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「80歳になった気分はどう?」「40歳の曲がり角の2倍、悪いね。」_“On Golden Pond(1981)”
夏の緑が豊かな湖畔の別荘に、ノーマン(演:老優ヘンリー・フォンダ)とエセル(演:老優キャサリン・ヘップバーン)の老夫婦がやってきた。
今年はノーマンの誕生日を祝おうと、普段は疎遠な娘のチェルシー(演:確執ある親父と初共演ジェーン・フォンダ)が恋人のビルと彼の連れ子ビリーを伴って訪ねて来る…
人の世の燈火、 ほのぐらき樹の間。
原題は「On Golden Pond」。
映画の舞台は美しい湖畔の別荘で終始する、そこからは、広い湖が裾野を見るように一目の中に見える。日はその湖の先の方の山に沈んで行く、湖が金色に輝く。
夕暮れ時が、劇中、なんどもリフレインする、掛け替えのない瞬間:それは日暮れて道遠し人の、残り少ない日々のなか駆け巡る時間とおなじ。つまりは「黄昏」。
端的で美しい邦題だ。
晴れ渡った夏の空、黄昏が迫る。
木立ちの中の長い道のあいだを通って、赤い車が走ってくる。遙かな遙かな山の中から出て来たように、ゆっくりと、やってくる。まだ薄闇にならないうちに、別荘にたどり着く、年相応の服装をした老夫婦が、車を降りる…
この映画は、ここから始まる。
たそがれにうなだれゆくもののかげ。
湖畔の別荘、老いた親のもとを、長年連絡も取っていなかった娘が訪れる。彼女は婚約者を連れてくる、母は歓迎する、父は招かれざる客と、よそよそしい。
すでに父は心身共に弱っている。心の弱りは、他人の間に壁を作る:妙に気難しい態度を娘にも婿殿にも妻にも取るのは、そのためだ。
老いて衰えゆく父親を演じたのがヘンリー・フォンダ。「十二人の怒れる男」「荒野の決闘」「怒りの葡萄」…古き良きアメリカの精神、「人間の良心」を代表するような役ばかり演じ続けてきた男。彼が演じるからこそ、性格に難があるこの老人が、飾り気のない、平凡な、親しみの持てる存在に感じられる。
感じられるからこそ、父の側から一歩歩み寄ることで、親子の確執、という到底解くには難しそうに見える困難も、最後には叶えられる。
父と婿殿の男同士の心の交流、父と娘の和解も、腑に落ちるものと、感じられるのだ。
そんな父と娘の対話から引用。
Bill Ray: Well, how does it feel to turn eighty?
Norman: Twice as bad as it did turning forty.
花さき香に滿ちし世も、今、 たそがれぬ静かに。
娘が去った日の夕暮れ。
この映画のラストも、黄昏時で〆られる。
沈み行く夕陽の最後の光が、窓ガラスを通して室内を覗き込む。
部屋の中には重苦しい静寂が、悩ましき夜の近づくのを待っている。 涼しい夏の湖畔の黄昏時。しかし、万物甦生に乱舞する夏も、ただこの湖畔の別荘だけには訪れるのを忘れたかのように見える。
ノーマンは静かに怯えている。
娘との絆が蘇った途端、自分がかけがえのない存在であることを不意に自覚し、自分の衰えを思い、自分の死が近いのに、怯える。
一刻ずつに昏くなっていく水面を見ていると、心に来てなにかものを言うものがあるようだ。 大鎌で少しずつ削り取っていく死神か。
エセルはそっと、その震える身体に寄り添う。
静かに、息をひそめるふたり。
ゆっくりと日が暮れていく…映画は終わる。
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