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日【人生最後の仕事】40/53
毎週日曜日は、
人生最後の仕事に関しての内容です。
日曜日に関しては
人生で最後にする仕事を一緒に考えませんかという
ことを呼びかける、提案する日です。
「人生の最後にやること」を決めようと提案する理由について、
5 回に分けて書いていきます。
1週目:人生の納得感を考える
2週目:最後の時について考える
3週目:楽しい事につながる可能性を考える
4週目:日本文化を高める事を考える
5週目:人間の歴史と発想を考える
というタイトルで書いていきます。
今日は
1 週目:「納得感を考える」です。
人間含め生物は通常例外なく死を迎えます。
死ぬ瞬間に自分の生きた時間について後悔するしないは、その時にならないと分かりません。
平凡に生きたなりに意外と納得がいくのかもしれない。
しかし、そうではないかもしれない。
ただ、
年を取り、老年になった後で
健康を大事にすべきだった、
また、やりたいことをやらずに老齢になったなど、
ネットニュースのアンケートなどを目にすることがあります。
そういうことを見聞きした時に、
思うことがあって、
これは死ぬ前に改めて後悔するような内容ではなく、
「あの時の若さ」があればできるのに今はできないという思いからくることのように感じるのです。
本当は、
多分年齢を重ねても「本心からやりたいこと」であれば「やる」のだと思います。
リタイヤする前に準備して、リタイヤしてから勉強を始めてもいい。
死ぬ一週間前に新たな分野の勉強を始めてもいいと思うのです。
その意味は、各個人の中にだけあるので。
別にやりたいならやったらいいと思う。
ただ、
もう本当にそうも言っていられないくらい
体が辛くなるということもあると思います。
そうしたら、とにかく何はともあれ「体」と向き合うことになります。
とにかく死ぬまでは生きるしかない。
自分の本当に最後にやりたい「研究」を今からやろうというのは、
死を目の前にして後悔が残るからとか、そういうことではなくて。
生きる時間の中で「本当に自分はこのことに対して探究をしたい」と言えることに
向き合わずに生きた自分に体がいうことを効かなくなった段階で納得できるのか?
という、理由が大きい気がするのです。
バックパッカーを若い頃にやったことがあります。
まあ、年を取ってからできるかといえば出来ないだろうなと思ったから、
結構迷いなく出発をしました。
思うような結果でなかったとしても、
やったことに対して、あれはトライしてよかったなと思える思い出に対しては
スッキリした気持ちでいられることは、
生きてる間の役得です。
人生の最後にやりたい「研究」をしようというのは、
自分の中の探究したいテーマを
細く長く追いかけていこうということです。
一回の行動をしてやりたいことではなくて、
どんなものでもいい、
触れていて自分らしいと思え、
自分のエネルギーを注ぎ続けることに意味を感じるものを
生活のそばに置くのです。
それは、
いざ急に近くに死が寄り添ってきた時にも、
自分はもっとやりたかったが、
向き合うべきことに向き合えたと自分に言えるような気がします。
納得は、
「大切なものを大切に出来たか」が問われるので、
ただの媒介である「お金の大小」は多分まったく関係ないでしょう。
研究は、
机とノートと歩いて本屋に行ったりネット検索すればスタートできるからです。
生活のバランスは大事です。
だから、細く長く。
少しだけ本心に寄り添って、
長い目で好奇心と共に歩むということが大事だと思います。
もちろん、
生活の全てを自分の興味に全振りできる人は、
迷うことなくしたらいいと思うのです。
ただ、
自分も含めて
いわゆる普通の生活を愛している凡庸な人間にとっては、
自分の本心から好きなものに対して、
有限な命の時間を注いでいることが一番自然な姿のような気がします。
自分の中にある本心に対して敬意を払うということは、
スッキリと死ぬために大切なのではないかと思っています。
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