全ては自分の責任だけど自分のせいではない
私たちは生まれた時から、
いかにして良いことをして
善人でいなければならないかを、
ひたすら学んできている。
誰かにとって善人であることと、
自分らしくあることは全く別のことなのだが
そんなことは知らない時から、それこそ言葉もわからない時から、既に私たちの周囲の人たちは
何が好かれるためには良いことかを
ひたすら教えてくれたはずである。
良い子にしかサンタクロースはこない、
という物語に私たちの心が揺り動かされるのはなぜなのか
考えたことはあるだろうか?
題名に入れた
「全ては自分の責任」と
「全ては自分のせいだ」とは、
ものすごく似ているようで
真逆なことを指している。
「人のため、人の世話が好き」と、
「他人を意のままにコントロールしたい」
も同様だ。
良心との狭間で
自分の一挙一動に不安や罪悪感を感じていると、
それが行き過ぎた時に
精神や肉体は壊れてしまう。
だが今の時代、平和の国日本では、
けっこうなんでも許されているのではないか。
欲望のままに生きることが出来るので、
それを得意とする人々の
「ありのまま」を見て、
自分はこれではダメなのでないかと
振り回されてしまうことも少なくないのではないだろうか。
沢山の情報がすぐに手に入り、
昔のように、多くの人に知ってもらうことができるのは、
ほんのひと握りの人、ということでなく、
誰もが一夜で世界中の人に知ってもらえる
チャンスがある時代である。
自由ではあるが、ひとつボタンを
掛け違えると、一気にいろんなことが
思ってもみないことに転がってしまう可能性も含んでいる。
そうではあるが
急にどこからかこれまでの自分でない何かが
やってきて、急に真の自分が現れるとかは
決してないので
今、思い通りにならないことがあったり、
何か納得いかないことがあるなら、
まずはひとつひとつ自分が信じているものがなんであるかを
見つめなおしてみる必要がある。
何かを裁くのでなく
ただ事実そのものを受け入れて、
どうしたいかを選択していくなかで
自分の人生にどう責任をとったらいいのか
きっと見えてくるはずだ。