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権力に近づいた瞬間、慈悲は消えます

仏教的な愛を語るときにもっともポピュラーなのは、「マイトリー」(相手を喜ばすこと) と「カルナ」(相手の苦しみを癒すこと)です。もともと二つだったこの概念は、お経ではふだん「慈悲」と訳されています───曹洞宗の禅道場 安泰寺 ネルケ無方住職(著書名失念)

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情報分析官

マインドフルネスとは簡単に言えば、自分の脳がやっていることを観察する力のことだ

情報分析官

フォースを活かすには、何よりもまずその力を信じることが大切だと説かれています(中略)進化論を覆す発見をした日本人科学者がいます(中略)木村先生が唱えたのは、「中立進化論」といって、分子レベルの進化はダーウィンの適者生存だけではなく、生存に有利でも不利でもない、「たまたま幸運に恵まれたもの」も残っていくという説です(中略)これらのたまたま生き延びることができた運のよかった「家族」を、生物の「種」に当てはめて考えたら「運者生存」が理解できるのではないでしょうか(中略)そう考えると「運者生存」は理にかなっている。つまり生き残るには「運」という、スターウォーズ風に言えばフォースのようなものが必要なのだということがおわかりいただけたと思います。

慈悲深い人は空想上の産物(中略)慈悲を実践する上でのポイントは、前頭前野で考えてまずは行動することです。そのとき、とにかく自分のためにならないことをするべきです。自分から遠ければ遠いほどいいのです(中略)「自分のところに返ってこない。だったらやる」。それが慈悲行為だと思っています。もちろん、「かわいそう、助けたい」という情動が動機ではありません。感情・情動を起点とした行動は、慈悲っぽくても慈悲ではないし、あまりよいことになりません。寄付をしまくっているお金持ちの有名人は、案外いると思います。たいてい、「かわいそうだから」というウェットな同情からではなく、「お金があるから必要な人に使ってもらおう」という感じで淡々と配ります。テイストから言えば、そういうのが慈悲です(中略)臨場感を「コン」といい、それに対して相手と同じように認識してあげるのが「パッション」(中略)コンパッションは、それをどうやって解決するかがテーマ(中略)瞑想はもともとIQを上げるために存在(中略)(※コンパッションとは)どこのだれよりもIQ高く行動できるような頭を使うこと(中略)パッションはかつては、実はキリスト教の「受難」(中略)パッションの語源はギリシア語のパトス pathos、ラテン語のパッシオ passioに由来しています。「他から働きかけを受けること」を意味する言葉(中略)慈悲を語っているのが悟っていない人だからこその間違い(中略)「コンパッション: compassion 慈悲」(中略)「パッションを共にする」こと、上から目線でなくつねに隣の人と同じ目線で一緒に情動をともにすること(中略)慈悲とは反対の利己的な世界はどのようなものでしょうか。欲の世界です(中略)慈悲は瞑想するようなものではありません。ここまでお話ししているように、行動です(中略)放っておいても慈悲は生まれない(中略)現代のコンパッションは「一緒に幸せになりましょう」です(中略)ポイントは、幸せな気分は幻想だとわかっていることにある(中略)瞑想は何のためにやるかというと、この世は幻であるとわかるためにやる(中略)瞑想は慈悲を実践するにあたってのシミュレーション(中略)権力を持つと慈悲は成立しません。権力に近づくこと自体が「自分は人の上に立ちたい」という欲求だからです。権力に近づいた瞬間、慈悲は消えます(中略)(※慈悲は)放っておいたらけっして起きないレベルのもの(中略)(※慈悲は)よほど興味がないと無理(中略)とにかく、権力から離れようと思うべきです。上に上がるのではなくて下に下がろうとするのです。それを修行と言うし、それが慈悲の世界です。※引用者加筆.

大半のサイコパスは暴力的ではないのだけれども、彼らはしばしば他人の傷にはほとんど無感覚で応答し、まさしく気にさえしてない。しかし何か、あるいは誰かに対する気遣いを多くのサイコパスは口に出す(中略)サイコパスは人を憎まない、サイコパシーの人はこころの理論ではなく、共感が欠けている。共感(enpathy)を欠いても同感(sympathy)はそれでも可能である。

共感 empathy を「自分以外の誰かの痛みを感じ、理解する能力」と定義する(中略)共感の定義で私が特に気に入っているものはいくつかあるが、その中でも、自己啓発のカリスマとして知られるアメリカの教授ブレネー・ブラウンの定義「共感とは人とともに感じること」(中略)共感が何であるかはすでに定義したけれども、何でないかも明確にしておく必要がある。共感 empathy とは、誰かの痛みに気づいていることや、痛みの存在を認めることではない。それは哀れみ pity だ。もう一歩進んで、誰かの痛みを気の毒に思うことは、同情 sympathy。また、誰かの痛みを和らげたいと望むことは、思いやり compassion で、理想をいえばそこから何らかの好意的な行動が導かれる(中略)研究では医師と医師ではない人の頭部に電極を装着し、痛みを伴う刺激が加えられている様子を見せて、その際の脳波をモニターした(中略)針が刺さる動画を見せられると、対照群(医師でない人)では平均的な脳波の活動が現れた。一方、医師には情動的興奮の低下が認められた(中略)これは経験によって身についた反応で、おそらくは医療従事者にも見られる共感疲労、あるいは精神疲労一般を軽減する上で重要なのだろう。個々の患者さんの痛みに本能的に反応せずに済めば、その医師の脳内では認知に関わるスペースに空きができ、患者さんを助けるために自らの知識とスキルを使えるはずだ

動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールが著書『共感の時代へ』(紀伊国屋書店)で書いているように、「利己的か利他的かで分けることは、根本の問題から注意をそらすためのものかもしれない。なぜ自己を他者から、あるいは自己から他者を引き離そうとするのだろう。この二つを一体化することが、人間の協同性に隠された秘密であるというのに」

年を取るということは、経験値が上がるということです。ちょっとやそっとの刺激では、感動できなくなる(中略)年を取ると感動が薄れる。衰えではなく経験値が上がったのです(中略)経験を積んでいくと次第に慣れてきて、感動が薄れてしまうのです。

私たちは自制心に抑えこまれずに人生を生きていくことに憧れを感じながら、一読者、あるいは一聞き手としてサイコパスと自分を重ね合わせているのだという───司法精神科医ロナルド・マークマン博士

「人が抱く感情は人それぞれ違う」という事実を認識し、どの状況でどの感情を抱く可能性が高いかを理解できる能力(中略)「認知的な心の理論」と「感情的な心の理論」を区別して考えることは、精神病質者(サイコパス)を理解するうえで非常に重要だ(中略)俳優や小説家が、他者の視点から考える力がずば抜けて優れていることを思うと、彼らはきっと、その力を高めるスキルを教わり、練習して身につけてきたに違いない(中略)他者の考えや感情を読むのに長けているのは、その文化を通じて日々訓練しているからにほかならない(中略)俳優や小説家も例外ではない。読者や観客の視点で考えることのできる彼らの才能は、他者からの膨大な指導やフィードバックの結果であり、長年にわたる訓練の賜なのだ(中略)小説を読むこと自体に効果はあるが、何年にもわたって膨大な数を読まなければ効果は現れない、というのが本当のところではないかと思う(中略)正解を事前に知っていれば、テストで高成績を収めることに不思議はない。だが、これこそがいちばん大事なことなのだ。事実を集めない限り、事実を正しく把握することはできない(中略)結局、事実を集めることだけが、互いを理解するための確かな方法なのだ(中略)「認知的な心の理論」に関していうと、サイコパスのその能力は、サイコパスでない人と遜色がない。彼らは、他者が考えていることを読み取ったりどう考えるかを予測したりする

悪い子(健忘症の大人)は、良い人の話を聞くことも、良い人が書いたものを読むこともできない。良い人の話を聞くと、コルチゾールというストレスホルモンが分泌されるからである。したがって、がんなどの病気の治療で大切なことは、良い子になろうとすることではなく、健忘症のケアに気を配り、健忘症であることを自覚し、対処する方向に向かうことである。甲田光雄医師は生前、「最悪の病気、周囲に迷惑をかける病気は認知症(健忘症)である」と。健忘症の人々(中間層の90%)は、社会病質者(ソシオパス)に扇動されれば、何も考えずにどんな悪事も行う。そのような状況に無給で対処せざるを得ない人々をサイコパスと呼ぶ。映画『寄生獣』では、健忘症を誘発させる人々、またオキシトシンという戦争ホルモンに引きずられてとんでもない悪事(ソンミ村での虐殺のような)を働きやすい人間像の特徴として、教師、妊婦、政治家、警官が使われている。がんの治療に話を戻すと、つける薬がなく、死ななければ治らない病気と、がんという病気は違うということを理解することが重要である。

https://note.com/wandering_1234/n/na39b17f3093c

https://note.com/wandering_1234/n/n0cb314ab2bfb