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「決定的瞬間」を求めて。
大好きな本はたくさんあるけれど、それを人に伝えるのは難しい。
同じ本でも、人によって大切にしているものが違うからかもしれない。
たとえば私はあまりストーリーに重きを置かない。なので、大好きな本のあらすじを教えて、と言われてもほとんど覚えていなかったりする。
でも、大好きな本の、大好きな場面だったらいくらでも教えてあげたい。
大好きな一行を書き綴って栞にして、本と一緒にプレゼントしたい。
カポーティの短篇『銀の壜』に出てくる、時代錯誤なドラッグストア。
アンソニー・ドーアの『すべての見えない光』で自転車に乗って感じる風。
谷崎潤一郎のエッセイ『陰翳礼讃』で描かれた羊羹は、誰だってよだれが出るはず。
ブローティガン『西瓜糖の日々』の静かで甘やかな死の香り。
数え上げたらきりがない。
私は本を読みながら、自分にとって忘れられない場面を収集していくのが好きだ。
20代だったころ、一枚の写真に心を奪われた。
「サン=ラザール駅裏」。
アンリ・カルティエ=ブレッソンの『決定的瞬間』に収められている、おそらく最も有名な作品。(写真に興味はあるのだけれど、知識がないのです)
「日曜美術館」だったか、「美の巨人たち」だったかで紹介されているのを観たのだが、一瞬で虜になってしまった。
あの時の感動を、どうやっても言葉にできない。
心が、魂が、その一枚にすべて集約されてしまったかのような感覚があった。私が捜していたものは、コレだ。そう思ったことを覚えている。
この世界を掻き分けて、何が何でも出会いたい瞬間。
『決定的瞬間』。
まさに、その言葉につきる。
本を読む時の私は、ライカを持って街を歩き回っている写真家の気分だ。
うずたかく積まれた言の葉を掻き分けて、私だけの「決定的瞬間」を探している。そこに意味はなくてもいい。理由もいらない。
強く惹かれた。ただ、それだけでいい。
私は自分の心が揺れ動いた瞬間だけを記憶にとどめる。大事な写真をピンでとめるみたいに。
たったの一行。ほんの一場面。
その「決定的瞬間」が、私にとって一冊まるっとかけて語られるストーリーよりも大事だったりするのだ。
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