命の尊重論なんて嫌いだ【もと救急隊員の本音】
こんにちは。インデックス投資家のウォークです。
僕はもともと救急隊員として日々、サイレンを鳴らしながら走り回っていました。
119通報をして救急車を呼ぶことは日本では無料です。
これは世界的にも珍しい救急医療体制で実は賛否両論があるところです。
この体制は、命の危機に瀕した人からはお金を取らないという正の側面と
一方で貧困層の方が、救急車を頻繁に呼ぶ頻回要請者になってしまい、医療資源を圧迫してしまうという負の側面があります。
そういうわけで、僕自身も心筋梗塞や脳卒中といったTHE救急患者を扱うことよりも
本来医療というサービスだけでは不十分で、もっと奥深い課題を抱えた精神疾患の方やアルコール依存症
そして生活保護の方を相手にすることの方が多い現実がそこにはありました。
そんな現場で僕は色々な人を見てきました。
首を吊った自殺現場や強烈な臭いの孤独死のゴミ屋敷アパートにも行きました。
終始、ぶつぶつとうわ言を言っていた傷病者になんとかコミュニケーションを取ろうと一生懸命話しかけていたら、突然グーで顔面を殴られるみたいなこともありました。
(後で隊長に話しかけたお前が悪いと言われました。)
そういう現場にいく度に僕は、ある意味で失礼かもしれませんが
『この人の人生、なんでこんなことになっちゃたんだろうか。』
ということを考えていました。
その人たちも小さい頃は友達と無邪気に遊んで、人生に対して夢や目標があったと思います。
それが、どこかで歯車が狂って、あるいは自分で壊してしまって自分が耐えうる負荷を超えてしまうダメージを受けてしまったのでしょう。
その過程で何らかのヘルプのサインを発していたはずです。
でも、適切な対処はなされることなく、そのままその人は再起不能の状態になってしまった。
救急車を呼ぶもっと前に、彼らには違う支援や希望が必要だったのだと思います。
こういう体験から、学校の道徳で教わるような
『みんな違ってみんないい』とか『自分自身は大事にしなさい』とか『人に暴力してはいけません』
みたいな、そういう命の尊重論みたいなものって
実際に命の散り際とか、世の中に絶望している人に関わったことがない人の口から出る戯言だなと感じてしまうのです。
彼らの瞳の暗さは、そんな綺麗ごとで片付けられるものではありませんでした。
そして、そういう人たちへの支援は実際に複雑で困難を極めるものなのでしょう。
当時の僕が無力だったように、今の僕にもそういう方々に出来ることはほとんどないのかもしれません。
ただ、彼らを思い出すたびに『嫌なことに殺されないための資本』を持つことの大切さを痛感するのです。
嫌なことに追い詰められすぎて、人格の尊厳を破壊される前に
最終手段の脱出パラシュートを広げることが出来ていれば
彼らの人生も変わったものになったはずです。
僕らが生きている資本主義はそういう世界です。
自分自身を助けれるのは自分自身です。
誰かが助けてくれるなんて甘い考えは捨てましょう。
・・・今日はちょっとブラックウォークが出てしまいました。
気分を害された方は申し訳ありません。
それでも
お金無くして自由なし。
僕の頭の中は彼らを思い出すたびに、そう警鐘を鳴らすのです。
それはどんな綺麗ごとよりも僕を突き動かす原動力になってくれています。
資産形成、一緒に頑張っていきましょう。
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