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遺伝的障害は被曝から何年かたった後での障害で、晩発障害といわれている
環境が変わると、遺伝子も変わる
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“The Matrix is everywhere. It is all around us. Even now, in this very room. You can see it when you look out your window or when you turn on your television. You can feel it when you go to work... when you go to church... when you pay your taxes. It is the world that has been… pic.twitter.com/7GXzJ3RJFW
— cida de aragon_art (@AragonCida) December 26, 2024
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まずしなければならないのは、生活の中の不必要な炎症の原因を粘り強く探し続けること
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西洋医学の致命的な判断ミスは、慢性疾患に何千もの種類があると思い込んでいることだ。実際にあるのはたったひとつの大きな原因、炎症だけだというのに(中略)まずはその炎症がどこから来ているのかを理解しようとすべきだ
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健康か病気かは、食事次第
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タイはほかの国より厳しい基準を設けています。粉ミルクでは最高二一ベクレルが許容範囲です。日本は三七〇ベクレルです(中略)(※タイ厚生省食品薬品管理局長は)こう言っている。「人間が生活するうえで、どれほど小さくても危険があれば、それを減じるために私たちは厳密な基準を守る」行政官として素晴らしい言葉ですね。WHOや日本の厚生省の担当官に噛みしめてもらいたい(中略)日本人にはなかなか理解ができないのです ※引用者加筆.
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とくにたちの悪いのがストロンチウム90だ。軽いので、それほど大規模な核爆発でなくても地球全体を覆い、食物連鎖に深く入りこむ。科学的性質がカルシウムに似ているために、ひとたび体内に摂取されたら吸収されて骨に取り込まれる(中略)ストロンチウム90が骨の中に居座ると、崩壊しながら放射線を出しつづけ、細胞のDNAを破壊
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ストロンチウムはカルシウムと同じように体内に取り込まれる金属で、主として骨や歯のなかに蓄積する
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放射線が細胞に与える影響は3つに分けることができる。放射線そのものは細胞中にあるDNAを切断する、放射線の電離作用によって水分子などが活性化してDNAを切る、さらに電離作用によってDNAである塩基を破壊あるいは欠損する、といった作用である。放射線を浴びる線量が少なければ、細胞は修復能力があるために、損傷を受けた細胞は回復していく。問題は、細胞が回復できないほど多くの線量を浴びたときである(中略)遺伝的障害は被曝から何年かたった後での障害で、晩発障害といわれている。これは、放射線を浴びたときにDNAや染色体が傷つき、遺伝子レベルに影響を与えたことで白血病や各種のガンなどの障害を引き起こすことである。
現実の記憶に向き合った人たちは、混乱し、苦しみ、自分の体験した事実を疑い続けます。恥ずかしく、不安で、怯えています。自分の頭がおかしいと考える方が、過去の事実に正面から向き合うよりも楽なことが多いのです(中略)真実を伝える人を攻撃して苦しみを覆い隠そうとしている(中略)裏切りに目をつぶるのをやめて初めて、本当の回復が始まる(中略)加害者はどのようにして被害者を教育し目をつぶらせるか。政府はどのようにして自らの裏切りを隠すか。社会はどのようにして共謀し、見て見ぬふりをするか(中略)裏切りに目をつぶる内的プロセスに加えて、被害者は、知らずにいろ、沈黙しろという社会的圧力を受けることがある。たとえば、加害者や他者(家族や教会など)が黙っているように求めるかもしれない。沈黙を要求された被害者は、経験を話し合う機会をまったく失ってしまうかもしれない(中略)たとえば加害者は、はっきりと黙っているように求めるのではなく、被害者が裏切りを認識しないように、あるいは否定するように、それとなく持っていくことがよくある(中略)このような加害者はまた、自分自身の裏切りに部分的に目をつぶっている場合もあり、このために周囲の人々が気づきにくくなることもある(中略)加害者は、ある意味で、被害者や傍観者にも目をつぶるように誘導している(中略)裏切りに目をつぶる現象はまた、「集団思考」とでもいうべきさまざまな集団過程により助長される。集団の調和は自主検閲により短期的には保たれるが、後に最悪の事態を招く例が多い(中略)人々の抗議行動の隠ぺいは、組織的裏切りに目をつぶる例(中略)裏切りを知らないでいることには利点がある。関係を維持でき、生活が大きく変わるようなことが起きるリスクもない。居心地がいいなら、人は少なくとも表面上は知らないでいることはできる。しかし、何かがおかしいのはわかっている。その結果、他人を信頼できず、他人と関係を結んでうまくやっていくことができなくなる。裏切りの経験を語ったり自立したりするリスクを冒すよりは、むしろうつ状態になり自分を追いつめてしまうケースも多いだろう。裏切りを知ること──裏切りに目をつぶるのをやめること──は、人々に新たな深い認識をもたらす。世界が以前と同じではなくなる。知ったことで新しい価値観や信念、行動や愛情が生まれる。しかし、信頼していた人がもう自分にとって安全ではないことを認めたときには、ことによると、世界までが安全ではないように思えるかもしれない。裏切りに目をつぶることからの解放はまた同時に、親交と成長の新たな可能性を開いてくれるが、新しく知った現実の厳しさに怯えるかもしれない)。
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昔からよく言うように、後からふり返れば正解を見つけるのは簡単だ(中略)今まで生存を助けてくれた無自覚の思い込みは、もしかしたらもう役に立たないのかもしれないということを理解する(中略)もしこのまま放置したら、生存には逆効果になるかもしれない(中略)過去の意味に影響を与える者は、過去を基準に行動を決める人たちの、未来の行動にも影響を与えることができる。
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内部告発者は時には罰や痛みに耐えなければならないにもかかわらず、苦労して現実を直視した人々は、真実が大切であり、一番影響力を持っているという核となる信念を共有している。カサンドラについてもっとも多くを物語る特徴は、彼らが自分たちは世の中に影響をおよぼせる、真実を無視せず正面から向かえば変化は起こせると信じていることだ(中略)我々にできることは疑問を抱くことだ(中略)多くの人々はカサンドラに遠くから憧れているだけで、自分がその役割を果たすことはためらってしまう。カサンドラは非常に厳しい役割で、あまりに代償が大きいように見える。しかし我々の多くは、現実から目をそらしたまま一生を送りたいわけではない(中略)少年が妹の車いすを押して学校に向かいながら、すれ違う人々の顔を、その裏にある気持ちを考えながらじっと見つめている光景は、とても印象的だ。彼は自分の目と彼女の目と同時に、彼らを見る者たちの目を通して見ている(中略)彼は権力者の目を通してものを見たのではなく、無防備な者の目を通して見たのだ。この視点はカサンドラや内部告発者に特徴的なものだ。
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ところで、医療関係に携わっておられる方々なら、どなたも「武見太郎」という名前をご存知かと思います。彼は、日本医師会の「将軍」として健康診断の義務化をはかり、間接撮影タイプのエックス線撮影を導入しました(中略)くしくも胆管癌で亡くなった生前の武見太郎は決して西洋医薬を口にしませんでした。体調が悪いときには漢方薬しか飲まなかったのです。武見太郎はどんなに周囲から健康診断を勧められても絶対に受けませんでした。周りは医者だらけで自身も開業医ながら拒否し続けたのは、エックス線被ばく害を知っていたからという説が強いのです。ある大手弁当チェーンの社長は、絶対に自社製品を口にしません。弁当には保存剤や添加物が山ほど入っていて危険と知っているからです。また、ある大手家庭用洗剤メーカーは自宅で妻や子どもに自社製品ではなく普通の「石けん」を使えと命じていました。
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スタンリー・ミルグラムが行なった有名な〝権威への盲従〟実験
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ミルグラムはこう記している。「おそらくわれわれの研究から学んだもっとも基本的なことは、・・・・・通常の人間が、恐ろしい破壊的行為の実行者となりうるのだ。・・・・・比率からいってかなり多くの人間が、命令を受けると、それが正当な権威者からのものと認めるかぎり、行為の内容とは無関係に、しかも良心の呵責を感じることなく、いわれたとおりにする」。
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この世には、善を憎み、善を破壊するためには手段を選ばぬ人や組織が存在する。おのれの悪に全く気づかず、盲目的に行動するのである(中略)悪の存在が、はからずも人々に警告のためののろし役を果たすのである。人格は悪に気づくことによって磨かれる。
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操られていない、エキストラと呼ぶべきそのグループは (身近で仕事をしていくうちに、数々の矛盾やうそや事実の歪曲に気づき始める)(中略)手口の一部を見抜いている人々がいる(中略)だまされて危ない橋を渡り、身を滅ぼしていく被害者には、専門職の女性が多い
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潜在的攻撃性は、いわゆる脅迫性パーソナリティーともまったく異なる。完全主義できわめて几帳面、しかも筋の通った理屈を優先する人物、そんなタイプの人物のことならみんな本当によく知っているはずだ。 税金の申告書の代筆、あるいは脳外科医としてメスを握ってもらうのなら、こういった人たちの完全主義という特質は高く評価したい。 だが、なかにはその完全ぶりが強圧的で、度を過ぎた権威主義者として傲慢にふるまい、周囲の人を自分の支配下におこうとする者が存在する。
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善悪の観念の無い人間の集団があるとすれば、おそらくそれは、非常に長期間、周囲からはほぼ完全に孤立した、極めて閉鎖的な小規模集団で、血縁・地縁を基盤として発生した「掟」が、人間関係に浸透している場合である。このような集団にあっては、「掟」の存在自体を意識化し、その是非を考える契機がほとんど存在しない。
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行為の責任を問われたとき、「命令されてやった」と素直に言う被洗脳者に、倫理は機能していない。
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悪というものは、自分自身の罪の意識を拒否すること(中略)一人の邪悪な人間を見れば、基本的にはすべての邪悪な人間を見たことになる(中略)この専門家集団は、近親交配を続け、軍隊独特の価値観を強化し、そして、ふたたび自由に行動を許されたときには、ベトナムでみられたと同じように殺気だって凶暴化すると考えられる(中略)邪悪な人間の特性として、他人を道徳的に邪悪であると批判することがあげられる。自信の不完全性を理解できないこうした人間は、他人を避難することによって自分の欠陥の言い逃れをせざるをえない(中略)この事実をみれば、ここで言わんとしていることの意味がわかると思う(中略)そんなはずはないなどと考えることは、子供っぽい、非現実的な考え方である。
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感情のない怪物が、正常な知能によってそれと悟られずにいる(中略)彼らにないのは、他者の感情的なシグナル、とくに恐怖や悲しみといったシグナルに対する共感能力である(中略)ヘアはまた、上司が反社会的な人物であると知ることは生き残りに役立つと指摘している。「もっとも重要なのは、気づくことである」とヘアは言う。「気づきさえすれば、対処するうえで有利な立場に立てる」
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日本の組織について「責任の所在が不明確」といわれる理由の一つは、「我慢してやる代わりに責任は取らない」という考えが〝常識〟になっている
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誘導する少数がいるんです。それがわかると、全部わかるんです(中略)大体こういう話をすると、人間関係は壊れます(中略)企業が政府を管理するのはファシズム(中略)この人たちの帝王学の中に入っているのは、頭のいい人は暗殺するということです。というのはこのからくりがわかる人たちがいるとこまるから(中略)「ある年齢を過ぎて現実世界を知れば発狂する」というモーフィアスの言葉どおりなんですよ
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彼らは人間の行動を導く羅針盤とでもいうべきモラルを持っておらず、そのため、善悪の違いはわかるのに、その境界を超えてもいっこうに気にならないのだ。そういう意味で、彼らは社会規範や規則に価値があることを私たちに思い起こさせてくれる存在であると同時に、倒錯した自由の象徴でもあるのかもしれない(中略)実際、通常の物差しで測れば、彼らの行動の多くは悪魔のなせるわざとしか言いようがないかもしれない。
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怖いのは、こういう人たちが「抽象度の高いゴール」を持つ人たちを引きずりおろそうとすることです。 抽象度の低い人は、より抽象度の高い情報空間を見ることができないと先ほど説明しました。ゴールの抽象度も同じです。抽象度の低いゴールを持っている人は、より抽象度の高いゴールを持っている人のことが理解できません。つまり、「自分だけが嬉しいゴール、自分の煩悩を満たすためだけの自己実現」の世界で生きている人は、「社会的な、自分を超えたゴールの達成こそが自己実現」だと考えている人が理解できないのです。そもそもそんな人がいるわけがないと思っているし、もしそんなゴールを語る人がいたら「噓つき」だと思っています。自分より抽象度の高い世界は見えないのだから、当然です(中略)理解できないために、彼らにとって「抽象度の高い人」の存在は、とても居心地が悪く、不愉快なことです。そこから「奴らを引きずりおろせ」という発想が出てきて、誹謗中傷やさまざまな妨害が始まります───苫米地英人博士(著書名失念)
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「アパラチク」とは政府または党の機関専従員を指し、政治的な忠誠があまりに中心的な役割を担っていたため、現在ではその言葉が「必ず命令にしたがう組織の忠実な一員」を意味(中略)忠誠を求める同盟関係は必ずしも典型的な「政治」には見えないことに注意してもらいたい。わたしたちひとりひとりは、ヴェン図のように一方が他方に含まれたり部分的に重なったりしている多くの異なる集団のメンバーである(中略)こうしたさまざまな忠誠のあいだの拮抗が、政治を複雑かつ波瀾万丈にしている一因(中略)(※本書は)「政党」やリベラルか保守かといった「政治イデオロギー」を選んで焦点をあてようとしているのではない(中略)わたしたちは、正義の人の動機にくわえて、アパラチクの動機、すなわち自分を取り巻く集団に忠誠を尽くしているように見せたいという動機も心に抱いているのである。これこそが政治行動を解く鍵だ。結果に影響をおよぼそうとしているだけではない。多くの意味で、それはパフォーマンスなのである(中略)自分の身の回りのコミュニティが信じている政治的考えを採用するよう圧力をかけていることは間違いない。けれども、そうした圧力に屈するという状態は、一夜で作り上げられるものでは決してない(中略)同じ圧力が何年も何十年もかけてじわじわと続けば、自分の意見がゆっくりと周囲に同調したとしても不思議はない(中略)極端な例では、自分の考え方に対するそうした社会的影響に気づくことさえまったくないのかもしれない。自分の政治的見解が純粋に正当で、自然で、真実に見えるだろう(中略)優秀なアパラチク(※優秀な工作員)は知識が豊富で懐疑的な態度さえ見せる。ただしその懐疑心は必ず、自分の政治集団の神聖な教義を問いただす一歩手前で止まる(中略)説得は社会的プロセスである。そしてたいていの場合、敵が負けを認める可能性がまだまったくない時点で、無関心な第三者を納得させなければならない。※引用者加筆.
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あなたがまわりの人たちより物事をうまくこなすようになると、彼らは自分自身の業績や人生について疑問を抱きはじめる。すると取り残されたように感じ(意識的、もしくは無意識的に)あなたをもといた場所に押し戻そうとする。なぜ人は、それがたとえ友人でも、あなたを「もといた場所に」押し戻そうとするのだろう?動物も人類も、生まれつき集団内の自身の立ち位置を意識できるようにできている。カニの集団は、罠もしくはバケツから逃げようとする仲間を文字通り引きずり戻し、グループ全体を確実な死に追いやる。人間の場合、集団内のメンバーが、他を上まわる成功を収めたメンバーの足を引っ張ろうとする(中略)グループから、裏切り者扱いされる危険がある。あからさまなねたみや悪意、あるいは不健全な競争意識からネガティブな言葉を浴びせられることもある。ただ、自分が害のある否定の言葉を口にしていることに気づいていない人の方が多い。気づかいをしているつもりで、警告の言葉を口にする人もいる───「どうかな、サラ、きみが傷つくようなことんなってほしくないんだ」。
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コンフォートゾーン(※排他的な世界)ばかりを広げていく世界が現状維持の世界(中略)多くの悩みは現状を維持したいと思うからこそ起きることが多く、現状から抜け出すだけで解決することも少なくありません ※引用者加筆.
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我々は大人になるまでのどこかの時点で、しつこく疑問を問う習性を失ってしまうらしい。与えれた問題には正しく答えることばかりに焦点が当てられる正規教育は、なんとも罪深いといえる。社会評論家のニール・ポストマンはいまから数十年前にそのことに気づき、修辞的ではあるがいかにも彼らしい次のような疑問を問うた。「人間が身につけられるもっとも重要な知的スキルが学校で教えられないというのは、なんとも奇妙なことではないだろうか?」(中略)学生が質問することを阻み、探究を進めることを妨げるのは、「人間を独自の意思決定から遠ざける暴力行為である」(中略)「自分が操られていることに気づかない人は、自分の意志で新しい考えを受け入れたのだと信じようとする」
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「空気を読め」という同調圧力が支配する世間(中略)これは強者・権力者側から見ると支配にとても都合が良い(中略)日本的解釈の「無我」とセットになっている概念が、「寛容」である。寛容とはつまり、他者を許すことではなく、「我を貼るな」ということ
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信用の置ける人は、ただ情報を伝える。そして正確に事実を伝えようと努力する。反対にウソつきは、自分の言っていることは真実だと相手を言いくるめようとする。ウソつきは、事実を正確に述べるのではなく、「この話は本当だ」と懸命に訴える。ウソつきは、事実に頼れないため、一見、真実に見えるような話を利用し、自分は信頼に値する人物だと見せかけようとする。「だって、本当のことを言っているから」以外の返事が返ってきたときには、「それでは質問に対する答えになっていない」と指摘し、「どうして君を信じなくちゃいけないんだ?」という質問を繰り返そう(中略)「イエス」か「ノー」の返答を求める質問をしているのに、相手が「まあね・・・・・」「うん・・・・・」とあいまいな返事をしたら、それはたいていウソだ。質問者の期待とは異なる返事をしなければならないとき、相手は返事をごまかす
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「心にとばりがなく」というのが、原語のニュアンスでいう「無」(中略)ブッダは「二ティヤ(恒常)」や「アートマン(我)」を否定する際には、「否」を意味する「ア」もしくは音便変化の「アン」を用いた。これが漢訳仏典で「無」と示されたのは、その段階では「無」にも否定のニュアンスがあったからだろう。しかし、中国では道教でも「無」という概念を用いるため、ブッダの「否」と道教の「無」が混同されてしまったきらいがある。かくして、今の日本で「無」は、否定ではなく「しない」という意味に引っ張られている(中略)日本社会での解釈により、「無」は本来のニュアンスからまったく逸脱し、むしろ正反対の意味に理解されがち(中略)日本人にとっての無とは、依存であり、現状維持であり、抽象化による逃避である。結論を先に伸ばしてベールで覆い隠し、「見ない・言わない・聞かない」の「無い」に逃げ込む。それが、日本人の「無」(中略)日本で考えられているここでの「無」が意味するところは、「否」つまりアンチやノーではなく、ポジションを持たないという状態である。「ニュートラル」というと聞こえが良く、一見自由かもしれないが、あくまでも枠組み内での猶予に過ぎない。広い目で見ると結局は、「保留」という先延ばしの状態に束縛されている、不自由な状態
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あきらかに間違ったことを述べている場合でも、相手の顔を立てながら、さりげなく間違いを正すようにする
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ある領域に対して実用的で結果重視の立場をとっているとき、人は新しい情報に冷静に対応する傾向がある。例えば食料品を買う、旅行の荷物を詰める、誕生日パーティーを計画するなど、生活の多くの場面で私たちは毎日そうしている。そのような実用的な領域では、自分の考え方を変えてもそれほど恥だとは思わない。ところが、自分の考えが非実用的な領域に関わっているときは、批判から自分の考えを守るために感情が前面に出てくることが多い。
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唇をすぼめないかどうか注意して観察してほしい(中略)唇をすぼめたら、ただちに説得にかかること(中略)相手に恥をかかせてしまうと、友好関係にひびが入る(中略)聞き手がネガティブな反応をしたにもかかわらず、気づかずに話し続けてしまうと、聞き手が怒りを爆発させる。
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まばたきの回数が多いということは、相手が自分の話に納得していないということ。
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議論が衝突へと発展していくと、これから紹介するような言葉を使って会話を打ち切ろうとする人が現れる(中略)「とにかく決まりなんだ」と言えるものなどこの世に何一つない(中略)もしあなたが 「君にはわからない」と言われた場合は、相手の目を見て、丁寧にこう言えばいい。「きっとわかります。あなたがきちんと説明さえしてくれれば」(中略)もっと踏み込んだ質問を続け、相手が信用できるかどうか、見きわめるといい
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無邪気な人々は、相手が見たところ邪悪な人間に思えたとしても、こちらが忍耐と理解と同情をもって模範を示せば話が通じるようになると信じている。認識能力の異常や感情面でのアンバランスさといったものをそういった無邪気な人々に説明するのは、盲人に色を説明するようなものかもしれない(中略)何もかもうまくいっている成功者に見えながら、実はひどくゆがんだ人格をきわめて巧妙に隠している人間が、ごく少数ながら存在する(中略)無意味な拷問といったおぞましい行ないをしうることを、ふつうの人間は信じられないからである。
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マトリックスとは、簡単に言えば、「欲望のからくり」「無明の支配」といったような意味です。映画「マトリックス」同様、そのからくりに支配されながら、自分が支配されているそのこと自体に気づかず、そのようなからくりが存在している事実も見破れず、自分の首を絞めながら、「俺は自由だ、自分でしたいことをやっているだけ」と錯覚してしまっている
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私がこの本を書いたのは、数十年にわたる訓練と勉強の経験から学んだことと被害者の話から学んだことを読者に伝えるためだ。そしてこれを伝えたいと思ったのは、読者が私と同じ訓練を受けていないことがわかっているから、そして読者は隣にいつも警官やメンタルヘルスの専門家を置いて助けてもらうことなどできないからだ。そんなことをできる人はいない(中略)恐ろしい犯罪が発生したあと、記者が近隣の人に容疑者は「どんな人でしたか?」と尋ねると、「いい人でしたよ」という意味の言葉ばかり返ってくる場面をどれだけ目にしただろうか(中略)善良さを見極めるときには、行動の背景にある意図を見極める。子どもたちにはぜひ、そのちがいを教えてほしい(中略)危険な人格の持ち主と関わった人に起こることのひつに、私が「大覚醒」と呼ぶものがある(中略)ほとんど失望しているのだが、あまりにも多くのものを費やしてきたから、なんとかうまく解決しようとし続ける───そして最後にようやく、この関係に対する希望がかなうことはないと気づく。それを大覚醒と呼ぶ
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本性を暴くには、さまざまな状況での行動やさまざまな人間との対応がもたらす長期の影響を観察するしかない。
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教訓とはつまり、しばしば人の行動を決めるのは、その人がどういう人物かということではなく、その人がどういう状況に置かれるかということなのだ、ということである。
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不当な命令を拒否する成熟した判断力を持つべきである(中略)行為が選択外のものに左右された結果だと主張する人は、悪の現実の姿と、人間の心理を証明する事実のいずれをも無視している(中略)だれかが間違っているのである。どちらか一方あるいは双方がその責めを負うべきである。どこかで間違った選択が行われたのである。これは肝に銘じておくべき重要なことである(中略)われわれが凶悪になるのは、まさしく、自分自身にたいする理解力をわれわれが持っていなかったからほかならない。ここでいう「理解力」とは知識のことである。われわれは無知から凶悪になる(中略)いささかの知識も持ちあわせていなかったのである(中略)知らなかった、というのが現実である(中略)なぜ、こういうことが起こるのだろうか(中略)どうして起こるのだろうか。その答えは単純なものである。国民としてわれわれは、あまりにも怠惰なために学ぶことをせず、また、あまりにもごう慢なために学ぶ必要すら意識していなかったのである(中略)自分のものの考え方がいかなるものであれ、それが正しい考えだと信じこみ、それ以上調べてみようともしなかったのである(中略)また、よく考えもせずに、自分のしていることがなんであれ、それが正しいことだと思っていたのである。自分たちは間違ったことをしているのではないか、と真剣に考えることができないほど、われわれは間違ったことをしているのである(中略)集団のなかでは責任が分散され、大規模集団のなかでは事実上責任が消滅してしまうこともある。大企業の場合をとりあげてみると、社長や取締役会会長ですらこう語ることがある。「私の行動は全場面に倫理にかなったものとは言えないかもしれないが、しかし、結局のところ、私の行動は私自身の権限によるものではない。私は株主にたいして責任を負わなければならない。株主のためを考えれば、利潤動機によって動かざるをえない」。 だとすると、企業の行動を決定するのはいったいだれなのだろうか(中略)このように、組織というものは、その規模が大きくなればなるほど顔のないもの、魂のないものとなる。
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世界には、セレンディピティとその反対のクラバーリングという、よく知られた現象がある。セレンディピティとは、二つの無関係の過程が偶然に衝突して幸運な結果をもたらすことであり、クラバーリングとは破壊的な結果を招く偶然の衝突を指す。
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彼らの活動を根本的に自己犠牲と考えるのはやめたほうがよいだろう。なぜなら彼らはそばにいる仲間から大きな評価を受ける立場にあるからだ
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情報が広まるにつれて、テイカーはいまある関係を断たれるだけでなく、新たな関係も築けなくなる。情報を手に入れた人びとはたいてい、テイカーを信頼しなくなる。
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人を動かす達人は、人々の自尊心がたいへん傷つきやすいことを肝に銘じて行動する。だから特殊な状況でないかぎり、相手に恥をかかせるようなことはけっしてしない(中略)相手を笑いのネタにしてはいけない。どうしても笑いのネタが必要なら、それは自分自身にすべきである。
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実際に、人々に社会に役立つ行動を起こさせる効果的な方法の1つは、彼らが価値を置くことと彼らの行動の間の矛盾を顕在化させることだ(中略)人は加齢とともに一貫性に対するこだわりが強くなっていく
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ブラック企業の労務管理には「心神喪失状態」が織り込まれている。「心神喪失状態」でこそ無理な命令も無理ではなくなる。従順な機械ではないけれど、主体的でもない。異常な精神状態で、目の前にある業務に向き合い続けるのである(中略)「異常なものを異常なままに」継続させるメソッドになっているのである(中略)彼らは考え抜いて「訴えにくいように」作戦を練っているのだ。特に悪質なのは、「裁判には費用が掛かるから、争うことはできないだろう」と見積もって行われている違法行為(中略)私はこうした「争う力の格差」を利用した脱法行為について「費用の政治」と呼んでいる。いざ争いとなった場合には、争いにかかる弁護士などの費用、生活費など、どれだけ負担できるのかが勝負の分かれ目になるからで、新卒労働者など、全くと言っていいほどそうした力を持っていないのが実情である。争う「費用」をどれだけ負担できるのかで、法律上の「正義」が実現されるのかどうかが決定づけられてしまう。残念ながら、これが「法治国家」日本の実情(中略)価値観の転倒が生じると、そこからの撤退はむしろ敗北となり、「自己否定」となる(中略)結論から言えば、被害者の多くはブラック企業に積極的に入社し、また自ら「辞めない」で働き続けている。
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虐待を受けた人でBPDなどになっている人の脳を検査してみると、実際に大脳辺縁系の海馬などの萎縮がはっきりと見られます(中略)そうなんです。 心の傷(トラウマ)は脳も傷つけるわけです───福島学院大学 星野仁彦教授(著書名失念)
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「ブラック企業は、よく「みんな」という言葉を使いたがりますよね? 『大変なのはおまえだけじゃない。みんな我慢している』とか、『そんなこと言っているのはお前だけだ。みんな文句も言わずにがんばっているぞ』とか。そういうときに、『〝みんな〟って誰のことなんだろう? 』と立ち止まって考えてみるんです(中略)ブラック企業に勤め続け、会社の人間関係がすべてのような状態に置かれると、以前はもっていたはずの正常な判断力が、知らず知らずのうちに奪われていく(中略)ブラック企業のブラックな論理にさらされすぎると、ブラック企業の歪んだ価値観を正当化したり、極端に自罰的になってしまう人も多いため、一番読んでほしい相手が手にとってくれないことを書いた側としては心配している。
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自己の統一性に欠陥や乱れのある患者を研究すると、人間であるとはどのような意味なのかを、より深く洞察することができる。もし私たちがそれに成功したら、進化史上初めて、一つの生物種からの過去を振り返ってその起源を理解し、さらには、その理解をしている意識のある動作主とは何なのか、あるいはだれなのかを解明したことになるだろう。そのような旅は、その最終結果がどんなものになるかはわからないが、人類がこれまでにのりだしたなかでもっとも偉大な冒険の旅であることはまちがいない。
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国益のためなら「国家の嘘」は許される(中略)現行の法律は、重大な国益のためなら「国が嘘をつく」ことを認めている(中略)極端な話をすれば、「国の重大な利害」という建前があれば、真相を追求せず、闇に葬ることすら許容しているわけです。情報統制をして情報の一部を公表せず、陰蔽することも許されます。少なくとも現行の法制度上は、そういう解釈が成り立ち得る(中略)なお国が嘘をつくというのは正確ではありません。刑事訴訟法では「国の重大な利益を害する場合」を判断するのは、各監督官庁、衆議院、参議院、内閣とされています。そうした官庁等を現実に動かすのは政治家や官僚。つまり国のためなら政治家や官僚の嘘は時として許される(中略)無実の人間は、自分が疑われているということに本当に怒っているので、それがずっと持続する傾向にあります。逆に嘘をついている犯人は、演技として怒りの表情を一時的に作るにすぎない。内心は焦りや不安に満ちていますから、その演技をずっと続けることが難しいのです。
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ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで最近行われた研究によると、不確実性が高まるほど、その状況にいる人のストレスも高まるという。研究リーダーのアーチー・デ・バーカーは、「ショックを受けるかどうかわからないのは、絶対にショックを受ける、または絶対に受けないとわかっているよりも、はるかにストレスの大きい状況だと判明した」と報告している。つまり、何が起こるかわからないという状況は、悪いことが確実に起こるとわかっている状況よりも、ストレスが大きいということだ。
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もし不快な状況が意図的に計画された卑劣なものだと気づいたら、相手の意図にはまるで気づいていないようなフリをしながら、その状況を指摘することだ。相手を責めることなく、その状況に対する客観的な説明をするのがポイントだ。
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気がついたら、社員同士が互いに啀(いが)み合い、悪口合戦を繰り広げる状況が生まれている。こういう時にこの悪口合戦ゲームに〝参加していない〟のはサイコパシーだけである。
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サイコパスのとった行動は、あなたの落ち度ではない。あなたの責任でもない。あなたが責任をとるべきものは、あなた自身の人生だ
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潜在的攻撃性パーソナリティーはあの手この手を使い、相手を一段劣った地位にとどめておこうとする(中略)このパーソナリティーの持ち主が社会のルールに服従しているのは、規範や権威を心から尊重しているからではなく、そのほうが世渡りのためにはつごうがいいからにすぎない。他人を傷つけても正当化でき、逃げおおせるとわかれば、ルールを踏みにじったり、人に対しても理不尽な仕打ちを加えてきたりする(中略)ポイントはただ三つ。「一に地位(ポジション)、二に地位、三、四がなくて五にも地位」なのだ(中略)自分たちの本当のたくらみや攻撃意図を他人の目から隠すことにとにかく必死だ。自分が観察されているとか受け身の立場にあるなら、彼らも礼儀正しく節度をもってふるまうだろうが、しかし、ひとたびそうした立場から逃れたと判断したら話は一変する(中略)攻撃性パーソナリティーは断じて敗北を受け入れようとはしない。敗北は支配的な地位と力の喪失を意味(中略)加えた攻撃について、それはわざとではないと相手に信じ込ませ、非難されるような行為はしていないと被害者を納得させるときに用いるのが「無実を装う」という手口(中略)〝しらばっくれる〟ことによって、自分に向けられた相手の詰問の正当化を疑うようにしむけたマニピュレーターならではのやり口だ。
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「任侠」ということばは、強者をくじき弱者を助ける気性が強いことを指し、「仁義」というのは、任侠と義侠からできたことばだといわれている。
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儒教には「仁」という考え方がある。儒教の中で中心に置かれる徳目の一つ(中略)やくざの仁義は同じ組織の中だけで通用するものであり、他の組織との間には仁義は存在しない。このように、仁とは身内にだけ通用させ、それ以外の人間との関係には適用しないものなのである。実は閉鎖的で、身内さえよければという考えに至るのは必然(中略)日本における仏教(以下、「日本仏教」と呼ぶ)は、伝来当初から、儒教的差別思想をたっぷりと内包していたと言える。だから、日本仏教は差別的な行為を堂々と行っていたのである(中略)支配者層に対しては儒教が、被支配者層に対しては日本仏教が、それぞれふんだんに差別思想を埋め込み、日本の身分制度を支える基礎となっていったのである(中略)日本人はすでに儒教という宗教を心の中に持っている。すでに「儒教」という「信仰」を持っている人に、いくら科学や哲学の「信仰」で物事を説明しても、キリスト教原理主義者が進化論を「神の思し召し」と一蹴したのと同じ結果を招くだけである。そこで私は、いわば暫定的な対応として、「心の教育」に仏教を使うことを提案する。もちろん本来の釈迦仏教である(中略)そして、もう少し日本社会が成熟してきたら、というよりも、儒教の洗脳から解かれた段階で、科学と哲学の用語のみを使って「心の教育」を行えばいいと考えている。
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『墨攻(ぼっこう)』 という、日中韓合作の映画があります(中略)主人公のアンディ・ラウが、たった1人で、ある小国を敵の大群から助ける物語です。
墨子の学派(墨子を祖とする学派、墨家)は論理概念を重視し、なかでも必要十分条件、矛盾律(無矛盾性の原理)、排中律に着目していた。
「のみこみの悪い人」のような人材は、他人の意見に左右されることなく、自分が正しいと思うことをやる。こういった人材は会社や上司、同僚をひどく怒らせ、周りから拒否され、怒鳴られても、それでもなお、多彩なアイデアを出し続け、それを試すことを求める。このような反抗的な頑固者は、会社や上司、周りの人間の「間違いを証明する」ことを無上の喜びとし、粘り強く物事に取り組む
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教えがまさに実践されたことだけが重要なのであって、個々の実践者の身の上などは、どうでもよいのである。どこの誰がどんな事情で修行しようと、そんなことは一切無意味だ。
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脳は絶えず変化に注意を向けるよう進化しており、予想外の出来事を探すことに喜びを感じるようになっている。つまり、基本的には予想どおりだが、時折、軽く予想を外して肩透かしを食わせるような音楽に私たちは心を惹かれることになる
リハビリと健康維持のための新曲を作りました。ご活用ください。
関連リンク↓
https://note.com/wandering_1234/n/ncd2c559704a4
https://note.com/wandering_1234/n/n885e64e551ed