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「ゴーギャン タヒチ、楽園の旅」…人生一度は異郷をさまよえ!

ここから、早早に逃げだしたい。この国にいると、息がつまる。
だったらいっそ、海外移住しちゃったら?

フランス人画家 ポール・ゴーギャンも、生まれ育ったパリにうんざりし、海外移住を目論んだ。ヨーロッパ文明と煩わしい因習からの脱出を望んだのだ。
ものがたりは、山風が記すところの、ここから始まる。

株式仲買人として一応安定した生活をし、ただ日曜画家的に絵を趣味としているかに見えたポール・ゴーギャンは、三十五歳のとき、突如それまでの生活を捨てて、画家として第二の_彼にしてみれば本来の人生に歩み出した。

「人間臨終図鑑」山田風太郎 五十五歳で死んだ人々 から引用

「第二の、本来の人生」というパワーワード。いかがだろう。脱サラして海外移住を試みる日本の男たちと、何だかダブってこないだろうか?

※あらすじ・スタッフ・キャストは下記リンクを参照!


働くことは罪である。


彼がタヒチへの移住するのを決めたのには、ふたつ、算段があった。
ひとつは、絵画だけに専念する時間、環境を作るため。
もうひとつは、子供たちの教育に、タヒチの「開放的ときく」風土が、パリの「閉鎖的な」風土よりも、相応しいと考えたから。

もちろんそれは男の独りよがりで、たちまち怒号哀号飛び交う夫婦喧嘩が始まる。(ご丁寧にも、映画はこの修羅場の一幕をも捉える)

彼の計算では、そうしてもそれまでの生活が維持出来るはずであったが、そうは問屋が卸さず、結果的には、妻と五人の子供を捨てる羽目になった。あまりにも家庭的な妻メットは、彼を「怖ろしいエゴイスト」と呼び、生涯彼を許さなかった。

「人間臨終図鑑」山田風太郎 五十五歳で死んだ人々 から引用

結局、四十三歳のとき、彼はひとりで南太平洋のフランス領タヒチ島に旅立つこととなる。

さて、移住先に竹の小屋を建てて、悠々自適に絵に打ち込む…
とはいかなかった。
どうにも筆が乗らない。理由は察せられる:愛する家族がそばにいない、自分一人だけ、という孤独に苛まれている。
加えて、蒸し暑く気怠い気候が、彼の身体を静かに蝕んでいく。もうすでに悪い咳を頻繁にしている。

せきをしてもひとり。
「楽園」と思った土地で、彼は、すでに、半病人だ。


俺だけは大丈夫!人生最大の危機。

それでも、病んだ体をおして、彼は題材を求め、画材一式を携え島の奥地の森へと分け入っていく。
そこで運命の出会いを果たす。

それは、まさに彼が求めた野生の美の輝きを放つ少女・テフラとの出会い。
彼はすぐさま結婚を決める。そして、遠い南の島で、仲睦まじくふたりで過ごす。彼女に読み書きを教えたり、自分の絵のモデルとしたり、時に愛欲に溺れたり、他人の目も気にせず、誰からも害されず、自由に。

テフラの立場が完全に蝶々夫人だとか、ミス・サイゴンだとか、そういうことを考えてはいけない。

かたや、計画してたのとは異なり、まるで絵は売れない。

「聞いて極楽、見て地獄」は、地球の正反対、タヒチでも通じる言技だった。
結局、働かざる者食うべからず の通りで、金銭に窮した彼は、島民に混じって肉体労働を強いられることとなる。


真実の愛の果てに。


幸い、彼が凡人と違ったのは「絵画の才能」があったことだ。
楽園とは程遠いこの土地に、彼は楽園の色調を見出す。
すなわち、黄色と紫と赤の息苦しいような美、それをタヒチの美として、ゴーギャンの感覚としてかく。(劇中において)空は始終どんよりしているのに。
それは、見たまま ではなく、彼の頭の中にある熟成された色だったのだろう。「この世の外の楽園を願う」彼の心の色だったのかもしれない。

ここで彼の描いた絵は、後世に残った。たとえば、テフラをモデルにした「Merahi metua no Tehamana」といった傑作として。

もちろん、彼はここ タヒチを終の住処、としたわけではない。
彼は、自分のこと=絵にしか興味を持てない人間だった。絵のためだったら、さらに遠い南の島へ行く気でいる。
物語は、彼が金銭に窮して、ドクターストップを食らって、なにより、タヒチで描いた絵画で個展を開く:自分がタヒチで得たものを確かめるために、パリに戻るところで終わる。
タヒチを離れて以降、彼はテフラとは再会しなかった。

最後、簡単なモノローグで、本作はしんみりと、終わる。


実際の彼は、この後の人生も、周囲に迷惑をかけ通しだ。
だから、山風は、彼の「その後」をも冷徹にしかし淡々と記す。手厳しい。


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ドント・ウォーリー
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