本は書店を飛び出して。
町の書店が消えつつある。
私の住む町も例外ではなく、書店に行くには隣町まで足を運ばなければならない。
先日、私の勤めている図書館に職場体験の中学生がやってきた。
図書館を選ぶ子たちなので、もちろん皆本が大好きだという。
書店のない町に住む彼らは、一体どのように読みたい本を選んでいるのか。
気になったので、「本はどうやって選んで買っているの?」と聞くと
「本屋さんで見て買います」とのこと。
てっきりAmazonで買っているのだとばかり思っていたので、この答えには驚いた。そして、本に出会うためには手間と暇と情熱(あと電車賃)が必要である今を生きる彼らが、ちょっと不憫に思えた。
しかし、車に乗れば20分かそこらで着く隣町の書店に、大人である私は今年1回も行っていない。
隣町の書店だけじゃない。書店自体、一度も行っていない。
なんというか、行かなくてもいい場所になってしまったのだ。
10年くらい前までは、私の休日の過ごし方といえば、書店めぐりだった。
欲しいものがあるから行くのではなくて、欲しいものを探しに行く場所だった。宝探しをするような気持ちで、私は何時間も書店の棚を行ったり来たりしていた。
平積みの本の美しい装丁を眺めるのも好きだったが、一番好きだったのは、文庫本がずらっと並んだ棚をウロウロすることだった。
背表紙のタイトルを片っ端から読むのだ。
海外文学のソレは特に面白かった。言葉の使い方が絶妙だったり、意味不明だったりして、いつも好奇心を与えてくれた。
作者の名前も好きだった。
たとえば、トマス・ピンチョン。
ピンチョスみたいでブラックオリーブを食べたくなってしまう。
アリステア・マクラウドは、男の人なんだか女の人なんだかよくわからない感じがミステリアスだ。
日本人だが、最果タヒにもグッときた。
中二病な感じが、その字面だけで伝わってくる、良い名前だ。
そうやって気になった本を、私は買って帰る。
まったく意図せず、なんとなく、見つけちゃった。
ゴチャゴチャした街の中で、期待せずに入ったラーメン屋のラーメンが、ムチャクチャ美味かった。
そういう感じが堪らなかったのだ。
私だけが知ってる、特別な一冊。
それを探しに行くのが、書店の愉しみだったのだ。
だけど、最近の書店には、こうしたワクワク感がない。
トキメキがないのだ。
どの書店も、判で押したように同じものを並べている。
見たこと、聞いたことのある作者が書いた、話題の本。
そりゃあ、商売だもの、売れるとわかっているものをたくさん仕入れて、不特定多数のお客様のニーズにこたえなければならないのだろう。
図書館の利用者さんも、そういう本をリクエストする方が最も多い。
でも、それって、自分で自分の首を締めていないだろうか?
だって、欲しいものが明確に決まっているのだったら、Amazonに勝てるはずがない。
検索バーにキーワードを打ち込むだけで、何万冊という本の中から、あっという間に目当ての一冊を探し出してくれるのだから。
それをカートに放り込めば、最短で明日には手もとに来る。
それなのに、いちいち書店に足を運んで、棚をウロウロして、見つからなければ検索機をいじって、店員さんに声を掛けて、店員さんが探し出せるまでしばらく待つ・・・なんて面倒くさいこと、やりたい人がいるだろうか?
私なら嫌だ。時間がもったいない。
そんな暇があるのだったら、ネコと遊んでいたい。
書店には行かなくなったが、それでも毎月本は増え続けている。
本と出会える別の場所を見つけたのだ。
それは、美術館であり、博物館であり、劇場であり、映画館である。
読書以外の趣味の場所だ。
美術鑑賞をすると、軽い酩酊状態になる。
気持ちが高揚して、ワクワクがあふれ出てしまう。
そういう状態で、ミュージアムショップをぶらつくのが楽しい。
置いてあるもののすべてが、とても魅力的に、輝いて見える。
そこに関連本がポンと置かれていると、ついつい買ってしまう。
無関係っぽい本も、
「おー、何でこんな本が置いてあるのかな?? 学芸員さんの暗号が隠されているのかもしれないぞ!! おもしろーい!」
と勝手に深読みして、やっぱり買っちゃう。
そうやって家にはたくさんの小説以外の本が増えた。
岡本太郎 『自分の中に毒を持て』
赤瀬川原平 『超芸術トマソン』
武田砂鉄 『紋切型社会』
蜷川幸雄 『演劇の力』
ジョン・クラカワー 『荒野へ』
などなど・・・。
思いがけず出会った本たちは、芸術鑑賞時の感動と相まって、どれも思い出深い、大切な蔵書である。
背表紙を眺めているだけで、買ったときのトキメキが蘇るのだ。
私は、もしかしたら物体としての本ではなく、出会いからひっくるめて、本という経験を求めているのかもしれない。
もし、こういう出会いを求めている人が、私以外にもたくさんいるのだとしたら、本という文化の存続は、案外暗くはないのかもしれない。
私が美術館や博物館などで本を買うように、あらゆる趣味の場所に、その世界に関連した本をさりげなく投入すればいい。
書店がもっとも賑わっていた90年代から2000年代にかけて、そこは趣味の情報を得る場所だった。ありとあらゆるジャンルの本でひしめいていた。
なら、今、逆に、本は書店を飛び出して、あらゆる趣味の場所にこちらから押しかけていけばいい。
本は書店で買う物、と限定しなくてもいいのではないだろうか。
本は、どこにでも売っているもの。
そういう風になったらいい。
子どもたちが、わざわざ隣町に行かなくても、そこらじゅうで本を目にすることができて、実際に触れられて、ページを繰ることができて、中の一行に感銘を受けることができる。
そういう社会になったなら。
キレイな葉っぱを拾い集めるように、本をピックアップできるようになったなら。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。