![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171820093/rectangle_large_type_2_70b5ef5e193cfcc2f0fd2c7ca20f28d8.jpeg?width=1200)
米・日、野球殿堂入りイチロー選手のいう"基本のもっと手前の基本"を探る②イチローの脱力と道元禅師の身心脱落というコンセプトの共通点
引き続き。
前回はイチロー選手のいう”基本のもっと手前の基本”の理合を探るべく、禅宗の規矩、作法が云わんとするところに共通点が有るのではないか?というところで話を止めた。
今回は、では禅宗はどんなコンセプトで修行を行っているのか、に触れていきたい。
ちなみに、ここからは禅に詳しい方、あるいは、武芸の稽古事などを嗜まれている方、アスリートにとっては当たり前すぎる話になるかと思う。むしろ、これら一部の方向けの話というよりは、運動不足の現代人に向けての記事にしたいと思う。
物事の起点にあるコンセプト
まずはじめに言葉ありき
聖書の有名なフレーズだが、物事の起点には、言葉がある。言葉は概念、つまりコンセプト、理念である。
私たちが何かをするとき、あるいは、何かを得たり、手放したり、するときもいちいち意識しているかしていないかは別にしてコンセプトが存在する。
少し、話題を逸らす。
今となっては誰でも持つようになったスマホだって、iPhoneが2007年に登場した際、Apple創業者スティーブ・ジョブズはこういった。
「電話を再発明する」
電話とインターネット通信機能、メディアプレイヤーが一体となったひとつの端末の発表、電話の再発明というコンセプトが、私たちのコミュニケーションのありようを変えてしまった。(良いか悪いかは別にして)
物事には必ず、コンセプトがある。
うまくいくにはうまくいくなりのコンセプト、うまくいかないならうまくいかないなりのコンセプト。
また、先般、ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領に就任したが、彼の掲げる「MAGA(Make America Great Again)」アメリカを再び偉大な国にする、というのもコンセプトであるが、近年、こういった明確なコンセプトを打ち出した政治家が現れたことがなかったかもしれない。
もとい、本記事ではイチロー選手のいう”基本のもっと手前の基本”の云わんとするところを考察するために書き始めた。
そこで、冒頭より禅宗の規矩や作法に共通するところが多いのでは?という仮説を立てたわけであるが、その共通するところを抽出して可能限り言語化ができれば、私のような凡人にはつかみどころが見えないイチロー氏が言った”基本のもっと手前の基本”が、爪の垢程度であっても少しだけつかめるかもしれない。
ちなみに、スティーブジョブズもZEN(禅)に傾倒していたといわれるし、なんなら出家して永平寺で修行したいと言っていたほどだというから、話の相性も良さそうだ。
イチローの脱力、道元の身心脱落というコンセプト
イチロー選手の脱力
先日の情熱大陸の特集で、イチロー選手は「大事なポイント」として、こういうことを言っていたので、上の動画を参考にいただきたい。
「やってはいけないということはあるかもね。これをしたらそうなれるかというとなかなか難しいんだけど」
「力を入れることは簡単にできる。大人になると抜くことができない。」
「大事な、必要なところだけ力が入るようになっていて、あとは抜けている。」
この言葉にも彼のトレーニングの哲学のエッセンスが凝縮されている”コンセプト”といえるだろう。
稽古照今
古事記の序文の一節には、稽古照今という言葉が出てくる。意味は、古を稽え、今に照らすということであるが、現代においてトレーニングと同義で使われることすらある"稽古"という言葉の用い方は、漢字が本来意味するところを調べれば誤解している可能性すらあることに気づく。
次に、イチロー選手のこれまでの発言などを踏まえての彼がが理念としてきた”力を抜くという世界観”を捉えるに当たって(照今)、これまでの歴史上においてすでに言語化されたコンセプトが存在していなかったか?(稽古)を考える。
さてここでようやく時は鎌倉時代にまでさかのぼり、道元禅師の"身心脱落"について触れていきたい。
道元の身心脱落
仏道をならふというふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
永平寺開山、曹洞宗の祖と言われる道元の主著「正法眼蔵の中でもとりわけ道元禅師の言わんとする主張・コンセプト”身心脱落”が端的に記されている”現成公案”の巻。
いきなり結論から入るようなこのわずか4文の中で、道元禅師の考え方、あるいは永平寺の僧堂生活に象徴されるような禅の厳しい規矩や作法などの考え方にいたるまで集約されているといえるかもしれない。
しかし、この結論だけでは、点しかみえず、道元の身心脱落のコンセプトが見えてこない。
コンセプトはあくまで点であり、ストーリーという線でつなぎあわせたときに、その意味に命が宿り、私たちの魂に訴えるものになる。
禅師が身心脱落というコンセプトに至った経緯として若き道元がはるか宋(中国)渡って師を尋ねる求道の旅にてようやく出会った正師・如浄と重ねられた拝問の記録が収められた”宝慶記”というものがある。
とりわけ、原文、語義、現代語訳、解説と現代の人にも分かりやすくかつ、それに加え、あとがきの宝慶記の生まれる背景や永平寺第2祖の孤雲懐奘禅師の古写本の写真画像まで添え原義を損なわない丁寧な配慮が行き届いた以下の書籍を参考にした。
本書を踏まえた上で、誤解をおそれず筆者なりの想像を巡らせた中での解釈を挟みながら道元が新しいコンセプト”身心脱落”に出会った背景を探りたい。
道元「身心脱落」というコンセプトに出会うまでの経緯
道元、問いを立てる
諸説あるものの、今から800年前、鎌倉時代(1200年)に当時有数だった京都の公卿というやんごとなき家系に生まれた道元は、幼少期より「利なること文殊の如し」といわれるほどに才も豊かであったという。
しかし、3才の頃に父であった内大臣久我通親、8才にして母であった摂政関白藤原元房の女伊子と、幼い頃に両親を亡くしたことをきっかっけに早くも世の無常を悟り、道心を起こし14才の頃に当時日本の日本仏教のメインストリームであった比叡山(天台宗)に出家する。
しかし、比叡山で修学中の道元は
「顕密二教(※)ともにに談ず、本来本法性天然自性身、と。
もしかくのごとくならば、三世の諸仏なにによりてかさらに発心して菩提を求めるや」
※"顕教は釈尊が人々の性質や機根に応じて説いた教えを言語文字の上で明らかに説いた経典、密教は顕教の対でその教えの真実・究極の教えは秘密に説かれ、文章上の表面からは計り知れないものとする秘術"(道元「宝慶記」全訳中/講談社学術文庫/大谷哲夫
〜仏教においては人は生まれながら仏というが、それならなぜ私たちは仏になるために修行などするのだ?〜という仏教の根本的なところに問いを立てる。
1+1=2と分かっているのになぜ、わざわざ1+1を求めるのか?というくらいに普通ならそんなところに問いを立てないところに純粋に疑問を持ったのは慧眼というべきか、変態というべきか。
あるいは、その仏教の教えに何も疑問を抱かずに受容している人たちからすれば、非常に面倒くさいことを言う奴だったかもしれないし、、あるいはアタリマエを覆すようなラディカルな思想として危険視した人もいたことは想像がつく。
そこから、道元が真の道を求め、師を尋ねる旅が始まっていく。
つづく