【高知旅行記 #2】沈下橋ガチ勢
2日目(8月11日)
幻の清流
2日目は高知の綺麗な景色を見ることを予定していたのだが、四万十市は強い雨が朝から降り続いていた。
朝6時から7時30分まで入れる大浴場も寝坊したため行けず、幸先の悪いスタートとなってしまった。
雨だし仕方ないかと割り切って、ゆったり朝食を食べ、ゆったり準備をして宿を出たのは10時頃となった。
最初に見に行こうと思っていたのは、沈下橋である。
沈下橋そのものは日本全国に点在しており、それぞれ地域によって名称は異なるが山間部や拓けていない川沿いなどではポピュラーなものだ。(正式名称は『潜水橋』と言うらしい)。
工費が安いことから交通量の少ない場所で重宝されていたが、欄干がないため転落事故も多く、ここ最近はより安全性の高い永久橋(抜水橋)に架け替えられている場所も多い。そのため徐々に数を減らしている。
しかし高知県はこの沈下橋を観光資源として保存する動きが活発で、その話を聞いた私は目的地の一つに沈下橋を考えていた。ついでに四万十川の清流も見られると思い、ワクワクしていた。
そんな期待は台風のせいで儚くも崩れ去った。
これが証拠写真である。
ただの増水した川と今にも沈みそうな橋がそこに在るだけだった。
このような様子なので、晴れていればたくさん来たであろう観光客が私しかいない。あとは交通整理をする地元の方が数人いたが、あまりにも人が来ないので、テントの中で談笑していた。
向かった先は佐田沈下橋という交通の便も良く、四万十市の中では行きやすい沈下橋らしいが、この日は隣接している駐車場に入るものの雨足が安定しないので沈下橋を見ずに去っていく人が多かった。
私はどうしても沈下橋の写真を思い出として残したかったので、増水して危ない橋のど真ん中に数分滞在した。側から見れば明らかに危険なのだが、四万十川の清流に映える沈下橋を見られなかったショックが大きく、増水など気にならなかったのである。
しかし数分で状況が変わるほど自然は優しくない。30分ほど粘ったがついに起つことに決めた。
おそらく今回の旅行で心残りがあるとすればここである。
ここで晴れんな
沈下橋への後悔を残しつつ、次に向かった先は足摺岬の方であった。
宿をとった四万十市から足摺は40km程の距離で、すでに100km以上走破している私にとってなんてことはない距離であったため向かうことにした。
しかし、問題もあった。なんとなく足摺の方に行ってみようと思ったが目的地を設定していなかったのである。
旅行前になんとなく四万十市の西にある土佐清水市の方に行こうと漠然と思っていたが、当初2日目は仁淀川を見にいく予定であったため、あまり計画を立てていなかった。
だがこの雨、川の増水では仁淀川も四万十川と同じようなものだろう。特に市街地が近い佐田沈下橋と違い、仁淀川の名所となっている場所は山間部である。どのような危険が伴うかも想像できない。結果、一日土佐清水の方面に向かうことにしたという経緯である。
土佐清水へ向かう途中、どこに行くかを考えていたが、ふとあることを思い出した。
「高知に行くんだったら足摺海底館に行ってみたいです」
高知に出発する前日に一緒に出かけた大学の後輩から聞いた言葉である。
どのような場所かは特に調べてもいなかったが、元より当てのない旅である。後輩の言葉につられるように足摺海底館へ向かった。
時間は13時頃。足摺海底館の200m手前にある足摺海洋館という水族館にやってきた。雨が降り続いていたが車にずっと乗っていられる気分でもなかったので、どこか屋内に行こうと考えてのことである。
しかし・・・
足摺は晴れていた。
・・・
ここで晴れんな!!
海に向かって叫んだ。
足摺海洋館・海底館は厳密に言うと土佐清水市の竜串海岸という場所にあったのだが、海が見える太平洋側全体で快晴となっていたので、足摺岬の方も晴れていただろう。
晴れた状態の沈下橋を見られなかった後悔はよほど大きなものだったらしく、ジメッとした暑さも手伝って気分が良くなかった。
しかし、すでに目的地に到着しているため見て回ることにした。
するとすぐに面白いものを発見した。
木の年輪のような模様をした巨岩である。
これは専門的な言葉で表すと「砕屑性堆積岩(さいせつせいたいせきがん)」という砂岩・泥岩の一種らしく、竜串海岸では太平洋の荒波によって岩が特殊な形で削られ観光の目玉の一つにもなっている。
特に岩には興味がなかったので、「面白い岩だな〜」と思うくらいで終わっていたが、帰って調べてみると土佐清水市はこの奇岩を名勝としておすすめしているらしい。少し後悔した。
そんな自然の素晴らしい景色を尻目にたどり着いた足摺海底館は予想と違っていた。
私は「海底に住む生き物を中心に展示する水族館」だと考えていたのだが、実際は「直に海底を覗いて自然な魚の生態を見る」というコンセプトで建設、運営されているものだった。
あいにくこの日は台風一過で海が濁っていたため、あまり魚の姿は見られなかったが、海底を潜らずに見るという建物の構造に感動していた。(ちなみに本来入館料は大人900円なのだが、海が濁って魚が見えにくい日だったので300円に割引されていた。良心的な施設だ。また行こう。)
濁っている海底を隈無く見て、時々ひょっこり姿を現す魚を見つけながら10分ほど滞在し、その場を後にした。
何はともあれ晴れてよかった。
ジョン万次郎
その後、さらに西側にある宿毛市の方に進もうかと思案したが、明日の最終日に仁淀川を見るという新たな予定もできたため、今日は早めに宿に戻ることを考え四万十市に戻りつつ観光地をめぐる作戦を立てた。
そんな中竜串海岸のすぐ近くに「ジョン万次郎資料館」という施設があることがわかり、歴史好きの私はそこに向かうことにした。
ジョン万次郎(中濱万次郎)と言えばオランダや中国など交易相手以外の外国に対して知識がなかった幕府にアメリカとはどんな国かを講釈したり、漁民出身でありながら実際に外交の場に呼ばれるなど幕末の動乱期に活躍した人物である。
小学校の教科書にも載っているくらいの人物だと思うが、実際どのような足跡を辿ったかを細かく知る人は一般的には多くないだろう。
この「ジョン万次郎資料館」はそれを教えてくれる施設だった。
細かい展示内容は百聞は一見にしかずであるため説明を省くが、私が衝撃を受けたことが二つあった。
1.縁もゆかりもないアメリカでなぜジョン万次郎は平和に過ごせたのか
→ジョン万次郎ら5人の土佐漁師を救助したジョン・ハウランド号の船長ホイットフィールドが住んでいたアメリカ・マサチューセッツ州は工業化の波が凄まじくいち早く奴隷制度廃止が叫ばれていた。
その中でもジョン万次郎が住んでいたニューベッドフォードという地域はリベラルの気風が強く、ホイットフィールド自身も進歩的な考えの持ち主で、毎週通う教会で異人だからと差別されるジョン万次郎のために一家で別の教会に移ったとも言われている。
そんな恵まれた環境だったからこそ、のびのびとアメリカで捕鯨に関する知識や英語、航海術などを学べたのだそうだ。
2.土佐の漁業事情は複雑だった。
→江戸時代土佐藩ではクジラの漁場が二つ(室戸岬・足摺岬)あり、そこを室戸にある津呂組、浮津組という二つの漁師集団が一年交代で室戸と足摺の漁場を陣取っていた。
しかし、当時から海岸に近い集落が沖までの漁業権を持っているのが一般原則であり、これは現在の漁業法の考え方にも受け継がれている。それでも土佐藩の許可を得ている津呂組と浮津組など室戸の漁業団体の力は強く、足摺の漁場である窪津から約5kmしか離れていないにも関わらず万次郎の故郷の漁師はクジラ漁ができず、捕獲されたクジラの運搬や解体しか仕事がなかったのである。
ちなみにこの状態が解消されるのは、室戸の漁業団体が続々と廃業した明治時代末期であり、それまで足摺の漁師は捕鯨ができなかったことになる。
普段歴史は大勢を見る読み方をしてしまいがちだが、民間の習慣や制度などと合わせてみると、より解像度を上げて読み解くことができるので、とてもタメになる展示だった。
東京にある博物館と比べるといささか規模の小さい施設だったが、ジョン万次郎の全てを補完する内容となっていたため満足度は高く、じっくり見たためおよそ2時間は展示を見ていた。
そして、外に出てみるとあたり一面を埋め尽くす黒い雲が・・・
悪い予感しかしない。
行きたかった神社
その後四万十市に帰る道すがら、泊まった宿に置かれていたパンフレットに記載されていた「五味天満宮」と言う神社に興味が湧き、行ってみることにした。
パンフレットの写真だと緑豊かでまるで古墳のような小高い丘にある神社だった。
旅行の際は必ず二カ所は森や山に行っている自然派なので、行きたいと思うのも当然と言える。
そして、ジョン万次郎資料館から車を飛ばすこと30分。目的地も間近というところで土砂降りの雨が降ってきた。
とことんタイミングが悪い日だ。
また、沈下橋のように道路沿いにあれば良いが、道路から外れた山道を超えた場所だったため、雨で行くのは危険と判断し五味天満宮は断念した。次は必ず行くと言う決意を胸に四万十市へ帰ってきた。
リベンジ沈下橋
懲りない男だと思う。
日中少しは晴れていたとはいえ、増水した川が数時間で元に戻るはずがないのに、清流見たさにまた沈下橋に来てしまった。
さらに今朝行った佐田沈下橋の奥にある三里沈下橋にやってきた。
そこは、対向車とすれ違えるのも100mずつと言えるような崖沿いの道路を7km以上越えた先にあるため、駐車場もなく沈下橋を見にきた人は直接橋の手前で車を停めてさっと見ていくような場所だった。
特に言うこともないので結論だけ述べておこう。
ご覧の通りである。
ちょうど雨が降ってきたこともあり、今朝と全く変わらない光景を見てわずか3分ほどでその場を後にした。
そして、路肩に駐車していた私の車の前に、壮年の夫婦と思しき二人が車を止め、足早に橋を見に行った。おそらく私と同じ思いだったのだろう。心の中で「リベンジは無理だ・・・」と呟きながらその場を後にした。
やはり今回の旅で一番後悔があるのは沈下橋と清流のコントラストを見られなかったことである。
こうして懲りない男は今にも沈みそうな橋と濁流を1日に2回見るという珍道中を行ったわけだ。存分に笑ってくれ。
居酒屋争奪戦
無事宿に帰ってきた私は、旅の醍醐味の一つとも言える地元飯を食べようと、宿の近くにある飲食店を回った。
しかし、ここで高知県の一筋縄ではいかない部分を知ることになる。
8月11日は金曜日、なおかつ祝日である。明日から休日の人もいれば三連休を楽しんでいる人もいるだろう。
だからだろうか、行ったお店のほとんどが地元民の予約で埋まっていた。みんな1日の終わりに酒を飲みに来るらしい。
宿から一番近い飲食店を軒並みあたった。観光客が来ないだろう少し歴史のある地元の方しか行かないような店に、あえて焦点を当て入ってみたがほぼ満席だった。
地元の人は居酒屋がすぐ満席になることがわかっているので、わざわざ予約を取っているのである。東京の人間には無い感覚だ。
最後に宿から1km以上歩いた先にあった比較的新しい趣きの居酒屋に入ってみると、ようやく空席があるとのことで入店できた。
それでもアルバイトと思しき若い女性店員の顔には戸惑いが滲み出ていた。というのも、その後若いカップル(観光客)が1組入った後の予約無の客は全て断られていた。それだけ予約でいっぱいだったのである。
どうやら私はぎりぎりの入店だったらしい。
そこで私は土佐鶴のひやと、つまみに冷奴と鳥のタタキを頼み一杯やることにした。
しかし一人なのでどうにも寂しく、おちょこを煽る手もどんどん進む。店員さんとたわいもない話ができればよかったが、ほぼ満席の中料理と接客を3人で回している状態だったので明らかに忙しそうだった。
一人旅の利点は時間を気にせず好きなところに行けることだが、観光以外の時間の使い方はどうにも妙案が浮かばない。
店に設置されたテレビが放送しているよさこい特集を見ながら勢いよく土佐鶴を干し、少し酔っ払いながら店を後にした。側から見た光景はいかにも孤独のグルメである。
ただこの日は行こうと思っていた場所を二カ所も断念しており、17:30には宿に帰っていたため、21:00に寝る準備をして明日全て回るぞと確固たる決意を胸に就寝した。
部屋に置かれていたメモ帳で小さいてるてる坊主を作り、お天道様に強く「ずっと晴れろ!!!」と一人寂しく念を送っていた。
明日は晴れるだろうか。
次回!!最終日「やればできる」!!お楽しみに!!
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