
というインプットを推す言葉であった(この簡潔な言いっぷりもまた先生らしくて好きだ…)。
彼も年中映画を観続けていてはインプットしているのだそうだ。

閑話休題

 少し話が逸れたが、ここで冒頭の話に戻る。
私が通話中に直接上記の内容を伝えたわけではないが、
「作品において『インプットは大事』なはず、これはどの作家でも言ってるのに、なぜあなたはインプットしないのか??」
というような旨を問いかけた。
この質問の返答は自分の「創作」に対する価値観に決定的な影響をもたらすだろうという確信を胸に抱きながら。

 返ってきた言葉は、まとめると以下の言葉だった。
「私は『自分が表現したいから』作っているだけ。仮に私が『職業』として創作を行っているのならインプットは行うだろうけど、本当に私がやりたいのは『胸の中にある真の気持ち』をそのまま表現したいだけ。そこに巷に存在した作品に関する評価基準を持ってこられてもこっちはそんなの知らない。この絵のここがああだこうだで良いんですよ〜、と押し付けられるようなものじゃないよ芸術は。だから美術学校も勧められたけど行かなかった。私がやる芸術は『自分の表現したいことを表現する』のが楽しいだけ」
(記憶を元にして再現)

 母の言葉の内容は、私にもまだ理解するのが難しいものだったから、実際に母が思っていた内容と多少ずれる部分があるかもしれない
(あとこの文章から見ると、私の母親はキツい性格の尖った人間(笑)
のように見えるが、本来は心から優しいマイルドな人)。

 この時、私にはある矛盾が生まれていた。
前述の通り、多くの作家が考えているように
「創作には『インプット』が大事だ」
という考えと、
母の言った通り
「創作とは『自分が表現したいことを表現する』行為だ」
という考え
のジレンマに陥ったのだ。

 多くの記事で書かれていた「インプット」も間違いないと思っていて、
実際それからインプットを増やしたおかげで、どんどん発想がより良いものにアップデートされていってる経験もしている。
 さりとて、母親の「自分の表現したいことを表現する」という言葉にも心打たれたのは事実だ。

 この、まるでテーゼとアンチテーゼから、ジンテーゼを生み出すための思考を、なんとか会話をしながら続けた結果見えた一つのことがあった。

 きっかけは、先ほどの母親が話した内容の中にある「押し付けられても…」という文言だ。
「ならば、逆に押し付けられなければ……?」と考え、そのことを問て返ってきたのが
「自分から何かを無意識に学んでいて、それを無意識に用いている可能性はあるかもしれない。でも意識して自分から何かを学ぶことはない」
と…
つまりこういうことだ。
彼女は「自分の表現したいこと」を表現できればそれでいいのだ。
先人から「これは学んどけ」と押し付けられるのが嫌なのだ。
表現したいことが表現できてるわけだから、そこにわざわざあえて学びを入れる必要などないというのだ。
やっと、彼女の考えをある程度理解できたと思った、
と同時に、自分の「創作」に対する本当の気持ちにも気づけた。

本当に大切なこと

 自分は今まで「創作」における大切なことを忘れていた。
確かに、インプットは大事だ。だけどもっと大事なことがある。
それが、母の言っていた「表現したいことを表現する」という想いだ。
私はこんな簡単だけど大事なことを忘れて「知識一辺倒」で創作を行ってしまっていた。
作品をたくさんインプットして知識さえあれば、作品という結果さえ生めればそれでいい。
これじゃあ本当に「創作」が楽しくはなくて悩むのも無理はない。
もっと大事なのは、「面白い作品という結果」ではなくて、
「面白い作品を作る、その過程を自らが楽しむこと」なのだと
このタイミングになってやっと気づけた。

 もっと具体的に言えば、
今までのスタンスは「さまざまなジャンルから万遍なく名作をピックアップしてインプットしていけばそれで作家としての能力は上がる。例えそれが楽しくなく苦しいことだとしても…」だったが、
これからは「確かにさまざまなジャンルの名作をインプットしていくことは大事だが、それよりも『自分が何を表現したいか』や『自分が楽しい、知りたい、面白そうと思う作品は何か』を元に、名作でなくても楽しめるインプットを中心に行っていこうよ」ということなのだろう。

 これを受けて、私は以前から持っていた
「感性」と「技術」という2つの指標を想起した。
(以下の、かつて書いた記事とも似通った部分がある)

 自身の感性を元に「自身が表現したいことを表現」して楽しみつつ、
多くの作家さんのように
自分が面白そうと思った作品をインプットする。
 そうすれば自分の作家としての技術も上がるし、
何よりそれを行っていく過程が楽しい!
という結論に至ったわけである。

さいごに

 今回、母親に尋ねたこの質問の返答は、私の予想通り、
自分の「創作」に対する価値観に決定的な影響をもたらした。

 こんなきっかけを与えてくれた母親と、その母親の芸術的感性と、
彼女の芸術的な感性による経験には感謝している。


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