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春を待つ手紙

 政治に携わる人の演説を聴いて、投票したい気持ちに駆られたことがあまりない。
思想をこえて、大勢を前にした話に「人柄のよさ」を感じたこともあまりない。
ほかの陣営よりも一票でも多く積み重ねたいわけで、どうしても断言が目立ってしまう。

 自分だけが正しいように言いきられると、ヘソをまげたくなるのはぼくだけだろうか。
 たいがいは明言すれば主張が理解されやすいし、強いリーダーシップに委ねるほうが個人の責任を負わなくてもすむから、ためらわずにソッポを向くこともできる。また、深く考えなくても大河に身をまかせられる。

 いつも腰が低くて誠実な人だけれども、自分の考えとすこしズレたところから出ている候補と、個人の良し悪しは判らなくても、ほぼ想いが合致したところから出ている候補がいるとすれば、どちらに一票を投じるだろうか。
 長く生きてくると、こうした選択に立ちあう場面もよくあった。

 ぼくのまわりには、誠実で、提案力があって、「こんな人が議員さんだったらいいのに…」という人物が何人か存在したことがあった。
 でも、そんな人にかぎって権力に対する欲がなくて、仕事をコツコツと取り組んだり、政治に関わったとしても裏方に徹したり、けっして表舞台に立とうとはしなかった。

 ぼくは唄が大好きだ。
格差がどうとか、管理がどうとか、世の中について語る声はよく聞こえる。
でも、日本人が「世界に一つだけの花」をあれだけかわいがるのはなぜだろうか。
桑田佳祐の自由な発想に惹かれるのはなぜだろうか。
ネームバリューだけではないような気がしてならない。

 最初に書いた内容には、浅くて深い理由がある。

 子どものころ、たまたま施設から外泊した夜に日曜洋画劇場で「アンネの日記」を放送していた。
 ナチスの親衛隊の足音に怯えながら暮らす屋根裏の人たち。
十歳前後だったので、詳しいストーリーは憶えていない。
ただ、何度も映画の中で登場する「ピーポーピーポー」というサイレンの音…。
ちょうど「アンネの日記」が放送された時期と重なって、救急車があの映画で登場する不気味なものと同じに変わったのだった。
 あのころ生活していた施設は、京都市内の大通りに面していたので、ひっきりなしにあの音を耳にしなければならなかった。

 いま、わが家の近くに救急病院が何ヶ所かあって、しかも、わりと交通量のある道のそばの文化住宅なので、昼夜関係なく「ピーポーピーポー」が聞こえる。
 あまり気持ちいいものではない。というか、「アンネの日記」を思い出してしまう。

 それと同時に、何度かテレビで観たヒトラーの演説がかならず頭をもたげてくる。
 ギリギリの生活に追われると、知性を失ってしまうことがある。
ある方向に走りだしてしまえば、誰も止められなくなることがある。
ずいぶん以前に従軍慰安婦をテーマにした研究者の講演で、ボスニアヘルツェゴビナの内戦でも性的な暴力が行なわれていたという報告を聞いたことが忘れられない。
 非日常の中では、民族や地域の違いはそれほどないのではないだろうか。個人の違いはあったとしても…。

 代案を探し出せないからはがゆいけれど、多数決でコトが運ぶ民主主義ほど危険なものはないのではないだろうか。
たまたま、ぼくは電動車いすに乗っていて、見るからにマイノリティーだと判る。
 けれど、一人ひとりを細分化していくと、誰もがマイノリティーに行きつくのではないだろうか。
その答えはいたって簡単。
「世界にたった一つだけの花」だから。障害者だけが当事者ではない。


 中学部、高等部を同じ養護学校で、同じ寄宿舎ですごしたYくんを思い出す。
 教科はおよそ小学校低学年のレベルだったけれど、飛び抜けて仲間の人望は厚かった。
 身のまわりの支度は人一倍に時間がかかるので、いつも三十分は早く起きていた。
 休みの日のトイレ掃除は誰よりも早く始めて、納得いくまで便器を磨いていた。

 まわりの先生たちの評価は低くて、みんなに推されて生徒会へ立候補するとなったときも止める人さえ出たことを憶えている。
 話しあいで、鋭い意見をいうわけではなかった。
大勢が決まったあたりで発言するだけでも、周囲に安心感をもたらす役割を整えていた。
「Yくんがそこにいるだけで、意見が言いやすくなる」
みんなの同じ想いだった。

 Yくんとは卒業して十年たらずで、山にかこまれた施設で再会して、同じように今度は自治会で役員の席に並ぶことになった。
 日本で三番目か四番目に設立された障害者施設の自治会はスジ金入りで、テーマによっては理事会と同等に近い権限を持たされていた。
 再会したYくんはまわりの信頼は厚くても、相変わらず寡黙な人だった。
口の達者な女性陣にボコボコにされた話しあいのあと、Yくんに訊ねてみた。
「自分の意見が通らへんのは、しんどいんと違うか?」
Yくんはいつもの上目づかいで、ニコニコしていた。
「ぼくは思い通りにいかへんのは、どうでもいいと思ってるんや。それよりも人の意見を聴くのが新鮮なんや。勉強になるんや」
 言葉が出なかった。

 ずっと、書きたかったことだった。
政治家について感じることと、Yくんのエピソードはどこでつながっているのだろうか。

 コロナのようなスピード感を必要とする施策もある。
でも、民主主義は一人ひとりの仕事と生活にフィットしたものだったり、末端から積み上げたりしていくものではないだろうか。

 話は飛躍するけれど、医学が発展すればそのうちに障害者はいなくなるのだろうか。それが素晴らしい社会の理想なのだろうか。

 この春は遅いだろうか。蠟梅と逢いたくなった。





















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