過去世のことなど
久しぶりにつらつらと。
普段SNSでもリアルでもスピリチャルな話はあまりしないけど、興味はちゃんとあるし、目に見えないものはあると信じている。
意図すればどんなことも叶うということも、体感してわかっていることもあるし、自分の意識を変えれば、思うままに生きられるのだろうということも。
高校生の頃はそんなことを直感的にやってきた人だった。
すべて自分で決めて今の人生を歩んできたのだとわかるようになった。
三連休、友達と一緒にお誘いいただいた展示会に参加するために金沢へ。
秒で行くと決めた場所。
理由は白山比咩神社へ行きたかったから。
行ってみて良かったのは、やっぱり直接会って伝えるということ。
デメリットも含め伝えることで、それでも買いたいと思って買ってくださる方がいるありがたさ。
そういえばママ友とやってたマルシェもそうだったな。
いつだってわかってもらうのに時間がかかるんだった。
自分の作品を自分の力で届ける。
過去のマルシェでもやってはいたけど、一緒にやる人数が減ったことで自分の負担も増えた。
本来は一人でそれができた方が良いのだろう。
まだ商売に関してはヒヨッコなので友達の力も借りる。
12月のマルシェは一人で出店してみよう。
さてここから本題。
タイトルにある過去世の話。
帰る日の朝、主催の母娘と朝食を食べながら話しているうちに、パートナーの話を聞かれて。
独り身なので、いずれ欲しいとは思っているけれど現実化していない現状。
結婚生活は一度経験しているし、子どももいる。
また男性と一緒に暮らすことに現実味がないのか。
意図すれば叶うはずなのに、実際にはできていない。
心の底から望んでいないのか、ブロックがあるのか。
私自身は望んでいると思っているけど、どこかでもうどうでも良いという気持ちも芽生えつつあった。
その根底にあるものを視てもらうと、どうやら過去世で辛い思いをしてきたということがわかる。
例えば女女しく男に媚びたり、愛嬌振り撒いて振り向かせる女をどこか軽蔑している自分がいて、自分は絶対そうならない、しないという気持ちは幼い頃からあって。
別に周りにそういう人がいたわけでもないけど、可愛い女の子には無条件で嫉妬もするし、可愛くない女の子がモテたらより捻くれた考えを持ったりしていた。
その要因は深く刻まれた過去の体験から来るものらしく、自分でどうにかできるものでもなかった。
今世ではそういう体験はしないと自分に誓うしかない。
どうやらそれが京都御所での出来事だったのか、キーワードとして教えてもらったので、金沢の帰りに寄ってみる。
たまたまお休みの日だったけど、行くと決めた時点で半分くらいは浄化されているはずだ。
もう過去の傷に縛られたくはない。
今世では私自身をちゃんと見てくれる人と一緒になると決めた。
目標も設定。
今年中には見つかるはず笑