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共感に反対? 認知的と感情的な共感の違い
こんにちは、ryoです。イギリスはすっかりクリスマスシーズンで、なんだか町が一段と活気に満ちあふれている感じがします。
今回は、大学院の専攻とは異なりますが、興味深い本を見つけたので、皆さんにシェアしますね。
元になっている本は、Paul Bloom (2016) Against Empathです。
みなさんは、共感とは何だと思いますか??
ちなみに、共感にも2種類あります。認知的共感と感情的共感。
感情的共感とは、他人の立場に立って、相手の感情に思いを寄せること、同じ感情を経験すること。
認知的共感とは、同じ感情は共有できないが、知識や当事者の話を聞くことで相手の立場にたって物事を考えること。
ちなみにこの考え方、初めて聞いたときに、すごく腑に落ちたことを覚えています。
例えば、以前書いたベルギーでの脳性麻痺を持つ人との暮らしで感じていたことです。
どうやったって彼らと同じ感情を同じように経験することはできない。
それでも、少しでも彼らの立場に立って物事を考えたいと感じていました。
そのときに私がとった行動は、脳性麻痺の知識を深めること。
彼らは何ができて、何ができないのか。
一人一人によって、下半身が動く・動かない、上腕は動く・動かない、症状の重さによって、区分分けされているということを学びました。
すると、少しずつ、彼らの状態に対しての視点がクリアになったことを覚えています。
まさしく、感情的共感はできないけど、認知的共感はできるという例だったと思います。
さて、今回の本の要旨は、共感を意思決定の際に用いるってちょっと危険じゃない?ということだと解釈しています。
共感を意思決定に用いた際の具体例として、アダムスミスの話がありました。
それは、虐待や暴行を受けた人への共感が虐待を行なった人への憎しみや怒りに変わるということ。
共感は”絶対的によい”とされている風潮に疑問符を投げかける、そして共感の意味を問い直す本でした。
それでは、またどこかで!