アメリカ大統領選について考えた3つのこと
さて、今日はアメリカの大統領選挙について考えてみたい。最初に断っておくけれど、僕はハリスに当選してほしかったと考えている。しかしトランプが政権に返り咲いたことで、暗黒の時代がはじまったと嘆きあうことで「共感」し合って安心するコミュニケーションには興味が持てない。そしてトランプの当選を利用して、「だからリベラルはダメなんだよ」と後出しジャンケン的に自分を賢く見せるパフォーマンスにはもっと興味が持てない。僕たち日本人がいちばん最初にやるべきは、こういう言説を用いてセルフブランディングを目論む政治家や言論人を正しく軽蔑することだと思う。
その上で、僕がこの1日考えたことは大きく分けて3つある。1つ目はメリトクラシーの問題、ふたつ目は情報プラットフォームの問題(イーロン・マスク問題)、そして3つ目がウクライナとパレスチナの問題だ。
まず1つ目から見ていこう。グッドハートやサンデルの指摘するメリトクラシーを前提とした社会が、「負け組」の尊厳を損なうという問題が軽視されすぎてきたという問題は、いくら強調しても足りないだろう。この点については、2020年の『遅いインターネット』で指摘したとおりだ。
人間は自分が世界に関与し得るという感覚なくして、生きていくことは難しい。そのために、かつての村落共同体に回帰せよとか、都市型の新しい共同体(ちなみに戦後日本でもっとも機能した、しかし耐用年数が切れかかっているそれは「創価学会」だろう)を再構築する、とか何らかの中間的な共同体をベースに人間がアイデンティティを安定させる……という議論が今日(の左右のグローバル資本主義批判の文脈においては主流だろうが、僕はどちらもあまり現実的ではないと考えている。僕はやはり、「個人」という単位で考えるべきだと思う。ではどうするか……というのが来月出版される『庭の話』なのだけれど、自著の宣伝はAmazonのページができてからにしようと思う。付記しておくならグッドハートやサンデルのメリトクラシー批判が軽視できないのは、彼らが「働く」という回路を相対的に重視しているからでもある(僕は彼らの主張そのものには同意しないが)。
そして2つ目が、やはりSNSの問題だ。前述した、暗黒の時代を嘆きあうことで「共感」し合って安心するコミュニケーションで「共感」を広げ、安心する人々も「だからリベラルはダメなんだよ」と後出しジャンケン的に自分を賢く見せるパフォーマンスに夢中になる人々も、明らかにSNSによってこうした承認の獲得が「安価に」「速く」なっている、つまり「コスパが良く」なっていることにより、歯止めがかからなくなっている。実のところ、社会の「分断」の主因はむしろここにあると僕は思う。と、いうかこの問題のために、歯止めがかけられるものがかけられなくなっているという理解だ。ポイントはこの種の卑しい人は以前からいた……というか、共同性に接続して承認を獲得するために、思考を放棄してしまうのは人間の習性のようなものなので、実はそれ自体を批判しても仕方がないのだけれど、情報技術の進化によりこの回路が肥大していることの弊害は、きちんと対応しないといけないというのが僕の立場だ。
そしてここに加わるのが「イーロン・マスク問題」だ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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