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サム・ペキンパーとドン・シーゲル、凡作や失敗作をバネに巨匠に上り詰めた、二人三脚。
「目を覆いたくなるほど凄まじい暴力を描く」 との代名詞が似合う
70年代ハリウッドを代表する映画監督にドン・シーゲル(1912年〜1991年)と
サム・ペキンパー(1925年〜1984年)がいる。
このふたりはセットで語らなくては行けない。なぜなら、ニュー・ハリウッドの作家、遅咲きの作家、バイオレンスの巨匠、という共通点があるから。そして、それ以上に、この二人は師弟関係にあった、という重要なつながりがあるから。
彼らの映画づくりへの執念、原動力は、どこから生まれているのか。
今回は、この二人のフィルモグラフィのうち、初期の代表作を見ていきたい。
ドン・シーゲル、B級映画のドンになる。
1934年にワーナー・ブラザーズに入社した後、ドン・シーゲルは、そのモンタージュ技術を活かして、「カサブランカ」ほかメジャー映画の第2班監督として、実力を見せつけた。監督デビューしてからも、二年連続でアカデミー短編賞を受賞し快調な出だしを見せる。将来は約束されていた、はずだった。パラマウント 訴訟による、大手製作会社の解体、それに伴う製作部門の縮小がなければ。
長編第2作『Night Unto Night』を撮った1948年に、彼は人員整理の対象となり、ワーナーをクビになる。
以降、各映画会社を渡り歩いては、B級映画ばかりを撮る日々が続く。任される作品は、どれもこれもが添え物映画で、宣伝もろくにしてもらえない。したがって、監督の名前もロクに覚えてもらえない。
だが、彼は不貞腐れずコツコツと作品を発表する。B級映画でも彼は自分のアイデンティティを守り続け、いつしかB級映画の「ドン」のような存在へとなっていく。
50・60年代のB級映画の定番は犯罪映画、SF映画、そして西部劇だった。
彼はSFでは「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」などの傑作を手がけ
もちろん、西部劇も数多く手がけることとなる。
1952年、シーゲルの「抜き射ち二挺拳銃」。 正直凡作。
当時大手スタジオの中でも最弱だったユニバーサルで製作された西部劇。
(ユニバーサルは70年代、一連のスピルバーグ作品によって、ハリウッドの頂点へと上り詰める。)
二本立て興業に合わせるため77分と尺も短い。 心なしかポスターも安っぽい。
WIkipedia Commons から引用
主演は日本で全く無名な俳優:オーディ・マーフィ。
24個の勲章をもらった第二次大戦の英雄、その名声を買われハリウッドに招かれて映画界入りし、童顔・小柄、すばやい身のこなしを活かし、アクション主体のB級西部劇に数多く主演した、らしい。
比較的若くして事故死したことと、映画史に残るような超ド級の話題作 ・ヒット作への出演がなかったことで、日本でもその名を知っているのは西部劇ファンの更にごく一部の層に限られる、らしい。
だが、アメリカ人にとっては “国の英雄 ”として今なお記憶されている人物、まして存命の頃は(本土において)神格化されたスターだった、らしい。
彼の最大のヒット作は、自身の戦場体験を(ゴーストライターが)記した小説の映画化「地獄の戦線」(1955年公開)。約1000万ドルの興行収入を記録、弱小ユニバーサル史上最大のヒット作となった。かの『ジョーズ』に抜かれるまで、この成績はスタジオにおける最高記録として保持され続けた。
本作は彼がユニバーサルと契約した初期の作品。シーゲルはかっちりこなす。
だから、中身にソツがない。後のシーゲルを思わせる描写の激しさすらない。
あらすじ
シルバーシティ近辺の砂金採掘場は金鉱強奪団によって荒されていた。町の保安官タイロン(スティーブン・マクナリー)は、早撃ちの名手だったが、強盗団追跡中に負傷し、右手の指が利かなくなる。
彼は強盗団に父を殺されたルークという若者(オーディ・マーフィ)を保安官助手にする。このルーク、「シルバー・キッド」と異名をとる拳銃の名手だった。
タイロンは、傷を治療している時に知り合ったオパル(フェイス・ドマーグ)の家を訪ねた時に闇討ちを受けるが、ルークの働きによって逆に犯人を捕らえる。犯人は強奪団の一味であることがわかり…
オーディ・マーフィ以外も、日本では無名のスターばかり。ヒロインは下ぶくれのハンコ顔で、悪役にはアクもオーラもない。キャラクターに感情移入したり、ストーリーを追うことにこだわったりするには、かなり、つらい映画だ。
それを、ドン・シーゲルは、持ち前の演出力で、国外でもかろうじて観ることの出来る出来に仕上げている。黒皮上着に黒帽のオーディ・マーフィの溌剌とした動き。最後まで退屈させないテンポのよい展開。何といっても、決闘シーンを外さないのが良い。(タイロンの代わりにルークが、最後、ならず者一味との決闘を買って出るシーンが、最高!)
何より、時に強引な操作を辞さない、ダーティハリーでマッチョな保安官が主人公。ドン・シーゲルが描く男臭い世界 とは程遠いが、その断片が見えるのは、間違いない。
「西部劇が現実ではない、夢の世界を描いていれば」よかった時代の産物だ。
この後、シーゲルは1954年に撮ったB級映画「第十一監房の暴動」で手応えを得る。本作、日本だととうてい観る機会に恵まれないが…
この1カットだけでも、内容の烈しさが窺える。
Criterion公式サイトから引用
この作品でアシスタントディレクターを務めたのが、サム・ペキンパーだった。
サム・ペキンパー、シーゲルの助手になる。
南カリフォルニア大学にて演劇を学んだサム・ペキンパーは、卒業後いくつかの舞台を演出した後、テレビの裏方としてスタジオ入り。一方で自主制作で実験映画を作っていた彼。「第十一監房の暴動」のお手伝いをきっかけに、シーゲルに弟子入りするきっかけとなった。
最初は雑用ばかりだったが、やがて脚本を任されるようになり、シーゲル作品にも端役で出演、着々と映画監督に近づいていく。
この間もペキンパーはこつこつと脚本を執筆、シーゲルの推薦もあり、彼の書いた西部劇「ガンスモーク」、「ライフルマン」、「風雲クロンダイク」はテレビ局に買われるようになる。そして師匠同様、しばらくしてテレビ局で西部劇シリーズのディレクターとして働くこととなる。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で愛着と憧憬を持って、たっぷり語られる50〜60年代華やかりしテレビ西部劇の世界。
しかしシーゲルにもペキンパーにも、ここに居場所はなかったようだ。
もっと烈しいのを撮りたい。希望ばかりが膨らんでいく。
やがてサム・ペキンパーも西部劇で映画監督デビューする。
彼がディレクターを務めた「遥かなる西部」の主演:ブライアン・キースが、自身の主演映画の監督に推薦したのが、きっかけだった。
1961年、ペキンパーの「荒野のガンマン」。 正直失敗作。
仇敵への復讐の機会を伺っていた元将校が、罪の意識から美しい女のために危険な護衛に着く巨匠サム・ペキンパー監督の劇場映画デビュー作がHDデジタルリマスター、シネマスコープ版で復刻!
元北軍将校だったイエローレッグ(B・キース)は、首を吊られかけていた男ターク(C・ウィルス)を助け、タークの相棒ビリー(S・コクラン)の手を借り、その場を逃げ出した。実はタークはイエローレッグが探し求めていた仇敵で、自らの手で復讐を果たす心づもりだった。三人は銀行を襲うため町にやってくるが、別の無法者の銀行強盗に遭遇してしまう。イエローレッグたちは強盗を退治しようとするが、誤って踊り子のキット(M・オハラ)の一人息子を殺してしまった。キットは、息子の亡骸を父親の眠る廃墟の町シリンゴに埋葬するという。シリンゴは危険なアパッチの領土にあった。罪の意識からイエローレッグが護衛を申し出るが、キットは拒否して出発する。仕方なくイエローレッグは嫌がるタークたちを連れて後を追う。TVシリーズ「ライフルマン」「遙かなる西部」で腕を鳴らしたサム・ペキンパーの栄えある劇場映画初監督作。ストイックな男の孤独と哀感が漂い、モーリン・オハラの凛とした美しさや、郷愁を誘う西部の風景が印象に残る。
カルチュア・パブリッシャーズ 公式サイトから引用
実はこの映画、「滅びゆくガンマンの哀愁」の要素は非常に薄い。
だから、同じ日差しの薄い、人気のない、乾いた地を行くにしても、どうにも殺伐とした雰囲気が漂う。
それは、踊り子キットの、気性の荒さ、凛とした美しさのためだろう。
街のせいで、夫はおろか、子供まで失う。だから激しく、「街の人間である」ガンマン三人を憎む。憎みながらも、三人に護衛を頼む。
この設定は良い:モーリン・オハラも気迫の演技をもって応える。
だが、同行するイエローレッグとタークは、彼女の芝居を受け止められない:いくらでも書き込めそうな呉越同舟のドラマは、そこまで盛り上がらず、終わる。
シリンゴには、「南軍大正義」の妄想に取り憑かれた悪党ターク(演:チル・ウィルス)が待ち受けている。
悪巧みに頭脳をフル回転させ、追い詰められたら徹底的に弱々しい、この髭面の男を描くときに、ペキンパーは最もイキイキする。他の男たちの存在感は霞む。
グダグダのまま、イエローレッグ、キット、タークは廃墟と化した教会で三つ巴の決闘に臨む。シチュエーションは良い。
だがペキンパー作品ではあってはならないことに:女性キットが割り込むのだ。
腑におちないまま、決着がつき、グダグダのまま映画は終わる。
もうお分かりかと思うが、本作、ペキンパーにしては全く冴えない。
本作、プロデューサー(モーリン・オハラの兄)の手によって、ペキンパーは脚本をリライトする権利、編集権、オハラを演出する権利、全て許されなかった。
よほど応えたのだろう。以降の彼は、自分に脚本の最終決定権がある映画でなければ一切監督を引き受けないことに、決める。
次の機会は、意外にも早く巡ってきた。彼は、脚本作りに思いの丈をぶつけた。
1962年、ペキンパーの「昼下がりの決斗」。老兵は去るのみ。
サム・ペキンパー監督(『ワイルドバンチ』)がウエスタンを代表するスター、ランドルフ・スコットとジョエル・マクリーを主演に配して描く、名作中の名作。金塊護送を依頼された、年老いた保安官とその旧友。それぞれの馬と、数ドルの金しか持っていない二人だったが、彼らには自由という何者にも代え難いものがあった。しかし、移りゆく時代の中で、二人を取り巻く環境は変わり始める。彼らは、牧場の娘(マリエット・ハートレイ)の救出劇、山中での銃撃戦、予期せぬ裏切りなどに遭遇しながら旅を続けていくが・・・・・・。心揺さぶるウエスタンの傑作!
キャスト:
ギル … ランドルフ・スコット (黒澤 良)
スティーブ … ジョエル・マクリー (小林昭二)
ヘック … ロン・スター (石丸博也)
スタッフ:
監督 :サム・ペキンパー
脚本 :サム・ペキンパー
製作 :リチャード・E・ライオンズ
脚本 :N.B.ストーンJr.
ワーナーブラザーズ 公式サイトから引用
Wikipedia Commons から引用
左の細く角ばった顔をしているのが、ランドルフ・スコット。
右の丸っこいジャガイモ顔が、ジョエル・マクリー。
華やかな30ー50年代の黄金期ハリウッド、ふたりはともに西部劇のスターとして一斉を風靡した。
重要なのは、本作でランドルフ・スコットは引退し、ジョエル・マクリーも一線を退いた、ということだろう。だから本作は、この二人に捧げられた花道、といって良い。
話の筋は単純。保安官をリタイアした老人ふたり(&若者一人)が、金鉱から街へと金を持ち帰る仕事を、老後の蓄えを増やすために請ける。
金鉱からの帰途、家出娘が一行に転がり込む。
そこから話は、守って運ぶ金と娘の争奪戦となっていく。最後はお決まり、悪党との決闘だ。
命をかけて多くの悪党と戦ってきたものの 、今は金も家族もなく 、うらぶれた暮らしに身をやつす「元」保安官。これが最後になるかもしれない旧友との旅、昔話は絶えることなく、若いころの気持ちを時に懐かしむ。
「哀愁」というもの。それを主役2人の身体から醸すためには、余計な演出、ややこしいプロットは要らない。真っ当に撮れば良い。
同じ老境に差し掛かったとき、長年息のあったタッグを組んできた二人の考え方にも、微妙な違いがある。
一言で言えば、ギル=スコットが不実、スティーブ =マクリーは律儀である。
ギルは 、これまで命がけで悪党と戦ってきただけに 、最後に少しぐらいは 良い思いをしたいという誘惑にかられている 。どうせ、ドロンしてしまえば、分かりやしまい。だから、うっかり自分たちが運んでいる金塊に、目がくらむ。
他方、スティーヴは、保安官として法を守ってきた自分の信念を今でもかたくなに 、律儀に貫き通そうとする 。金塊運搬の任務を頑なに遵守するのも、助けてやることになった娘を命がけで守るのも 、それが彼の生き方だからだ 。そこに理屈はない 。もちろん、そのストイックでナイーヴなまでの正義感は、いささか空回りしている感も、否めない。
どちらの生き方が正しい、とは一切語らない。ただひとつ言えることは
スティーブは老体に鞭打って決闘に望んだ結果、悪党と相打ちになり、
ギルは生き残り、金を持ち逃げせず確かに街に届けることを、スティーヴに約束する。 それだけのことだ。
老兵は去るのみ。 哀愁の背中だけを残して、映画は終わる。
こちらは各国で絶賛され、ペキンパーの代表作となった。世に出るのは、少し遅かったかもしれない。50年代後半・60年代前半をピークに(映画もテレビも)彼が憧れたアメリカの西部劇は、下り坂になっていく。だから、老境に達したガンマンの物語が、受けたのだ。
それは、西部劇の洗礼を浴びて育った日本人・片岡義男の嘆くところ
一九三〇年代にBクラスの西部劇を一本つくるには二万ドルあれば充分だった。それが一九五〇年代に入ると、一本の制作費は五万ドルをこえるところまでいっていて、五万ドルをかけると商売にするのがむずかしかった。だから、節約の意味で、特に野外アクション・シーンが、ほかのフィルムからぬきとられたのだ。
悪漢たちの人数が、すくなくなった。ほんのすこし前まではぞろりと大勢いたのに、ロイ・ロジャーズが自動車に乗るころになると、悪漢はわずか三人、気勢のいっこうにあがらないようすで山を降りてくるのだった。馬のひづめの音が電気的に増幅されすぎてインチキくさくなり、ピストルの発射音が、これも人をバカにしたような音をあげはじめていた。
一九五〇年代なかばで、このような西部劇はつくられなくなってしまった。一九五六年あたりがさかいだった。夢の世界は終っていた。しかも、とっくに。
片岡義男「エルヴィスから始まった」
<6 ロックンロールとカウボーイ・ブーツ>から引用
※この後作者は、今なお語り継がれる西部劇の名作「真昼の決闘」「シェーン」をある視点からこき下ろす。そういう見方があるのか、と考えさせられる。
60年代になると、イーストウッドの「荒野の用心棒」が生んだブームに乗って量産されたイタリア製西部劇(「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」において、シャロン・テートが自身の出演作を映画館で鑑賞する、その際にチョイと出てくる「豹/ジャガー」など)が幅を利かす様になった。
人が良さげなカウボーイたちは消滅し、ならず物がスクリーンを支配する。
本家本元ハリウッド製西部劇はスターありきの企画が主体、大作ゆえ制作本数は大幅減。外れはないが、どの作品もまるで流行を生み出せない。
ペキンパーは自身三作目の西部劇「ダンディー少佐」で編集権をめぐりプロデューサーと衝突。ハリウッドから干されることとなる。イタリア製西部劇が掘り当てた「バイオレンス」という金脈にたどり着くまで、まだ時間は掛かる。
他方、戦争映画は人気衰えず、B級からA級まで数多く製作される。
シーゲルも例外ではない。スター街道の途上にあったマックイーンのユーモアたっぷり孤軍奮闘記「突撃隊」を手がける。
戦場から明らかに浮いている陽性のユーモラスなはぐれ者が主人公。
実はこれ、シーゲルが「ハリウッドに凱旋した」イーストウッドと初めてタッグを組んだ 「マンハッタン無宿」に受け継がれる要素だ。
1969年、シーゲルの「マンハッタン無宿」。街のドンキホーテ。
本作、「ダーティ・ハリーのプロトタイプ」の一言で片付けられがり。
その一言だけで断じるのは:もったいない!
指名手配の凶悪犯リーガンがニューヨークで逮捕され、アリゾナ州の保安官補クーガン(クリント・イーストウッド)がニューヨークへやってくる。市警のマクロイ警部(リー・J・コップ)は、護送手続きが済んでいないと言って引き渡してくれない。クーガンはリーガンを強引に連れ出すが、拳銃を奪われ、リーガンに逃げられてしまう。クーガンは一人でリーガンの追跡を開始する。
テンガロンハットに先の尖った厚底ブーツ、ループタイ、とカウボーイそのものの格好で。 ニューヨーク市民から浮いている。
明らかに浮いた、田舎者の格好。ニューヨーカーたちに「カウボーイ」「テキサス」「アリゾナ」と朗笑され、 下層階級出身:アイリシュ丸出しのコッブ警部にすら。
田舎者が田舎者を笑う。 いろんな人たちが集まってできた街:それがニューヨークであることが表象される。「田舎者から見たニューヨーク」のものがたり。要は「真夜中のカーボーイ」と同じなのである。
アリゾナとニューヨークの文化の違いは、クーガンにとって心地よいものではない。犯罪者一人を移送するのにも医者、判事、市長の許可が必要で、何もかもがアリゾナと勝手が違う。鉄拳制裁なんて御法度だ。
犯人を勝手に連れ出したのも、犯罪者の護送の許可を得るための煩雑なシステムに辞易したからだ。上層部からは謹慎処分を受けたが、知ったこっちゃない。個人的に犯人を追い回す。
かくて、彼は、ニューヨークにきたドン・キホーテとなって、駆けずり回る。
ラストの追跡は、馬をオートバイに代えただけのモロ西部劇。大事に至らず犯人は無事逮捕。手柄を立てたことに満面の笑みを浮かべて、ハッピーなままイーストウッドは去る。「突撃兵」同様にユーモラス。シーゲルっぽくないといえばぽくない、悲壮感が薄い、不思議な味わいの佳作だ。
監督:ドン・シーゲル
キャスト
クリント・イーストウッド/リーJ・コップ/スーザン・クラーク/テイシャ・スターリング
「マンハッタン無宿」公開は1968年。このとき、ドン・シーゲルは既に57歳、サム・ペキンパーは43歳になっていた。ともに、これといったヒット作のないまま差し掛かった中年期。
しかしここからふたりの快進撃が始まる。「バイオレンス描写」を武器に70年代を渡り歩く。
その後のふたり。巨匠となったふたり。
サム・ペキンパーは、彼の実質的な第四作目「ワイルドバンチ」のラストで、見せた血の舞踊あるいは死の舞踊と呼ばれる大殺戮を描き、過激なバイオレンス作家として知られるようになる。
これは、片岡義男が「エルヴィスから始まった」<6 ロックンロールとカウボーイ・ブーツ>で、以下の通り讃えているように、だ。
伝説上のカウボーイは、一九六九年、サム・ペキンパーによって『ワイルドバンチ』のなかで、ねんごろに、しかも銃弾で血まみれのハチの巣にされて、ほうむられた。あの映画のなかにも、かわりゆく時代のシンボルとして自動車が登場する。主人公のカウボーイたちはほとんどなんの反応も示さず、ジョークとしての人生の終りを、あのスロー・モーションの殺戮場面でみごとに死ぬ。いまはすでに馬に乗っているだけではどうにもならない時代なのだが、だからこそ、『ワイルドバンチ』の死にざまは、無限にうらやましくもありえた。
他方、ドン・シーゲルは「マンハッタン無宿」に「刑事マディガン」のエッセンスを加えて、アクション界のアウトローといえるキャラクター、ハリー・キャラハン刑事を創造する。
以降、ペキンパーは、「ゲッタウェイ」のような男っぽいヴィランテ映画から「砂漠の流れ者」のようなほろ苦い西部劇挽歌まで、幅広く傑作を発表する。
シーゲルは、何とも不気味な雰囲気を放つ「白い肌の異常な夜」、脱走ものの極めつきといいたい「アルカトラズからの脱出」など、イーストウッドを主演にスリリングな傑作を多数作り上げる。
そして1977年、彼はジョン・ウェインの最期の勇姿を撮った異色西部劇「ラスト・シューティスト」の監督を任される。ローレン・バコール、ジェームズ・ステュアートほかハリウッドの重鎮たちの同窓会の趣すらある本作。スタジオシステムに生まれ育った彼にとって、念願叶ったりだったろう。
70年代に全盛期を迎えたふたりは、しかしSF映画ブームの到来、ブロックバスターのブーム到来、プロデューサーとの対立、後輩たちの台頭、様々な理由で干され、晩年は思うようなシャシンが撮れずじまいに終わる。
そんなふたりの片一方、ペキンパーの苦悩が堪能できるのがドキュメンタリー映画「サム・ペキンパー 情熱と美学」だ。 ぜひ、ご覧あれ。
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