民俗小ネタコラム⑤ 冷凍ミカンと網入りミカンは小田原生まれ

新型コロナが猛威を振るう本年ですが、東海道線で学生たちの姿を見て、ふとアレを思い出しました。アレとは中高年世代の給食シーンではお馴染みだったであろう「冷凍ミカン」。新幹線などでも売られていて、その場合は網に入っていることが多かった記憶があります。先に書きますと、冷凍ミカンが初めて世の中で販売されたのは、小田原駅のキヨスク(現・キオスク)です。昭和30年(1955)のことでした。

ということで、今回は冷凍ミカンについてのコネタです。
なぜ小田原か。そして、なぜ自分が東海道線でこのネタを思い出したのか。

そもそも、小田原はミカンの生産地として有名でした。そして現在ではカマボコの生産地としても有名なだけあって、古くから漁業の街でもあります。これがポイント。この小田原でミカン絡みで生まれたモノが2つあるんです。

まず、冷凍ミカンの前に、「網入りミカン」が生まれました。これは昭和7年(1932)のことです。小田原・国府津(こうづ)の株式会社井上の当時の社長さんが、漁師さんたちから破れた漁網をもらいうけ、ミカンを入れる網としてリサイクルすることを思いつきました。網入りミカンを木箱に入れて出荷してみたら、中身が一発でわかる事と、網袋だから持ち運びやすい事…そんなことが消費者さんにもウケたのだそうです。結果、網にミカンを入れることが一般化し、現在もスーパーなどで網入りミカンが売られているわけです。

そして、その後生まれたのが「冷凍ミカン」です。先ほどの株式会社井上さんがここにも関わっております。この井上さんに、冷凍食品の経験が深い大洋漁業株式会社(現・株式会社マルハニチロ水産)が協力し、昭和31年(1956)に冷凍ミカンが誕生しました。そして小田原駅で販売…これが冷凍ミカン誕生の瞬間です。


その後、財団法人鉄道共済会に話が通り、全国の国鉄(今のジェイアールというべきでしょうか)の駅で販売されるようになり、最終的に学校給食にも採用されるようになったのです。

小田原市のサイトを引用しますと「この両者は共に小田原において、全国で初めて手掛けられた商品であり、破れた漁網を活用した網袋や水産関係の冷凍技術など古くから漁業が盛んであった小田原ならではの商品といえる」とのこと。

そう、漁業が無かったら冷凍ミカンまでの道はなかったのです。

【東海道線 113系普通電車 東京駅を発車!】懐かしい東京駅始発の113系湘南色電車 2006年 HDV 45
https://youtu.be/qTyoW2BNtCw


最後に。なぜ東海道線でミカンを思い出したかというと。
神奈川県湘南地区を走る国鉄の電車は、通称「湘南電車」とも呼ばれます。東海道本線の東京駅~熱海駅・沼津駅間の電車の通称として用いられたそうで、緑色に窓まわりのオレンジを配した塗装は「湘南色」とも言われました。そう、私が思い出したのはこの緑とオレンジ色の電車。電車については詳しくないので割愛しますが、この色に意味があります。このオレンジ…ミカンの色という説があります(アメリカのグレート・ノーザン鉄道がモデルとも)。葉っぱの緑とミカンのオレンジ。いかにも湘南の山の恵みらしい印象好きだったので、ふと東海道線でミカンを思い出したという次第です(笑顔)

以前書いた元記事:https://middle-edge.jp/articles/Bd6b7

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