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【ホワイトアウトサバイバル】「支援時間」の計算原理、単位

ホワイトアウトサバイバル 大使館の「支援時間」を見たが、 数値が表示されているだけでその単位が分からない 大使館のレベルを上げればその数値が3上がるが、 その単位が分からないのでどのくらい増加するのか、 3分? まさか3秒だけ? それともそもそも時間を表していない? 考えても埒が明かないので、本垢、サブ垢2つで分析してみた 結論から言えばなんと、大使館で見れる「支援時間」の単位は「秒」だった…(>_<) 例えば、本垢では ・「支援時間」が「52 + 150」= 20

    • 私はひとりの時間が好きな内向型だ

      あ、やっぱり気づく? 最近内面の変化があったんだよ。 最近さ、ずっとなんか自分の中に”大切なもの”が欠落している感覚が続いてさ…。 自分には何が足りないんだろう? 自分にとって”大切なもの”ってなんだったっけ? 自分の心の中という大海、頭の中という樹海を探りに探り続けては、 調べに調べ続け、考え続けた結果、 とても単純なひとつの本質に気づけた。 私は「内向型」だ。 単に「刺激感受性が高い」とか「人混みが苦手」とかそういう特性じゃなく 「ひとりの時間が好き」「黙々と

      • 「理想の高さ」と「強さ」の概念について

        今日もなんとなく生まれた思考をここに書き留めたいと思います。 先に言っておくと、自分はMBTI診断が大好きで、何度やっても『INFP』が出ます。MBTI診断が大好きということがもうその結果を実証しているようなものですw それを踏まえた上でもやはり自分は「理想主義者」だなぁという自覚が強いのです。 現実とか正直怖いし、できるならなにも考えなく気ままに生きていたいと思っています。 物語や音楽とかは大好きでメディア問わず一瞬にしてその世界に入り込むことはかなり得意だと思っていた

        • 「枠」をどう捉えるか

          枠についての考え方「型にハマるのが悪い」とよく言います。 それらあちこちに遍在する「枠」を”どう考えるか” に本質があるように思えます。 枠をどう捉えるか枠に従うのでなく、 枠に「囚われる」のでなくあくまで「使う」姿勢を維持し続けることが重要だと考える。 枠を「己の自由を阻むものだ」と捉えるということは、その人自身が「枠に囚われている見方をしている」ことと同義であると見える。 枠とは我々の「ツール」である 逆に、枠は「己の自由を体現するために有効かつ必要なツールで

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        • 東工大情報工学系院試
          1本

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          量は質の母

          ついさっき、「量は質に勝る」という言葉を目にしたが これについて少し違和感を覚えた。 なぜ「量」と「質」が「対立する構造」にあるのだろうか… 例えば、 手塚治虫や秋元康が数々のヒット作を生んできた背後には それよりも何倍の量のヒットしなかった作品をプッシュしてきたからだ と言われているが、 彼らを見ると 「量を積んできたからこそ生むことができた質なのだ」 ということが想像できる。 つまり、前述の「量は質に勝る」よりももっと的確なニュアンスを含む言い方があると考える。

          「結果」と「過程」の両輪

          両者楽しくありたい「結果」を得ることは実際に難しい。 「過程」を一歩一歩踏むことすらも果てしない旅路のようで辛い。 でも、やはり人生は楽しみたい。 小さくとも、色々な「結果」を取得することを楽しみたい。 無理せず、1ステップ1ステップの「過程」を楽しんでやっていきたい。 そうやって、絶望や辛さなどよりも 満足で溢れた人生を自分で歩んでいきたい。

          「結果」と「過程」の両輪

          物事は「両輪」で成り立つ

          物事が「片側」だけで動いていることはない。 車の両輪、さらには前輪と後輪が一つの車体を動かしているように、 必ず役割が異なる複数が支え合って同時に一つのものを動かしている。

          物事は「両輪」で成り立つ

          芸術家気質な母親から学べたこと

          結論「技術や成果」と「過程の楽しさ」の両輪で進める! 母親との通話 先日の晩、いつものように母親から電話がかかってきた。 なんてことはない、特な用事も無い(  +  あちら側からの私の生存確認のため(笑)の)電話である。  その通話で私がこう話題を振った。 「お母さんが、曲作ったり、詩書いたりしてた時はなんでインプットしなかったの?」  以前から聞いていたことだが、私の母親は ・子どもの頃、ピアノで曲を作ってはクラスメイトにプレゼントしていた ・中学の頃、美術の先生に大

          芸術家気質な母親から学べたこと

          「計画性」と「楽しさ」の両立

          「計画性」と「楽しさ」の両立、それは己の考え方及びやり方次第だと改めて理解するに至った。 まず、今までずっと自分は全く結果も出せず、その度に「自分には無理だ。自分には才能がないのだ」と嘆き心は締め付けられ、泣きたくなるような毎日が続いた。 さらに言えば、プロと比べて技術と経験が足りないのはわかってるが、それを補うための術がわからないのだ。完璧にプロになれる保証があるフレームワークでもこの世に存在すれば、それに従って上手くやっていけるのに… でも結局そんなものがあるとして、

          「計画性」と「楽しさ」の両立

          【ポエム】「人生を歩いていく考え方」

          またやられた。 またひとつ、自分が完成に近づいたと思ったら、 さらなる深みが何倍にも増して 現実として自分へと近づいてきた。 でも、近頃「それでいい」と思えるようになってきた。 というより、そのような現実に慣れてきた。 前は、現実という壁を知覚するたびに「才能」だとか「可能性」だとか 引き合いに出しても埒が開かないようなことを考えてきたが、 今はもうそれらが無駄だと気づき始めた後であり そのような現実  =  悪でなく、現実は現実そのものだと。 そこに善悪を決めるのは自分で

          【ポエム】「人生を歩いていく考え方」

          『目的論』を応用した「尊敬をすべき人、そうでない人」の判断基準の考察

          フロイト心理学=原因論 アドラー心理学=目的論 著「嫌われる勇気」によると次のように述べられている。 アドラーは原因論を否定し目的論を唱える。    ↓ 理由 原因を知ったところで今ここに起きてる問題の解決にはならない。    ↓ しかし 裏の目的を知れば今この瞬間にあらゆる問題を解決することができる    ↓    ↓ これを<尊敬するということ>にも応用してみる ← 今回の主題    ↓ ~だから尊敬する。でなく、~のために尊敬する。 つまり、アド

          『目的論』を応用した「尊敬をすべき人、そうでない人」の判断基準の考察