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「決めた。私は寝るわ。」_"The Post"(2017)

1913年に生を受けたリチャード・ニクソンは、1946年に共和党より下院議員に初当選。1953年よりアイゼンハワー政権で副大統領を務めた、本来であれば40代にして早くも栄光のアメリカを率いる大統領になっていたであろうエリート。しかし、1960年の大統領選挙でジョン・F・ケネディに敗れたのが第一の大きなつまづき。
雌伏8年、1968年の大統領選挙で勝利し、第37代大統領に就任。その功績は、アメリカ国外から見れば、外交面において多岐にわたる。ベトナム戦争からの完全撤退、冷戦下のソ連とのデタント(緊張緩和)、中国との国交樹立。1972年5月15日の沖縄の本土復帰が実現したのも、69年11月の日米首脳会談で佐藤栄作首相との合意によって晴れて実現した次第だ。
反面、強いリーダーシップを発揮するトップの存在する国には、得てしてアンチが存在するもの。内政面の功績は今も賛否相半ばする。例を挙げれば環境政策の強化。結果として、当時覇権を誇ったアメリカ自動車産業を、ちょっと転ばせるどころか、大きく衰退へと導くこととなった。
いずれにせよ第二の大きな躓き、ウォーターゲート事件(民主党本部盗聴事件)により1974年に二期目の任期半ばで辞職することになった次第。

ウォーターゲート事件より3年前の1971年。当時ニクソンが軽視していた、たかが路傍の石と思っていたジャーナリストたちが、政府がひた隠す真実=アメリカ人の大半が未だ是があると思いこんでいたベトナム戦争の内実を明らかにし、結果としてニクソンを小さくよろめかせることとなった史実をスティーヴン・スピルバーグ監督がドキュメント・タッチで描いた2017年の映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(The Post)』をご紹介。

物語は、ワシントン・ポスト紙の発行者であるキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)が主人公。キャサリンは、夫の死後に経営を引き継いだが、男性中心の経営陣や株主の中で苦しい立場に立たされていた。ベンは一方で、新聞の内容を強化し、より影響力のある報道を目指していた。

そんな中、ニューヨーク・タイムズがペンタゴン・ペーパーズの一部をスクープし、政府からの厳しい圧力により報道が差し止められる。この報告書は、アメリカ政府がベトナム戦争について長年にわたり国民を欺いてきたことを証明する機密文書であり、戦争の泥沼化に関する政府の隠蔽を暴露していた。

ワシントン・ポスト紙は、このスクープを追いかける中で、内部告発者からペンタゴン・ペーパーズのコピーを入手。しかし、報道すれば政府からの訴訟や刑事告発を受ける可能性が高く、新聞社の存続も危うくなるというリスクを抱える。キャサリンとベンは、株主や経営陣の反対、そして刑務所行きを覚悟しながらも、「報道の自由」のためにペンタゴン・ペーパーズの掲載を決断するが…。


「報道の自由」。時代が時代なら、シドニー・ルメットやアラン・J・パクラが真正面から切り込んでいた題材だろう。
スピルバーグが先人たちの遺志を継ぎ、70年代政治の季節の熱気に挑戦する。実話を実話のまま映像で再現する、緻密な時代考証や絵作りのおかげで、「今に通じる寓話としての」説得力を持っている。

説得力を持っている理由としてもう一つ、「報道の自由」だけを声高に叫んではいない物語の構成も、挙げられるだろう。
本編、キャサリンの生きる「経営」の世界と、ベンの生きる「事件が現場で起きている」世界とが同時並行で描かれる。
キャサリンは「会社を守る」正義を、ベンは「報道する権利を守る」正義を信じている。
どちらか一方だけを正当化する/悪者化するのではない。どちらも泥臭い世界に肩まで浸かって、体を張って生きている。ベンは特ダネを手に入れるためなら手段を辞さない。「報道の現場」に公私問わず生活そのものを捧げている。他方、キャサリンは、夫が残した家族を守る母としての私人の役割、ハゲタカをいなしながら株式上場のための慣れない折衝に当たる社長としての公人の役割、多忙の中でも二つの立場を使い分けている。
立場が違うし、仕事への姿勢も違うのなら、考え方が違うのも当たり前。双方に言い分があることをじっくり描いていく。そうして「目の前の家族に尽くす大義を守るか」「国民の権利という大義を守るか」対立点が徐々に浮かび上がってくる。

そして最後にキャサリンが、この二つを天秤に掛ける。
彼女が選んだのはベンが象る「現場」の意志。ここまでの彼女は、いつものストリープの役柄らしくなく、優柔不断でどこかうじうじしているように見える。それが、この決断に至って腹を据える。
決断をした後、幹部界に向かって

Kay Graham: My decision stands, and I'm going to bed.

IMDBから引用。

「私は寝るわ」とゆったりとした微笑みで言い放つ姿は、太く長く根を張った大樹のよう、いつもの「悠然たる」メリル・ストリープが戻ってきた感すら受ける。

断じて、現場の方が「泥臭く」「高尚」である、という描き方はされていない。
株式公開のため尽力するストリープ、特ダネを手に入れるため手段も時間も辞さないハンクス、この二者を対置させ、1秒1分違わず同時進行で描く。
両方に言い分があることが分かってくる手品である。
この二人が、最後の最後に、電話口を通して合流する。そして、それでも最後に勝つのは、「報道の自由を守る」国民に対して果たすべき大義だ。

俯瞰して見れば、ストリープがさんざ逡巡した結果、トム・ハンクスをこれからの人生の連れ合いに選んだ、そんな物語構造。これはある種のラブ・ストーリーと言えるかもしれない。
そんな二人が、安易な方向に転ぶことなく、己の筋を通すところが、実にすがすがしい。

かくて事件は一件落着かと思いきや…ウォーターゲート事件に「つづく」様にして終わる。
不正を告発することは、そう簡単にできることではない。情報源も丁寧に疲労必要がある。政権から叛逆者と訴えられるリスクだってある。それでもなお、不正を告発する勇気が、時代を揺り動かたことを、本作は骨太に描いている。



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ドント・ウォーリー
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