橋口亮輔監督、新作を待ってます。映画「恋人たち」。
じっさいゲイの作家である橋口亮輔が2015年に監督した映画「恋人たち」。自分に興味を持たない夫や反りが合わない姑と生活するパート主婦、ゲイの男性弁護士、妻を通り魔に殺害された男、オーディションで選ばれたこの3人の苦しみを描いたドラマ。
素材はある意味、2023年に上映された是枝裕和×坂元裕二の話題作「怪物」に似通っているが、当事者である分、ゲイとしての苦しみの描き方は、本作の方が、より真に迫っている様に思える。
高架道路の真下を流れる運河、殺風景な部屋、我関せずと決め込むお役所:閉塞感に満ちた景色をカンバスに。その上にささくれたった会話や刺々しい視線といった人間の悪意を塗りつけて。スクリーンを灰色一面に塗っておいてから、社会の隅に漂う主役たちを描き始めている。
だから、三人の主役それぞれの一切の演技が、熱射の砂漠の片隅で蛙が渇きにもがくように、痛切に感じられるのだ。
描写に力が一番入っているのが、「愛する者を理不尽に奪われた男」(演:篠原篤)。
この男、基本的に言葉足らず。たまによく喋ると思ったら、自意識過剰の言葉がとめどもなくなく噴き出す。それは、犯人を殺したいという妄執が、彼の心を冒しているため。その穴を塞ぎきれない、でも「犯人を殺すこと」は叶わない、幾多の声でも片付けられない感情が、ますます心を深みへと陥ちこませていく。いっそ死のうとてカミソリで肌を切ろうとすれば、肉を切る痛みに耐えきれず。真っ当に生きることも死ぬこともできず、日々を送る他ない宿命を背負った男が演じ切られている。
その真っ当な演技は、他二人…「退屈な日常を送る、平凡な主婦」(演:成島瞳子)「完璧主義者でゲイの弁護士」(演:池田良)のドラマを覆い隠してしまう様に、初見では思えた。
しかし、再度見返してみると、それが上書きされる。平凡な主婦のドラマに感情移入できるのは、それだけ私が「家庭」というものに関心を持ったが故であり、ゲイの弁護士の苦しみに寄り添えるのは、LGBTに強い関心を持ったから。
つまり本作は、観客の背景知識によって、見え方を何度でも変えて見せる。パレットの上に混ぜ合わされる、油絵の絵の具のように。
カメラは社会の隅に生きる人間を正攻法で見据えていることに変わりはない。それは、時に我々が目を背けたくなるほどの強度で。
インタビューで、橋口監督は語った:
その願いは、十分に果たされているように思う。
そして、本作を最後に、橋口亮輔は劇場にかかるシャシンの仕事をできていない。それが、非常に、歯がゆい。