チャララーン♪鼻からホタルイカ♪
ぼくの目の前には、本格的なフェイスガードをした大柄な白衣の中年男性がすこしかがんで立っていた。
片手にはペンライト、もう一方にはピンセットを持っていた。
ここは診察室。
言うまでもなく、白衣の中年男性とは耳鼻科医らしかった。
フェイスガード越しの声はややこもっていたけれど、とても聞き覚えがあった。
電動車いすは診察用のイスよりも低くて、先生はぼくの顔に近づくためにさらに身をかがめた。
やや右にかたむけながら上を向くと、リラックスできるポイントがあることをぼくは経験上知っているから、ゆっくりと顔をその角度まで視線で誘導する。
先生がピンセットを鼻先へ持って行ったかと思うと、穴からわずかに飛びだした何かをつまみだした。
目の前に現れたのは、市場で見慣れたボイルしたホタルイカだった。
あれだけのサイズのものが詰まっていたというのに、なんの違和感もなかった。
いつものように、バカげた夢だった。
ただし、今朝は明け方の夢ではなかった。
泊まりのヘルパーさんと朝から夕方まで入るヘルパーさんの終了と開始時間には頃合いのタイムラグがあった。
横向きになり、大きなクッションを抱える最高にリラックスできる体勢を整えて帰ってもらったのだった。
一時間ほど居眠りをした。
その間の浅い眠りの夢だった。
ベラベラと本音をしゃべると(だんだんぼくのまわりくどくて、あまりカッコよくない文章におつき合いしていただく人たちも固定してきて、なにか不思議なつながりを感じるようになったので、「本音をしゃべる」と書かせていただいた)、気の合ったヘルパーさん同士のリレーだと間隔をあけなくてもしんどくならないけれど、なかなかうまく通じあえない人がつづくときは、ひとりになれるとホッとする。
人間関係だけじゃなくて、体調やそのほかいろいろとあるけれど。
浅い眠りから覚めると玄関ドアが開く音がして、今日一日をおつき合いするヘルパーさんがやってきた。
ヘルパーさんによっては後片づけが苦手な人もいるから、今日の彼は台所まわりと分別ゴミのチェックをしてから部屋へ入ってきてくれる。
そんな音を聞きながら、ぼくはついさっき見ていた夢について「穏やかな苛立ち」などというふつうは吊り合わない言葉の組み合わせでしか表現できない、でも、結局はしあわせな探しものをしていた。
「しあわせな探しもの」とは、先生の声だった。
若いころから聴きなれた声だったし、出演しているテレビ番組もわかっていた。
夢ほどは大柄ではなかったけれど、顔もハッキリ思い出せた。
なのに、彼のなまえだけが出てこなかった。
「もんたよしのり」ばかりが、頭の中を行き来した。
けれど、その度に養護学校で最初に友だちになったタカオにそっくりのマイクを握った姿が浮かんだし、ダンシングオールナイトのハスキーな唄声が蘇るばかりで、正解とはほど遠いものだった。
「もんたよしのりやないんや」、この言葉がリフレインした。
片づけが一段落して、彼が部屋へやってきた。
もう九時を過ぎていて、お昼に出前をお願いしているお弁当のボリュームがなかなかのものなので、朝食をスルーすることを伝えて、お薬とこんにゃくゼリーをひとつ食べた。
そのこんにゃくゼリーをモグモグと味わっているときに、記憶の闇をかき分けるように、ひとりの一世を風靡した芸能人の名前が転げだしてきた。
「みのもんた」。
「記憶の闇をかき分けるように」と表現したけれど、芝居の出待ちで分厚くて重たいカーテンをかき分けるときに、電動車いすの操作だけができるようにガッチリ固定された手足をふくめた全身にまとわりつくあの感触にとても似ていた。
ほんとうに「みのもんた」は、転げだすように現れた。
夢の中でホタルイカが鼻に詰まっていても、なんの違和感も覚えていないし、そのあとに訪れるはずの爽快感もなかった。
なのに、「みのもんた」の名前を思い出した瞬間の後頭部のあたりに起こった感触は、いったいなんだったんだろうか?
どこか、小石が動くようでもあった。
あの感触を科学的に説明できるとしても、ぼくは体の「不思議」におさめておきたい。
できるだけ「不思議」は取っておきたい気がする。
一時間ほどで、書き終わる長さにするつもりだった。
結局、三時間あまり、思いと言葉を重ねつなぐことに、汗まみれになってしまった。
でも、ヘルパーさんたちは口をそろえて言ってくれる。
「書いてはるときが一番イキイキしてるみたいやわ~」と。
これから、ボリューム満点のお弁当をいただくことにする。
予定だと、火曜日はぼくのnoteでひとりだけ実名で登場してもらっている「永井くん」がやってくる。
また、湿り気と奥行きのあるタネ(ネタではない)を運んできてくれるだろうか。
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