犬の避妊・去勢手術。麻酔が怖いという方のためのお話。【獣医師監修記事】

犬の避妊去勢手術には必ず全身麻酔が伴います。麻酔というと死亡事故が起きたり、死なないまでもその後の病気のリスクが上がるといった話を耳にすることがあるかと思います。麻酔は本当に怖いものなのか?について解説します。

犬の避妊去勢手術の麻酔について

しほ先生「とうの先生こんにちは。今日は「犬の麻酔」についてお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。」

とうの獣医「こんにちは。よろしくお願いいたします。」

しほ先生「これまでの記事で「避妊去勢手術」や「乳歯抜歯」についてのお話をしていただきましたが、どれも全身麻酔が必要とのことでした。まず、全身麻酔とはどういった方法なのでしょうか?」

とうの獣医「はい。全身麻酔とはその名の通り、体全体に麻酔を施すことです。鎮静によって意識がなくし、筋肉を弛緩させ、鎮痛を同時に行う方法です。麻酔ガスや注射麻酔薬を使います。」

しほ先生「歯の処置など、人なら局所麻酔で済むようなことも、動物では全身麻酔をかけないといけないのですよね?」

とうの獣医「そうなんです。動物は処置中、人間のようにじっとしておくことが非常に困難です。処置中に動くこと自体が危険なだけでなく、処置中に意識があることは心的外傷(トラウマ)にもなりかねません。その両方を解決し安全に処置を進めるために、全身麻酔という方法が必要になるのです。」

しほ先生「早速、気になる本題をお聞きしたいのですが、「麻酔は死亡事故が起きたり、後遺症が残ったりすることがある。」と聞くことがありますが、これは本当ですか?」

とうの獣医「残念ながら、事実です。人間でも動物でも麻酔に関係した死亡が起きることが報告されています。
獣医療での麻酔関連死の研究・報告数は十分とは言えませんが、海外で行われた大規模調査の数値が、麻酔の説明の際によく使われるので、そちらを紹介しますね。」

麻酔での死亡率

麻酔をかける際には「ASA分類」という全身状態の評価を行います。「Ⅰ」が健康(避妊去勢手術など)で、「Ⅱ」が軽度の疾患、「Ⅲ」重度の疾患とリスクが上がっていき、「Ⅳ」が死に至るほど重篤、「Ⅴ」は手術にかかわらず24時間生存ができない状態です。

このうちⅠ〜Ⅱの「健康な犬」での麻酔関連死は0.05%、Ⅰ〜Ⅴ全体では0.17%と結果が出ています。

しほ先生「ということは健康な犬の避妊去勢手術の分類が「Ⅰ」なので、0.05%、2000頭に1頭の確率で麻酔によって亡くなるということですか?」

とうの獣医「この調査上ではそうですね。ただし、避妊去勢以外にも「Ⅱ」の軽度の疾患が含まれていることと、調査の年代が10年以上前であること、調査自体は海外で行われていることも心に留めておかないといけません。

この数値が絶対という意味ではないですね。獣医の麻酔専門医のによると、避妊去勢手術の麻酔関連死亡率は0.01%ほどというデータもあるとのことです。1万頭に1頭ということですね。

これは人が交通事故で3〜4年のうちに死亡する確率とほぼ同程度です。毎日手術をしている獣医師でも一生に一度あるか無いか、という程度の確率でしょう。」

しほ先生「数値だけで考えると、麻酔より交通事故の方が怖いような気がしますね…。そして、昔に比べると、今はより安全に麻酔が受けられるということでしょうか?」

とうの獣医「断言はできませんが、日本の獣医療は目覚しいスピードで進歩し続けています。小さな一般病院ですら検査機器が置いてあるので、大きな持病があるかどうかの術前検査がほとんどの場合、院内で可能になってきています。
海外の先進国と比べても、日本の動物病院の検査体制は非常に整っていると言えます。それでいても、やはり人間に比べると麻酔関連死の確率は高いのは事実ですね…。」

しほ先生「なるほど。検査機器が整っていても、なぜ死亡事故が起きてしまうのでしょうか?」

とうの獣医「検査では見つける事のできない基礎疾患がある場合もあれば、手技の問題もあります。あとは、一見健康であっても特に気をつけないといけないのは鼻の短い犬種「短頭種」ですね。パグやフレンチブルドッグ、シーズーなどです。」

しほ先生「鼻が短いと麻酔のリスクが上がるんですか??」

とうの獣医「はい。短頭種は元々長いはずの犬の鼻をクシュっと縮めたような形になっているので、鼻の中の空気の通り道が異常に狭いのです。そのせいで口の中にも、体の中の気管などにも異常が出る「短頭種気道症候群」を生まれながらに患っていることがあります。

気道に異常があるということは、空気の出入りがうまくできず、酸素の取り込み、二酸化炭素や麻酔ガスの排出がうまくできなくなってしまうことがあります。つまり、普段からまともに呼吸ができていないんですね。」

しほ先生「それは怖いですね…。でも、そもそも全身麻酔をしたらどんな子でも呼吸も自分でできないのではないですか?」

とうの獣医「はい。麻酔の深さにもよりますが、自分で呼吸する「自発呼吸」がなくなることもあります。なので、全身麻酔をかけるときは気管チューブを使って気道を確保し、必要に応じて人工呼吸器で呼吸を補助します。 
短頭種はその気管チューブも入れづらいなど問題はありますが、通常、呼吸が補助できている間は麻酔は安定しています。
ただ、気管チューブを入れる前と手術後の気管チューブを抜くとき、抜いてしばらくの間に呼吸がうまくできないことがあり、格段の注意が必要になってくるのです。」

犬に麻酔をする事で起きるリスクと対策

しほ先生「呼吸以外に麻酔をかけると影響があることはあるのですか??」

とうの獣医「いい質問ですね。麻酔での体の変化と、それらに対して病院で行う予防策や処置を下に簡単にまとめてみました。」

麻酔で起きる主な体の変化とその対策

  1. 呼吸が弱くなる。(またはできなくなる。)
    ▶ 人工呼吸器。

  2. 心機能が弱くなる。
    ▶心臓に作用する薬を使う。

  3. 出血などで血の巡りが悪くなる。
    ▶輸液(点滴)。輸血。

どれも、最初から起きる可能性があるとわかっていますし、麻酔中は常にモニタリングをしているので、準備をしておいて迅速に対応します。(輸血は人間のような公共の血液バンクがないので難しい場合もありますが、避妊去勢手術で大量出血することは滅多にありません。)

とうの獣医「このほかにもあらゆる事態が想定されますから、麻酔は一瞬たりとも気を抜けません。特に目覚めてからの3時間に麻酔関連死が多いという報告がありますから、その時間は病院でしっかり経過を診ていかないといけないですね。」

しほ先生「麻酔では常に色々なことをケアされていらっしゃるんですね。しっかり診てくれていることがわかるだけでも安心です。後遺症はどうなのでしょうか?麻酔後に体調を崩すこともあるんですかね?」

とうの獣医「はい、あり得ます。麻酔中は一時的に血流が悪くなる可能性があるので、全身の臓器に影響が出ないとは言えません。若くて健康な動物であれば、気にする必要はない程度ですけどね。
ただし、持病がある場合は要注意です。例えば、肝臓病や腎不全、肥満は麻酔のリスクも上がるし、麻酔後も注意が必要になります。」

麻酔のリスクを上げてしまう原因

麻酔のリスクを上げてしまう原因をいくつか紹介します。
・短頭種
・肥満
・肝臓病、腎臓病などの主要臓器の持病

など

しほ先生「麻酔が100%安全ではないことは分かりました。では、私たち飼い主は麻酔をかけてもらう時、何に気をつけたらいいのでしょうか?」

とうの獣医「飼い主さんが気をつけるべき点を以下にまとめてみました」

  • 毎年健康診断を受けて、持病があるかないかを把握しておくこと。

  • 避妊去勢手術をするなら若いうちに済ませておくこと。

  • 麻酔をかける前後の体調は、元気食欲や行動、おトイレの状況など些細なことでもよく観察しておくこと。

  • 麻酔をかけた日やその後2〜3日は仕事を休んででも常に見ていられる場所にいること。

麻酔は体に蓄積するものではないので、1日もすれば体から消えます。しかし、誤嚥による肺炎や見えないところでの出血など、術後トラブルにも気をつけないといけません。

終わりに 愛犬を守る避妊去勢手術と麻酔のリスク

今回のお話の要点は以下のとおりです☺︎

  • 麻酔は100%安全とは言えない。

  • 避妊去勢手術での死亡リスクは2000〜1万頭に1頭。

  • 短頭種であること、持病や肥満がある場合は麻酔のリスクが上がってしまう

とうの獣医「確率論にはなりますが、麻酔関連死による死亡率は、あらゆる死亡率と比較しても特別高いわけではないのです。もちろん、無いに越したことはないのですが…。
「交通事故で亡くなるのが怖いから、一生家のなかで過ごす。」という人はそういないはずですよね。避妊去勢手術をしないことで起きる病気の中には、愛犬の命を奪うものもあります。それ以外で麻酔をかける場合も、麻酔をかけるメリットがあるからこそ、麻酔をかけるのです。」

しほ先生「悪い面ばかりを見てむやみに怖がらずに、メリットとリスクをしっかり天秤にかけて考える必要がある、ということですね。」

とうの獣医「その通りです。獣医療も進歩しているとはいえ、正直まだまだ未熟な部分もあります。でもどの獣医も皆さんの大切な家族の命を奪いたくはないですし、そうしないために知識と技術を磨いているのです。
リスクを完璧にゼロにはできないですが、限りなくゼロに近づけていけるよう、不断の努力を続けていくしかないですね。」

しほ先生「そうですよね。獣医さんもスーパーマンではないですから、100%とは言い切れないのが事実ですよね。とはいえ、確率の話を聞くと、過剰に怖がる必要はないのかもしれない、と私は思いました。とうの先生、ありがとうございました。」

とうの獣医「こちらこそ、ありがとうございました。」

参考文献

 David C Brodbelt MA, VetMB, PhD, DVA Diplomate ECVAA, MRCVS他、2008 (最終閲覧日:2020/8/13)https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1467298716308261
 
村端悠介 他、「小動物臨床における麻酔のリスク」、(最終閲覧日:2020/8/13)http://vth-tottori-u.jp/wp-content/uploads/2015/03/topics.vol_.34.pdf

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