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「栄えある死のために。」_"Dishonored"(1931)
第一次世界大戦中の渦中を股にかけたとドイツ帝国に喧伝された、実在のスパイ:マタ・ハリをモデルに、マレーネ・ディートリッヒが美貌の女スパイを演じた、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の1931年の映画「Dishonored」(邦題:間諜x-27)より。
1915年、オーストリア帝国の首都ウィーン。娼婦のマリーは帝国の諜報部から強制的にリクルートされ、スパイとなる訓練を受ける。戦時中ゆえ拒否権はない。勲章すがたの将校が、愛国心や自己犠牲をマリーに説く。彼女は実にどうでも良さげに手櫛をかき分ける。
おおよそ正義感を持ち合わさない彼女が、なぜスパイという危険な職業に足を踏み入れるのか。それは、次の台詞が指し示している。
Austrian Secret Service Chief: It is now my duty to point out to you that the profession of a spy is the most ignoble calling on earth, lower than anything you have have ever experienced. And it is dangerous, of course.
Marie Kolverer: I've had an inglorious life. It may become my good fortune to have a glorious death.
やがて彼女はX-27という名を与えられ、帝国のために働くこととなる。誘惑的な身体と顔とピアノを華麗に弾く指以外には、なんら特別の才能があったわけではない。美しいだけで平凡な女だったからこそ、敵国の男たちは警戒せずに彼女に惹かれ、絆され、秘密を打ち明けていく。
次々と任務を成就させていくX-27。
それは、昨今のスパイ映画やスパイ漫画にある様な、縦横に国境を出入して諸国に放浪するアクションやサスペンスを持ち合わせた起伏の大きいドラマチックで大掛かり…なものとは、ほど遠い。
くわえたばこにピアノ演奏に指絡め、様々なしぐさを用いて、彼女はいろんな男を淡々と征服していく。それが仕事だからだ。
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指を組んでクッションにもたれかかる姿、大理石の彫刻の様に。
時に多数の屈強な男たちの間に取り囲まれたとしても、彼女は萎縮してその目に媚を込めることはない。孤立した存在として、ただじっと、その様子を眺めるのみだ。
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決して、暗号電報一つで多勢の男を殺すことにも、べつに歓喜も悲痛も知覚しない、無神経な性格の悪女だったわけではない。あたかも、自分自身がスパイであることを自覚していない様に、時折、どこか虚空に視線を向ける様子が、垣間見える。現実感というものを、持ち合わせていないだけなのだ。
平凡な女だからこそ、あっさり小石に毛躓く。
X-27は敵国ロシアの諜報将校に恋してしまった。一度は上手く罠に落として捕らえた彼を、X-27は自分の手で逃してしまう。
さびしい男が、時として途上に出会った娼婦に大きな秘密を打ち明けた。X-27は、いっしゅんマリーに戻って、身をもって彼の秘密を守ろうとする気分になってしまったのだろうか。自分自身にも分からないまま、茫然と男が闇に消えていくのを見送るX-27。
X-27は軍事法廷で処刑を言い渡される。一切の身分をはく奪され、もとにマリーに戻った彼女。それまで流されるまま生きてきたマリーが、自分の意志で初めて起こした行動の責任を自ら引き受けて、勇んで迎える終局こそが、本作がひときわ輝く瞬間なのである。たとえそれが不名誉(=dishonored)なことだったとしても。
一列に並んだ銃殺隊の前に、マリーが立つ。マリーは囚人服ではなく、昔、街に立っていたころの娼婦の衣裳で銃口の前に立つことを希み、許されている。それは、誇り高い彼女の死装束だ。
マリーは、ふと立ち止まって鏡を探す。最期の顔を映す鏡は、ない。女の顔の前に、若い指揮官がサーベルを抜いて差し出す。白い刃の鏡の中の娼婦に、マリーは微笑む。美貌に心動かされるつつも、目隠しを依頼する指揮官に対し、これを拒絶する彼女。
十字を切って、毅然と機関銃に目を向けるマリー。
太鼓の音、自分の合図でこの女が死ぬなど…若い指揮官は以下のように狂乱する。彼女を戦争に巻き込んだのは誰なのだ、と。
Young Lieutenant - Firing Squad: I will not kill a woman! I will not kill any more men either! Do you call this war? I call it butchery! You call this serving your country? You call this patriotism? I call it murder!
その気遣いは、名誉ある死を迎えたいマリーからすれば、いまさら、はた迷惑な言い草。年配の将校が、代わって、処刑の指示を行う。銃殺は、一瞬で終わる。
名誉とは何か。不名誉とは何か。
結論から言えば、本作は、「国のために生きた」「正義を守るために生きた」「愛に生きた」という甘ったるい言葉からは程遠い、「己のために初めて生き、己のために従容として死を受け入れる」一人の気高い女性の稀有な、ヒロイックな映画なのである。
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