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「ディーン 君がいた瞬間」_彼が遺した三作品を添えて。
くすんでいるかのように、抑えた色調でデザインされたVHSのパッケージ。
私が小学生の頃は、まだ、ハリウッドスター ジェームズ・ディーンの神話が、ぎりぎり生き残っていたように思う。
強くなりきれない、傷つきやすい青年を演じたこと。黙って笑っていればイケメンなのに、顔をくしゃくしゃにして悲哀を、表現すること。たまに笑っていても、どこか、はにかんだように見えること。孤独、というほかないものを漂わせていること。
何より、時代とともに疾走し、たった三作の主演作を残して燃え尽きたこと。
男らしくない、儚さが、胸をうつ。
1955年、生前の彼と、とある写真家との交流を描いたのが、本作だ。
この「ディーン 君がいた瞬間」の紹介、
あわせて、彼が主演した三つの作品をここに紹介する。
「エデンの東」
旧約聖書の創世記における兄カインと弟アベルの確執、カインのエデンの東への逃亡の物語を下敷きとして、第一次世界大戦前のアメリカカリフォルニア州を舞台に、父親からの愛を切望する息子の葛藤、反発、和解を描いた物語だ。
原作はジョン・スタインベック。監督を務めたのはエリア・カザン。
聖書におけるアベルがアロン、カインがキャルだ。(原典と違って兄弟、逆にしているのがヤヤコシイ。)
アロンは無邪気な眼、迷いのない顔をした、誰もが好感をもたざるを得なくなる少年である。一 方、キャルは利発ではあるが、常に何か辺りを伺う眼差しのせいか、人から愛されることのない、孤独で苦悩する少年だ。特に、父アダムことアダム(原典と名が同じなのだ)の愛をまるで得られないのが、苦しい。
この複雑な陰を持つキャル役に抜擢されたのが、ジェームズ・ディーンだった。
孤独で反抗的で父の愛を哀しく求めるキャルの人物像は、まさにディ ーンそのものだった。幼いころ母を失い、父により親戚に預けられた彼は、心の底で父を恨んでいたし、心のなかの母親像を求めていたのだ。
ようやっと再会した生き別れの母すら喪って、満たされないキャルは、いっそう父の愛を求めては、袖にされる。(原作によれば)父が拒むのは、過去のトラウマに由来するもの:もちろんキャルはそれを知る由もない。
そして「父に愛され、満たされている」アロンとの対立は深まるばかり。
白眉というべきは 「父の誕生日にキャルの贈った金を 、不正に儲けた金だといって父親が拒絶する 」場面 だろう。
逆に、兄アロンの贈り物には 、父は大喜びしてみせる 。追い討ちをかける様に、キャルがひそかに思いをよせる少女アブラとアロンの婚約発表もなされる。
打ちのめされたキャルは 、泣きながら父親に抱きつこうとする 。それを父は…。
深まるばかりの兄弟の相克、父子の相克。それが、終盤に更なる悲劇を生んでしまう。原典における、アベルとカインの相克の顛末、同様に。
(しかしこれでも、次の二作に比べれば、まだ、救いはあるのだ。)
さて、「ディーン 君がいた瞬間」の物語は、この「エデンの東」の試写会場から始まる。
この時まで「誰にも知られなかった」彼は、「この無名の役者に注目した」上昇志向の強い写真家と共に、旅に出ることとなる。
「ディーン 君がいた瞬間」
1955年、アメリカ。マグナム・フォトに所属する、野心溢れる若手写真家デニス・ストックはもっと世界を驚嘆させる写真を撮らなければと焦っていた。無名の新人俳優ジェームズ・ディーンとパーティで出会ったストックは、彼がスターになることを確信し、LIFE誌に掲載するための密着撮影を持ち掛ける。ディーンを追いかけ、LA、NY、そして彼の故郷のインディアナまで旅するストック。初めは心が通じ合わなかった二人だが、次第に互いの才能に刺激されていく。そして彼らの運命だけでなく時代まで変える写真が、思わぬ形で誕生するのだが──。
原題は「LIFE」。LIFE誌に掲載するため写真を撮った話から、そのまま。
と同時に、これは二重の意味を持つ。「ディーンの人生の断章」もあわせて描かれている。
ここには、メガネをかけて、首を窄めて、目線はいつも下を向いている、スターらしくない彼がいる。自分が一気にトップスターに上り詰めたことに戸惑い、やはり他人との愛を求めては裏切られ、だからかちょっと諦観めいている、素っ裸の「繊細な彼」がいる。
ディーンはストックを、客人としてもてなす。故郷に案内し、朗読を聞かせ、
ストックも、彼を「ただの被写体」ではなく「良き友人」と愛するようになる。
物語は、ふたりが出会ってから、やがて別れるまでを淡々と描く。
この時まで彼は、生きていた。
1955年9月30日、ジェームズは愛車であるシルバーのポルシェ・550/1500RSでカリフォルニア州の州道を走行中、午後5時15分にショラム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、交差点を転回していたフォードに衝突、クラッシュした。
最初 、ハリウッドは彼の死に無関心だった。人気スターは鮮度が命。死ぬと映画の入りが悪くなる。酷い言い方だが、それが当時のハリウッドの常識だった。
遺された二本の映画も同じ運命をたどると、「エデンの東」に続き製作配給を行ったワーナー・ブラザースは確信し、プレミアを中止しようとさえした 。
その二本が「理由なき反抗」と「ジャイアンツ」。
「理由なき反抗」
監督を務めたのはニコラス・レイ。
乱暴に言えば、チキンレースばかり代名詞となって、今では語られている映画。
それだけで片付けるのは:もったいない!
夜の街を彷徨う(当時の言葉でいう)非行少年・少女たちの群像を描いたドラマだ。彼らが非行にはしるのは、親のせいでもあり、彼ら自身の問題でもある。
だからか、画面に緊張感が漲っている。社会にうまく適応できないナイーブな若者を突き放すでもなく、甘やかすでもない透徹な眼差しで描く知性。それが、同時代においてリアリティを持った。(もちろん、いまだと事情はだいぶ変わってくる。)
ディーン演じる少年ジムもその一人。親が転居してばかりで親友をなかなか得ることができない。ひとりぼっちの生活が続いたのだろう:だからか、自由に振る舞うのに、満たされない表情をいつも浮かべているのが、リアルだ。
もっとも、本作の真の主役といえるのは、悪堕ちしていくプレイトウ少年(サル・ミネオ)だろう。夜の街で初めてジムが得たダチが、最後、街一番のプラネタリウムに拳銃をもって立て篭る羽目となる。ここ至るまで複雑な経緯があるのだが、元を正せば、ジムが躍起だってチキンランを行わなければよかった話。
責任を感じたジムは、彼を救うために、最後、自分の身を差し出そうとする。
しかし、プレイトウはそれを拒み、逆に、警官に撃ち殺される。
ディーンの献身が、報われないのだ。
ジムは、プレイトウの死体に泣いてすがりつく。自分の親が引き離そうとするのも構わず、すがりつく。まるで自らの「半身」の死を嘆くかのように。自らの死を予見するかのように、悲壮に。
ともあれ。
ワーナーの予想はみごとに裏切られた。
『理由なき反抗 』は公開されると 、国内外合わせて $7,197,000の興収を記録、大成功をおさめたのだ 。
ハリウッドに届けられるジミーを哀悼する手紙は、止まなかった。
そして、残されたファンにはもう一つ、彼の主演作が残されていた。
米国内で公開されるや$12,000,000の興収、その年のランキング第3位を記録した。日本では 2億1926万円の配収、その年の洋画配収第1位を記録した。
「ジャイアンツ」
監督を務めたのは「シェーン」のジョージ・スティーブンス。3時間半かけて、30年間に亘るドラマを重厚に描く。
テキサスに59万エーカーもの広大な土地を持つ牧場主ジョーダン・ベネディクト2世(ロック・ハドソン)が、東部の名門の娘レズリー(エリザベス・テイラー)を妻に迎える。
このレズリーに密かに心を寄せるがひねくれ者の若い牧童のジェット・リンクを演じるのが、ディーンだ。レズリーは貧乏人には手の届かない存在(そしてレズリーは自分に見向きもしてくれない。) だからビッグになろうと思う。
彼は、偶然にも手に入れた土地で、石油の採掘に挑む。完全なギャンブルだったが、彼は見事に掘り当てる。(噴出する石油を浴びて満面の笑顔を浮かべる姿が、見事。)
以来、かれはとんとん拍子に成り上がり、地元の名士となり、いつしかジョーダンを凌ぐ大富豪となる。金は腐るだけある。だが、孤独だ。
ある時は泥酔して彼らの家に乗り込み、またある時は自ら主宰するパーティに「招待」したりして、ジェットは、ジョーダン&レズリー夫妻を挑発する。それは、元来持たざる者の、劣等感と、羨望の裏返し。
「世の中、金だろ!」
彼自身の価値観のために、レズリーに好意を向けられることは終ぞなく、やはり彼の望みは叶わない。
屈折したジェットがいるからこそ、対置されたジョーダン一家の葛藤も、光る。
レズリーは東部と異なる西部の習慣に迷い、ジョーダン二世は石油産業にとって変わられるテキサスの市場経済に戸惑い、息子のジョーダン3世は、メキシコ人の新婦を迎えたために、人種差別を受けてしまう。
それでも、家族の絆で困難を乗り越え、明日へと進んでいく。ひとりぼっちで、酒浸りになり、立ち直れないまま終わるジェットと対照的に!
おわりに。
「エデンの東」では、父の愛を間際まで得られず、兄とは和解できず、
「理由なき反抗」では、初めての親友を見つけて、しかしそれは長く続かず、
「ジャイアンツ」では、愛する人に、ついに振り向いてもらえない。
以上、ディーンの3つの主演作の共通項を強引に見いだしてみれば
それは「一番求めてならぬものが手に入らない」挫折を続ける、ことだろう。
前述した「ディーン 君がいた瞬間」も、ハッピーエンドではない。
写真家ストックは、ナイスショットを得られたことに満足する。
それで、ディーンとの関係は断たれる。ディーンはストックと「終わらない友情関係」を持つことを求めたにも、関わらず。
(誘いを断られても、ストックの目の前では笑顔を見せ、しかし後になって失意の色を顔に浮かべるのが、見事。)
いわば太陽に対する月のような存在ばかり演じ続けたのだ彼。30代、40代 と歳を取った後、どんな役柄を、どんな引き出しを、私たちに見せてくれるのだろう? 永遠の謎を残したまま、彼は、逝った。
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