関取花さんへ
枕もとのスピーカーから直線的に唄声がぼくの脳を通り越して、首筋から胸へ、そして鳩尾まで。
その唄声は直線的ではあっても、体内のそこかしこにぶつかり、摩擦を起こしながら落ちてゆく。
さらに、すごい速さで後頭部まで逆流して日常の閉塞感に向きあわせたり、手足のすみずみへ拡がってこれまで交わってきた一人ひとりとの重なりをふり返らせたりする。
感情が凝縮されるたびに、いまから逃げ出す手段を見つけられない自分がいて、体がチリヂリバラバラになりそうになる。
なのに、聴いている。ずっと、聴きつづけている。
打ちのめされたボクサーは、耐えがたい痛みと、支えてくれた人たちの視線の中での屈辱感を手繰りよせて、ファイティングポーズに換えるのではないだろうか。ぼくは当事者ではないし、当事者であっても、一人ひとりの置かれたその状況によって、すべて違うだろうけれど。
努力を積み上げてきた自信とか、勝利に対する執着心とかよりも、「いま」自分の意識を埋めつくそうとする負がエネルギーになる場合が多いのではないだろうか。
ぼくの主観だけれど、花さんは…、
うまく唄おうとしていない。
リアルをぶつけようとしている。
だれにも自分の想いを押しつけようとしていない。
一方で、
聴き取れない言葉があっても心に響く。
唄声がひとつの楽器のようでもある。
十代から言葉にこだわって唄と暮らしてきたけれど、花さんの波打つ声はぼくだけの常識を変えてしまった。
幼いころからの施設での暮らしで、たくさんの大好きだった友だちやスタッフさんたちとの別れがあった。
一人ひとりとの結びつきの色あいはちがう。
十歳ぐらいだっただろうか。
結婚を理由で去ってゆくスタッフさんには、「あれだけ優しくしてくれたけど、ぼくらより大事な人がいるんや」なんて、すごく淋しかった。
思春期ぐらいから、別れるときの「また来るから」は「さようなら」とおなじ意味だと気づくようになった。
相手を傷つけてしまったこともあったし、普通なら取り返しのつかないことが「障害」で守られてしまったときもあった。
歳を重ねるにつれ、逝ってしまう友人も増えたし、若いころに影響を受けて、ライブを聴きに行ったり、本を読み耽ったミュージシャンや物書きの人たちも、声や活字としか出逢えなくなってしまった。
なつかしい情景は浮かんでも、大切な言葉は記憶に刻まれても、一つひとつの唄や作品とはたやすく再会して新しい感情が湧いたとしても、リアルなものではない。
ぼくはぼくにしかなれない。
彼だったら、アイツだったらは想像できたとしても。
ひょっとしたら、いま聴いている花さんは、つくられた花さんかもしれない。
でも、いま聴こえている唄声はみんなにむかってではなく、一人ひとりの心へ語りかけているように、ぼくは思う。
変わらないでほしい。ずっと変わらないでほしい。
これからも、遠ざかる背中を見送らなければならないことはあるだろう。
花さんの唄を傍らに、ぼくは呼吸しつづけるだろう。