映画「旅の重さ」_これは、誰もが持っている、まっしろな青春のさけび。
_ここより外に出たいと思う。なんならむかし だって、いい。
それが、70年台の日本 だとしても。
70年台の青春映画を選り好みせず観てみると、
時々、面食らうほど「ピュア」で「感傷的」な作品に出くわすことがある。
洋画だけでない、邦画においても。
それも、実録、アクション、アート系、ロードムービー、形式をいっさい問わずに。
70年代とは、まだまだ日本が貧しく、古い因習があちこちに残っていた時代。
その中で青臭くもじたばたしながら生き抜こうとする少年や青年の姿を、映画のいう名の詩の中に閉じ込めているのが共通点。泥臭いことが尊ばれた時代。
「不定形な青春の姿を共感を持って描く」リリシズム、
「この世の外にこそ未来を見出そうとする」ロマンチズム、
「政治の季節の後、理想不在の70年代に途方に暮れた」ペシミズム、
これら三つがミックスされると、それは実に甘ったるしく、感傷的で
そしてなぜだか、胸を打つ。
世の中は暗いけど、絶望はしなかった。彷徨わされることに、前向きだった。
見えない明日にも未来があると、純粋に信じられた青春が描かれている。
今は失われたタイプのこういったピュアな映画に会うと、姿勢を正してしまう、
そして語る時には自然と、ですます調になってしまいます。
それはまさに種田山頭火が俳句で語った
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
あるいは
また一枚脱ぎ捨てる旅から旅
という、旅の世界。
さて、「70年代の青春映画」として、とりわけ名高いのが本作。
監督の斎藤耕一は、もともと撮影出身、斬新なカメラワークで70年代を馳せた映像作家。作品によっては音楽まで自分で演出しています。
この後、74年には「津軽じょんがら節」で江南杏子を主役にキネマ旬報1位を獲得、つづく「無宿」で勝新太郎と高倉健の最初で最後の顔合わせを実現させ、一世を風靡することとなります。
※あらすじ・キャスト・スタッフはこちら!
ママ、びっくりしないで、落着いて。わたしは旅に出たの。ただの家出じゃないの、旅に出たのよ…。貧しい絵かきで男出入りの多い母親(岸田今日子)との生活に疲れ、四国遍歴の旅に出た16歳の少女(高橋洋子)が、数奇な体験と冒険をしながら大人にめざめてくい姿を、詩情豊かに描いた意欲作。
【スタッフ】
原案:素九鬼子
監督:斎藤耕一
脚本:石森史郎
音楽:吉田拓郎
【キャスト】
高橋洋子/高橋悦史/岸田今日子/秋吉久美子/三國連太郎
松竹DVD倶楽部 公式サイトより引用
何が何やらみんな咲いている。
本作が今なお語られるのは、「映画の雰囲気にマッチした」力の入った顔ぶれにも、その理由を求められるでしょう。
主役の高橋洋子(by八重子のハミング)は、喜怒哀楽じつに豊か。
ちょっと辛いくらいなら強がって、でも本当に辛いときは泣くのをためらわず。
喜ぶときはそれこそ心から。
「不定形なうつろう青春そのもの」を全身いっぱいに表現しています。
少女の母親役を演じるのが岸田今日子。当時まだ40とは思えない貫禄。母親らしい生活のための気苦労が、娘からの手紙を受け取る度に映し出されます。
秋吉久美子、高橋悦史と少女の旅の花を添える その他キャストも豪華ですが、
中でも巡礼坊主の三國連太郎は、ほんの一瞬の登場なのに、
本人の性格そのまま丸写し、求道者で重厚な存在感で、強い印象を残します。
今日もいちにち風を歩いてきた、感慨。
しかし何と言っても本作いちばんの魅力は、映像と音楽の一体感にあります。
これが出来る映像作家は、古今東西問わず、日本にも世界にも早々いません。
見終わった後には、
「斎藤監督は、ロードムービーを撮るために生まれてきたようなものだ」と
膝を打つことになるでしょう。
(実際、この演出が勝新に買われて、後の「無宿」での起用につながります。)
このタイトルバックでは、少女が麦藁帽子に白いシャツと長ズボンの姿で、 真夏の四国をひとり行く姿が描かれます。
傍を行く特急列車に抜かされたり、 突然の雨に降り込められたり、
傍の畑からもぎ取った果実をかじったり、 浜辺でハダカになったり。
ひとり旅の、喜びと不安、両方を一呼吸で描ききります。
これは本編(四国をオール・ロケ)に入っても、雨にも負けず風にも負けず山間や田園風景の中をひたむきに歩く姿のなかに、正と負、ふたつのドラマと感情をリリカルに奏でる点で、ぬかりありません。
彼女の軌跡に情緒を添えるのが、よしだたくろうの音楽です。
殊に、タイトルバックでは「今日までそして明日から」(「オトナ帝国」のキー・ソング)が否応無しに見るものの期待を盛り上げてくれます。
空は広くどこまでも続いている中を、 時に人を愛し、時に人に裏切られながら、 それでも、ひとり行く、白いシーツにそよぐ風のような少女。
見るものの心を敲くのは、少女が母親に送った最初の手紙と同じ、
この言葉「そのもの」ではないでしょうか。
「この生活には何はともあれ愛があり、孤独があり、詩があるのよ」
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