「世界はお前のものだ!」_"Scarface"(1983)
子どものころ、グランド・セフト・オートシリーズ(通称:GTA)は「(PTAに禁止されているから)触れちゃいけない、でも遊びたくてしょうがない」蠱惑的なゲームの一つだった。
GTAがティーンエイジに膾炙していたころを知らない世代のために、はっきりここで言っておこう。PSPソフト「GTA:LCS」あるいは「GTA:VCS」を買ってもらって(またはプロアクションリプレイを使って)堂々と遊んでいる同級生は、大人も子供も安心して遊べるNintendo DSしか買ってもらえなかった私ほか不真面目なガリ勉からすれば、センボーのマナコ、羨望の大正だったのだ。
そんな抑圧された?少年時代を送ったからこそ、オトナになってからNetflixのサブスクサービスでGTAトリロジーが配信されたと聞いた時には、天にも昇る気持ちだった。
ゲームの中の犯罪はノーカン、ということで、ストレス解消に轢き逃げしたり無差別殺人を行ったりするのが、幼稚とはいえ草創期Flashで「マリオGTA」等でゲラゲラ笑っていた元・厨房にとって、子どもがえりした気分で、愉悦でたまらないんだなあ、これが。
そんな一世を風靡したGTAの記念すべきメインタイトル4作目『グランド・セフト・オート・バイスシティ(Grand theft auto:Vice city)』(カプコン・PS2、XBOX、Windows・2004)の元ネタにして、「ゴッドファーザー」と並ぶギャング映画の孤高にして定番中の定番「スカーフェイス」を、今更ながらご紹介。監督はこれが実質の出世作となるブライアン・デ・パルマ。脚本は後に社会派監督として成功するオリバー・ストーン。
コカインに染まった80年代マフィアのリアルな生態を縦糸に、キューバからマイアミへ渡ってきた男たちの成り上がり物語とその末路を横糸にして、3時間弱という長時間ドラマとしてたっぷり描いた大作だ。
とりあえず、キューバ危機のニュースプリントから始まる導入を見てほしい。資本主義の象徴たる星条旗が、共産主義国家:キューバからの亡命者たちに自由や新しい生活を約束してくれるように、真っ青な空に翻るカットで、ぐっと40年前のアメリカへと、僕たちは引き込まれてしまうのだ。
みんな知っているあらすじは、以下の通りだ:
80年代、マイアミにはキューバから流入してきた難民が溢れていた。
キューバ政府の封鎖の解けたキューバのマリエラ港から、船でフロリダへ渡ってきた男が一人。頭は回るが、根は狂犬そのもの。名はトニー・モンタナ。溺愛する妹ジーナが泣き所。
麻薬組織の下で使いっ走りの仕事を始めたモンタナには、壮大な野望があった。すなわち、コカイン・ビジネスでのし上がり、金も女も手に入れること。モンタナの抜け目ない仕事ぶりと鼻っ柱の強さが組織のボスに気に入られたのをきっかけに、モンタナは裏社会で一気にブレイクしていく。平然と殺しもやってのけて一目置かれる存在になった。キャデラック エルドラドからモンタナが途中乗り換えたポルシェ928は、1980年代を象徴するラグジュアリーなスポーツカーで、成功と富を象徴する車だ。
あれよあれよという間に邪魔な人間やボスをも殺し、権力も富も手に入れる。すなわち、コロンビアの麻薬シンジゲートと結びコカインの密売を独占することで暗黒街のボスにのし上がり、巨額の財産を築き上げる。マフィアのボスを片付けてその跡目を継ぎ、さらに、その情婦だった美しいエルビラも手に入れる。自身のクラブに、脅威を感じたボスが殺し屋を差し向けやがったのだから、親分の手を噛んだって無問題、これは正当防衛なのだ。
栄華を極めた夜、たまたま航空会社パンナムが宣伝用に飛ばしていた飛行船の、夜空に輝く電子広告”The world is yours”がトニーの目に焼きつく。
しかしそれもつかの間、孤独から麻薬に溺れ、さらに、脱税発覚をきっかけに凋落していく。栄光は上映時間にして5、6分で終わってしまう。
「ギャングもの」から「ヤク中転落物」へとトーンが転じる中で、それでも”The world is yours”=世界は俺のもの、と己を奮い立たせながら荒れ狂っていくモンタナ。しかし歯車は既に狂っており、心の拠り所だった妹ジーナと相棒マニーが、モンタナに内緒で結婚したことに怒り、モンタナはマニーを殺してしまう。
さらに同じ頃、モンタナを危険視した南米の麻薬王がモンタナ抹殺の刺客たちを放つ。
モンタナは、最後の最後まで、刺客たちに対して強気で挑むことを選ぶ。圧倒的な狂気と暴力が爆発する、大邸宅内の銃撃戦。昔馴染みの部下たちを続々と失っても、狂犬は牙を収めることを、知らない。
そう叫ぶも束の間、周囲の親しいものを巻き添えにしてすべてを喪った自分のやらかしに対する禊とも、憤りともとれる、モンタナの機関銃大乱射。グレネード・ランチャー付きM16から噴き出されるマズルフラッシュが目に焼きつく。
調子づくモンタナの背後に、ターミネーターを思わせる、グラサンの暗殺者。二連発ライフルを背後から喰らわせて、プールに突き落とす。
主を失った大邸宅のプールでプールに浮かぶモンタナを虚しく照らす”The world is yours”の電飾。モンタナを忌み嫌う者にとっては、人間上昇するスピードが速ければ速いほど失墜も速くなる皮肉というものを。モンタナのカッコよさ、したたかさ、腕っぷしにシビれた者たちには、強い男が一人いなくなったという虚しさを感じさせて、余韻を残しつつ、映画は終わる。
さて、本作のリメイク元である1932年の映画「暗黒街の顔役(原題:Scarface)」の監督:ハワード・ホークスは、撮影にあたり実際に多くのギャング達に会った。ホークスは「彼らは、まるで子供のようだった。誰かに吠えまくり、自分こそ一番タフだと振る舞おうとするので吐き気がした」と述懐しているが、「スカーフェイス」のモンタナがまさにそれ。
前半のアル・パチーノはギラついたガッツを武器にして、絶体絶命の窮地に立たされても強気に打って出る、極度に自己中心的だが「この人についていけばおこぼれがもらえるだろう…」という吸引力を備えた人物。独特の抑揚のある声の艶に、うっとり惹き付けられてしまうのだ。
それが、後半コカインに心身を犯されて以降は、落ち込んだ眼窩でギョロギョロ動く目と、世界を罵る言葉を吐き出す歪んだ口で、うかつについていけば危ういボスへと様変わり。
一言でいえば破滅まっしぐらの危険人物。それでも、悪の華を咲かせ、そして壮絶に散らせてみせるのが、最後の意地だった…と言って良いだろう。マニーを殺して以来忌み嫌われようと、最後までジーナのことを愛し続けた:結果として殺してしまった妹の顔を優しく撫でるシーンも忘れがたく、切ない。
いずれにせよ、1930年代のギャング映画の古典「暗黒街の顔役」のリメイク…という体裁故、「ハワード・ホークスに捧ぐ」とエンディング・テロップで掲げておきながら、台詞の「ファック」の多さ、エッジの効いた残酷描写、チェーンソーによる手足の切断といったパルマ×ストーンの悪魔合体、外連味効かせた演出のせいで、ハワード・ホークス信者ほか良心的()な映画ファンから公開当時そっぽを向かれた本作。
「暗黒街の顔役」が、その後1930年代に多数のギャング映画フォロワーを生む一方で、本作はキューバ移民×1980年代東海岸を舞台という、フォロワーを作れそうで作れない題材故、いまなおオリジナリティを保ち続けているのは、皮肉というべきか、なんというか。
本作の数少ない欠点は「たった」3時間しか映画の尺がない、ということだろう。椰子の木とビキニの女性、アロハにキャデラック、シンセドラムによる軽薄なミュージックナンバー……モンタナ宜しく、大邸宅を拠点に80年代東海岸の生活に存分に浸りたければ、チェーンソーでバッタバッタ一般市民を好きなだけ薙ぎ倒したければ、ゴルフカートで爆走兄弟ごっこをしたければ、チンピラが裏街道で成り上がりマフィアのボスへなりあがらずとも、80年代マイアミ風都市バイスシティをドライブするだけで楽しい「GTA VC」を今からでも遅くない、プレイすべしすべし。