好きなことに追い詰められてないか
「好きなことをしよう」
好きなこととは何だろう?
『好き』の概念そのものに、
もともと自分が感じる『好き』と違った認識をしていると、どれだけ好き(と考えていること)を追いかけようとも、心の底から楽しくなることはないだろう。
ずっと自分の中にある微妙な違和感や、
どこまで行っても満足することのない欠乏感に追いかけられているような気がしないだろうか。
その欠乏感を心の奥底に押しやってフタをしたとしても、
何だかわからないモヤモヤは、どんどん自分を追い詰めていく。
モヤモヤと向き合うのを避けるかのように。
自分を無理矢理納得させ続けるために、
忙しく『リア充』する人もいるだろう。
『好きなこと』を考える時に、他人からの評価を一切引き離して感じることができるか、は重要である。
好きな事で他人から認められたい、と
思う事自体は、悪い事ではないし、
それがモチベーションをあげることに
繋がる場合もある。
しかし、先に他人からの評価を得たいに必死になっている場合、好きなこと…と信じていることが
心の底から自分が楽しんだり、
喜べるものなのかがわからないこともあるだろう。
あまりに外からの、他人からの刷り込みが強い場合、
(誰でも生まれた時から、周囲の大人たちから教えこまれた事を信じて『自分』を形成していく)
何が純粋に自分の喜びなのかわからないまま生きて、そのまま終わることも少なくないはず。
本当の『好き』を
気づくことができるかできないか
感じることができるかできないかは大きい。
自分が心地良いと感じることは?
満たされた気持ちになるのは?
楽しく笑えることは?
喜べることは?
好きなことというのは、
そういった心地良い感情を根っこに感じながら
行動できることではないだろうか。
誰もが、
自分の好きなことで、人生を彩る事ができたら、
それは素晴らしいことだ。
そのためにも、『好きなこと』をたくさんの情報から身につけた考えからではなく、感じることが大切なのだと思う。