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妹と私

今年は私の癌が再発したこと以外にもう一つ大きな出来事がありました。
それは妹の死です。

4歳年下の妹は今年の秋、48歳の若さでこの世を去りました。
3年前、私の最初の癌が発覚しました。
その後しばらくして、妹も癌であることがわかりました。

もともとそんなに仲の良い姉妹ではなく、10代20代の若いころに一緒に出掛けた事もありませんでした。
むしろ妹に対し無意味に威張った態度をとる嫌な姉でした。
なにがそんなに偉いのか、妹という存在は無条件に「姉より下にいないといけないのだ」という姉でした。
なぜそうだったかわかりませんが、妹のやることなすことが気に食わない時期が長く続きました。



彼女が初めて私達家族の暮らすアパートに来たのは長男を出産した今から23年前。そのころ彼女は大学卒業と同時に就職していた大企業を辞め、単身アメリカに留学。帰国後外資系企業に就職も果たし、世界を飛び回っていました。全く別世界の人になっていました。古いアパートに住み節約と子育て、自営の商売で手一杯の私と彼女の関係が親密になることはありませんでした。

彼女が結婚すると聞いた時すこし驚きました。結婚するつもりがないと言って都内の一等地にマンションも購入し、趣味に仕事に独身生活を謳歌しているように見えたからでした。
結婚すれば子どもができるのは流れ的にあり得ることなですが、彼女の場合それも想像し難い、「サバサバ」した女性でした。

彼女が最初の出産をした時、私の子ども達はすでに高校生と中学生。
子育ても後半戦に入っていました。
そしてこの頃、私の夫の体調も悪くなり始めていました。
年の離れた「いとこ」の「母親」「子育て」というワードは親密になるための理由にはなりませんでした。

思いがけず夫が亡くなり、私は生きるのに必死、彼女は彼女で2人目を出産し子育てに多忙な時期でした。
母という共通点を持ちはしましたが、私達の関係は正月に年に一度「家族同士で会う」という程度でした。
母を通してお互いの近況を知る程度の時期が長く続きました。

私の癌が発覚したのはコロナ禍1年目の秋。彼女は私が退院したばかりの頃電車で約2時間の距離を見舞いにやって来ました。私と彼女が母の居ない場所で会うのはこの時が初めてでした。
いつも会う時は母を含めて3人。でなければ場が持たない程、私達の関係はぎこちないものでした。
彼女は食事の準備や家事を素早くこなし、「じゃ、帰るね!」とサバサバとした様子で帰っていきました。もう少しお茶でも飲んでゆっくりしていけばいいのに、そう思いました。

それから半年後、初めて彼女から「通話」の連絡がありました。電話での彼女の声はなんだか知らない人のようで慣れませんでした。彼女は癌になってしまったと、サバサバした様子で言いました。

私と彼女が初めて二人で待ち合わせをして出かけたのが昨年の秋。
彼女が「お姉ちゃんと新大久保に行きたい」と連絡してきたのでした。
新大久保は趣味や仕事でよく訪れる街で、彼女は初めてでした。
私達にもこんな日が来たんだなと口元がほころぶように、くすぐったい気持ちでした。そして、意地悪だった幼い頃を思い出してなんだか申し訳ない気持ちでした。そんな気持ちなど無いように、アジアの食材店のウンチクやら料理店について偉そうに話をしました。彼女は素直に楽しそうに聞き、そして笑っていました。

「また新大久保行こう」という約束は結局果たされることはありませんでした。

私が入院している時、彼女は私の背中をさすり、何度も大丈夫だと言いました。私は彼女の前で初めて泣きました。

彼女に最後に会ったのは亡くなる2日前。
私はベットに横たわる彼女の瘦せた手を掴もうか掴むまいか躊躇していました。彼女は私の手をサッと掴んで握りしめました。
そして眺めの良い病室の窓から外をぼんやり眺め、何も言いませんでした。
私が言葉に困り「いい景色だね」と言うと、
「前の病室の方がずっと景色が良かった」と言いました。
彼女はその時もサバサバしていました。

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