生き残ったふたり。生の輝きと死の影と。「人間魚雷出撃す」
ChatGptで「潜水艦 回天 について教えてください。」と尋ねてみた。
是非はさておいて。この回天をテーマにした戦争映画で、私の学生時代を直撃したのが2006年公開「出口のない海」(監督:佐々部清)だった。発射される市川海老蔵の演技と、山田洋次の脚本もあってか、非常にエモーショナルな作品だったことを、今でも覚えている。
奇しくも、その ちょうど50年前(=半世紀前)に、同じく回天の任務を題材に公開されたのが「人間魚雷出撃す」。古川卓巳監督の技量なのか意向なのか、何が原因かはわからないが、アプローチは真逆。手に汗握ることもなく、淡々としていて、それでいて、生真面目なのだ。
ドラマの軸となるのは、回天を放つ潜水艦伊号に乗り込んだ4名の乗員。
橋爪艦長=森雅之 柿田中尉=葉山良二 黒崎中尉=石原裕次郎 今西一曹=長門裕之だ。このうち、柿田、黒崎、今西が発射要員。
日活同期デビューのふたり、黒崎と今西が肩を並べるシーンもよければ、兄貴分の柿田が、声を荒げず静かに後輩ふたり:黒崎と今西を導くのもよい。柿田の死の影を背負っている感じもいい。
発射されるまで、潜水艦内部の淡々とした日常は続く。あくどい上官は出ない、強がる向こう見ずもいない。仕事だという感じで水に潜るのだ。
彼らは、特攻を肯定も否定もしない。仕事や任務だとして、ありのままを受け入れるシニカルな台詞。「しなければならない」と、淡々と、自分に言い聞かせるように、つぶやく。水の深いところに潜っていく感情、のようなものが、フィルムの荒い粒子、安いセットの中に閉じ込められている。
敵の船に見つかった。攻撃を受けて、潜水艦の中にもぽろぽろ水が染みてくる。ひび割れたメーター類のクロースアップ、爆撃された数を記して増える墨字の「正」の文字、徐々に艦内にたまっていく水、水、水。
ここにきて、半ば衝動的に、黒崎と今西のふたりは回天に乗り込む。「生き残らせるために」ふたりは乗り込むのだ。上半身裸のほかの乗員たち、汚れた天使たちが、「しっかりやれよ!」と回天の乗り込む男たちを導く。慄きもせず淡々とした感情の黒崎と今西。
回天の中に閉じ込められて、初めてゆがむ今西の顔。命おそろしさか、いや、「出してください!出してください!」と早く出撃を希う苦痛の表情。
今西の回天は、敵船に向かって発射される。判断のための一時間を経て、艦長は今西が見事やり遂げたと戦火を喜ぶ。興奮も陶酔もなく、ノルマを達成したぞ観のある、陶酔にほど遠い、恐ろしい乗員の万歳が、艦内に響き渡る。
ものがたりは、死に後れた黒崎と、艦長の淡々とした語りがで締めくくられる。死の影を全く感じさせない裕次郎と、死の影をなぜだか感じさせる森雅之の見事なコントラストの中に、死んでしまったやつの不思議、生き残ったやつの不思議を残して、映画は、静かに終わるのだ。