私の愛車は奇妙です。イーストウッドの「ピンク・キャデラック」
キャデラック。
日本では1910年代より輸入、当初より皇族や華族、政治家に愛好され、富、栄華、日本人の憧れとしてのステータスをなした。戦争挟んだ戦後にも「アメリカン・ドリーム」として引き継がれ、力道山、石原裕次郎、ジャイアント馬場などなど数々のスターや有した、名車。
ピンク・キャデラック。
エルビス・プレスリーは1955年11月21日にRCAビクターと契約。エルビスはビクターから5000ドルのボーナスを受け取り、これでさっそくはじめてのキャデラックを買った。1954年型のキャデラック・フリートウッド・シリーズ60をカスタマイズし、ピンク色の外装に加えて、インテリアもピンクと白で仕上げた。
エルビス・プレスリーはこの愛車を一般の道路で運転し、公の場で使用した。彼はしばしばこの車で街を走り、ファンに挨拶したり、チャリティイベントに参加したりした。さらに、車内には高級なオーディオシステムを取り付け、エルビス個人が音楽を楽しむ場所としても使用した。
エルビスの伝説と結びついた、立身出世、富の象徴へと、ピンク・キャデラックは昇華された。
キャデラックを買うまではスターではない、という不文律が、日米双方で、少なくともオイル・ショックまではあったようだ。70年代を過ぎ、80年代になってからは、「まだ持ってる奴は、効率というものを知らないバカか、古いものにこだわる時代遅れだ」と、少なくとも一般大衆には鼻に笑われる過去の遺物へと、キャデラックは化した。ジャイアント馬場など拘りを持つ以外のスターは別の車に乗り換え、エルビスのピンク・キャデラックは全米を巡業する見世物として奇矯な目で人々から見られるようになった。
それでも、ピンク・キャデラックの持つイメージは、人を引き付けてやまない様だ。ブルース・スプリング・スティーンは直球のタイトルでピンク・キャデラックを歌い、
あるいは、これを愛車に賞金稼ぎとして奔走するクリント・イーストウッドを主役に置いた1989年公開の映画「ピンク・キャデラック」が存在する。
要は、ヤマなしオチなしのふわふわした「ガントレット」なのだ。 見どころはイーストウッドが銃をぶっ放すところだけ…
もう一つあった、
イーストウッドが、キャデラックをぶん回すところだけ。
道路がわるいために盛んに動揺するけれど、それが優秀な車体ボディとクッションとのために快い振動となる。イーストウッドは、砂利を噛みカーブでタイアを鳴かすこの盛った馬=キャデラックを堂々といなす。
運転中は人を肉感的・情動的にする振動に身を任せる、大きな車体に大きな身体をゆだねてハンドルを握る、イーストウッドのどこか幸せそうな顔に注目すべし。