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それは「愛」か、「呪い」か
「今この人が推しなんです!!」
大学時代の後輩はとある人物の写真を見せてきた。
その人物は「佐藤流司」と言うらしい。
見るからにイケメンで、舞台俳優としても名を馳せており、LDHがプロデュースするボーカルグループにも所属している。全てが完璧な人物だ。
私はほくそ笑み、意地悪のつもりでこんなことを聞いてみた。
「男性として好きなの?付き合ってみたい?」
彼女は眉をひそめながらこう言った。
「あくまで推しですから。別にそういうふうには思ってません」
二人の間にはツンドラ地帯を思わせるような凍てついた空気が流れていた。
【推し】ーお・し
今や当たり前に聞くようになった言葉だ。
特に近年はアニメ「推しの子」や、164回芥川賞を受賞した宇佐美りんさんの「推し、燃ゆ」など、「推し」が趣味や嗜好のイニシアチブをとっている場面を多く目撃するようになった。
しかし、そもそも「推し」とはなんだろうか。普段当たり前のように使っているが、その語源や定義についての認識は曖昧だ。
元々は、アイドルグループの中で最も好感を持っている人物である推しメン(おしメン)を由来とする言葉である。「推しメン」という言葉は、1980年代のアイドルブームの際に登場し、その後、2000年ごろになると2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)でモーニング娘。のファンによって使われるようになった。その後、AKB48の台頭によって広まり、2011年にユーキャンの新語・流行語大賞にノミネート(No.09)された。この点について、AKB48選抜総選挙のテレビ中継により、「推し」という言葉を知る人が多くなり、さらに、推しとは、「好きなもののことである」とマスメディアが広い意味で推しという言葉を定義したため、一般の人も「推し」という言葉を使いやすくなったことが理由にある
wikipediaではこのように解説している。
つまり「好きなもの(人物、キャラクター)=推し」と言う認識が現在認められている推しの意味合いなのだろう。
考えてみれば、軽々しく「好きだ」と言えるものはある。
それはハマっている趣味、尊敬している人物、家族、友達など挙げだしたら枚挙に暇が無い。
しかし、その「好き」はどのような感情としての「好き」だろうか。
恋愛感情なのか。はたまた友好的な意味合いなのか。少なくとも自分にとって必要としている存在ではあるのだろう。
その好きの深淵には言葉で定義できない何かがある。
それでもはっきり好きだと言えるのには何か根拠があるのだろうか。
ここ最近「推し活」が流行っている。
自分の推しを応援し続けることで、日々の生活に潤いを持たせると言うものだ。
以前、テレビで何も趣味を持たないと言う女性を対象に、「大谷翔平で推し活をしてみる」という企画が行われていた。
ただひたすらに大谷翔平の野球をしている場面やインタビューなどを見て、心を動かすことができるのかという実験だ。
結論として、全員では無いものの多数の女性が、「大谷がこんなに頑張っているんだから自分も日々の生活を頑張らないと」と奮起した。
そして手元には大谷が所属するロサンゼルス・エンゼルスのキャップや大谷がプリントされたクリアファイルがあった。
心なしか目が輝いているようにも見えた。
なるほど。これが推しがいる生活なのか。
自分の考え方や生活態度に良い影響を与えてくれる存在を否定するわけがない。これが推し=好きと言える根拠なのだろう。
しかし、私は一つ気になることがあった。
唐突な告白になるが、私は「声優好き」だ。
女性男性問わず注目した声優が出ている作品は基本的に見るようにしている。
そんな私が応援している男性声優が結婚報告をしたことがあった。10年以上前の話だ。
ファンとしては素直に祝福すべきだと思うが、その声優に関する掲示板(スレッド)で大きな議論を巻き起こした。端的に言うと荒れたのである。
人間が本当に発してるのか疑うほどの罵詈雑言。それは声優本人だけではなく、配偶者や将来生まれるであろう子供にまで向けられていた。
そんな酷い状況の中度々似たような文言が投稿されていた。
「これから自分は何を支えに生きていけばいいのか」
一言一句同じではないが、内容としてはこんな感じである。
この一言からわかること。
それは「推しの一挙手一投足がファンの足枷となってしまっている」
ということである。
もうそのような存在は本当に「好き」の対象なのか。疑問が湧いてしまう。
先般話を聞いた後輩はこのようにも話していた。
「私は偶像のような感覚で推しを応援していますが、中にはガチで恋をしてしまって、炎上や恋愛関係のニュースが流れるたびに一喜一憂する人もいます」
愛ゆえに悩み、それでも推しと言う存在を肯定し続ける。もはやそれは呪いと呼べるのかもしれない。
【推し】。
それは「愛」か、「呪い」か。
きっと両方の意味を内包しているからこそ成り立っている。
私はそう思った。