【反省】一から全て説明する人
「冗長すぎる」
似たようなことを何人かの方から言われたことがあります。
別に悪口でもなんでもないこの言葉は何を示すかというと、私のnoteの書き方についてでした。
このnoteは、いわば私の自己満足で書かれている記事が多かったため、「取り上げた題材」についての評価は度々いただくものの、「文章そのもの」についてコメントをいただくことがありませんでした。
そこで、根本となる文章力について意見を聞いてみたところ、上記の返答が返ってきました。
ここまで直接的でなくとも、大体似たようなことを言われます。
私の文章の書き方として、何か一つ題材を取り上げる際概要から前提条件など必要な情報を全て出し切ってしまう癖があると思っています。
これは、大学時代に熱中していた論文作りに端を発するのではないかと考えていました。
エイサーについての論文を大学3年、4年と二年連続で書いていました。
論文を書く時は、最終的な自説の補強のために先行研究を紹介します。
「△△という現象に関しては社会学者〇〇の説に詳しく、「(引用文)(〇〇,1954 p34)」とこれを論じている」
このような一節がよく登場します。
この書き方を、他の文章にも適用してしまうのです。
これが、何か物事一つを説明する時に、前提条件を書かずにはいられないのですが、それが書かなくてもいいことを書いているという印象を与えてしまうと思っていました。
しかし、日常生活を振り返ると、それだけの問題ではないようにも考えられるのです。
よく、人との会話の体験談として取り上げられるのが、「要点だけを話さず、その結論に至った経緯や自身の行動から話してしまう」というものです。
つい先日SNSで見たお医者さんと患者さんの事例を引用すると、
医「今日は腰が痛いとのことですが、いつくらいから痛みがあります?」
患「そう、この間息子がね〜……」
医「…いつくらいからでしょうか?」
患「いつくらい……そういえば嫁がね〜……」
医「何月何日くらいから痛みがあるのでしょうか」
患「今年の夏くらい……今年の夏と言えばね!」
実際にこういうことはよくあることです。
似たような夫婦の会話を見たこともあります。
夫「今日ライブ行くって行ってたけど、何時に家出るの?」
妻「6時くらいからライブ!」
夫「そう、で、何時に家出るの?」
妻「確か5時くらいの電車に乗る!」
夫「何時に家出るかって聞いてるんだけど」
これは何か別の問題のような気もしますが、質問と回答が噛み合っていません。
文章に限らず、会話の中でもどうしても一から十まで喋ってしまう。そういう性質があるように思います。
正直、私自身も時々やってしまっています。あまり指摘はされませんが……
それでは、なぜこのように文章においても会話においても、要点や結論だけでなく、前提まで全て説明しようとするのか。
それは、「発信する側が、まず自身の頭でその答えまでの道筋を考えており、それが文字や言葉となってこぼれてしまっている」ということだと考えます。
まず、会話においては「喋りながら考える」というのが原因だと思います。
上記の事例に照らし合わせれば、お医者さんと患者さんの話なら「質問の本旨である腰痛がいつ頃始まったかを思い出すために、それに連なるエピソードを思い出し、段々日時を明確にしていく」という作業。
夫婦の会話であれば、「目的であるライブの時間から家を出る時間を逆算している過程が言葉に出ている」というわけです。
それでは、なぜ瞬時に回答が必要ではない文章でも似たようなことが起きるのかを考えてみます。
一言でまとめると「準備不足」です。
大体しっかり時間をかけた文章は、構成などを考えた上で文字に起こしていきます。
その過程で、必要な文・不必要な文を精査すると思うのですが、それが全くできていないと、自身が考えているだけで共有する必要がない前提まで文章に載せてしまいます。
つまり、考えたことが垂れ流しになっている状態なのです。
もうすでにこの記事自体が冗長なのですが、文章を書く際に事前に構成を考えて、校正校閲をしっかりすることが重要であるという基礎に立ちかえる必要があることがよくわかります。
今回はそんな反省を述べてきたわけですが、いつも思い立ったが吉日とばかりに企画書も下書きもなしに記事を書き上げてしまうので、今回の反省を機に「きちんと準備をして記事を書く」という基礎を徹底していきたいと思います。
そんな独白でした。