実相寺マジックと王朝ものが四の字で組んだ。結果は?「あさき夢みし」
ウルトラマンシリーズを数多く変態的に演出した実相寺昭雄は、日本人特有の民族性・風土・そしてエロスをテーマにした(大島渚や佐々木守といった才人と数多くの仕事をするタイプの)変態的な作品を数多く手がけた映画監督でもあった。
そんな彼が1974年に大岡信の脚本をもとにメガホンをとった「あさき夢みし」より。ウルトラマンの面々も共演
幸い?というべきか、「源氏物語」とは無関係のお話だ。
この映画、ウルトラマンのネーミングにつられて初心者が干渉を始めると、確実に挫折する。前中盤は宮中での情事:いちゃいちゃが延々と山も谷もなく暗闇の中で続くのだから。
話が追いにくいのは、絵作りのせいもある。ただでさえ照明の光量が少ない上に、シネスコ画面で撮影されているために画面中央に配置されている事物や人の顔が薄暗くて見えにくい…いや、まったく見えない。おかげで、だれが何をしゃべっているのか、あらすじを追うのも一苦労。
十数年前放映された大河ドラマを批判した某知事の言葉を借りれば
と一刀両断したくなる人もいるだろう。
種を明かせば、「バリー・リンドン」よろしく自然光として考えられる以外の照明は極力使われていないだけ。
当時の宮中など薄暗くて当たり前。そんな世界に延々居るものだから鳥目になっている四条の視界が、忠実に再現されているだけだ。
さらに種を明かせば、照明費や化粧代等諸々の経費を節約する効用もちゃっかり、あったりするのだ。「豪華絢爛さが勝負の」王朝ものでありながら、美術も貧相で済む。
宮中は俗とは決して交わらない世界。四条も時折外には出るが、世界は薄暗く、青暗く、目に映っている、つまり籠の中の鳥のセカイ。
それが、阿闍梨(演じるは岸田森)の登場で変わる。四条を思慕した挙句自身の愛が報われないことに激高し、数珠を握りしめてブツ切るほどの強引な力で体を重ねさせられるに至って、四条に遁世願望が芽生える。
後半は四条の巡礼の旅が始まるも、ロードムービーのような外連味も大きな出来事もなく、淡々と進行する。
それでも世界は美しい。そんな生き生きとした四条の視界が、自然光をふんだんに得た美しいカメラによって描写される。
東下りの旅の中で四条は自分自身を取り戻す。もちろん、清廉な方なので、汗臭い御家人・毒蝮三太夫が迫ってきても絶対に体を許さないのだが。
一言でいえば、70年代らしい逃避願望を王朝ものという舞台で実相寺風に消化した一作。多少退屈なのは言うまでもないが、それでも実相寺マジックを堪能するには申し分ない一作だろう。