あなたにロールモデルはいますか?
こんにちは!
金木犀の香りに包まれながらnoteを書いています、しおりです🍂
今日は最近ぼんやりと考えていたことをシェアします。
個人的なことは政治的なこと
これは、第2派フェミニズムのスローガンであり、今でもフェミニズムの特徴を表すのに使われる言葉です。
こちらの記事でも触れていますね。
私的だとみなされていたものが、実は社会構造の中に埋め込まれた問題であると認識させたという点で、このスローガンには大きな意義があります。
そして、自分がフェミニストとして発信する意義もここにあると感じており、大好きな言葉です。
当時の女性たちは、抑圧された状況を人に話す機会がありませんでした。
しかしウーマンリブが起きたころ、女性たちが意見交換をする場ができたことで、「私」の問題が「私たち」の問題になり、連帯が生まれたのです。
マジョリティ以外の人は「標準」から外れた人とされ、自己責任による解決を求められる、そんな世の中です。
しかしどんな問題でも完全に社会から切り離されて起こることはありえません。
「結婚をしたら、子どもを欲しがる義理の両親の圧力に悩んでいる」
という話を最近聞きました。
一見、その人のみの問題に見えますが、これは単なる人間関係の問題では片づけられません。
「結婚したら子供を産む」ということが標準とされている社会だからこそ、子どもを欲しがらないということが問題になってしまうのです。
ロールモデルという存在の大切さ
「好きなように生きればいいじゃん」
こう言うのは簡単だし、理想なのですが、人は社会の中で生きている以上他人の目を気にせずにはいられません。
子どもを産まないという選択にいくら芯があったとしても、その選択で自分が苦しんでしまうこともあるのです。
誰かに「それでもいいんだよ」って言ってもらいたい、それが人間の心理だと思っています。
先日、こんなツイートをしました。
お酒が弱いくらいいいじゃん!と思う方もいるかもしれませんが、強くてかっこよくてどんなときにもへこたれない女性になりたい私は、お酒に弱いってなんかカッコ悪いなと思っていました。
男性社会でも活躍できるようになるにはお酒が飲めないといけないという一種のアンコンシャスバイアスに影響を受けていたのかもしれません。
でも、ひそかに憧れている女性のひとことで、なんだか救われた気持ちになったのです。
バカバカしいかもしれないけど、「あ、お酒強くなくてもこんな風になれるんだ」と、安心しました。
これが、個性を尊重するということの大きな意義だと思うのです。
誰かを認めることによって、またさらに救われる人がいる。
いろいろな人にとってのロールモデルが増えれば、「標準」とずれていることに悩まなくていい。そもそも「標準」という指標が人によって変わってくるはずです。
私はお酒が弱くてもバリバリ仕事ができる女性として、誰かのロールモデルになれたらいいなと、小さな目標ができました。