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メディアの「中の人」は自分たちが人を殺すことのできる武器を手にしているにもかかわらず責任を問われない環境にいることに自覚的になって欲しいという話
話題の「リハック」で配信された、立憲民主党の米山隆一議員とひろゆきさんの対談を観た。いわゆる「ひろゆき話法」による誤魔化しの空疎さと卑劣さに批判が集まっているようだけれど、僕から特に付け加えることはない。ただ、リハックの高橋弘樹さんには頭の硬い古巣(テレビ東京)の上層部に対する「(よりいいコンテンツを作ることでの)ポジティブな復讐」を果たすことで、世界を面白く盛り上げてもらいたいと僕は思っているで、これを機会に人を貶めて数字を稼ぐような、この国のテレビバラエティ文化の卑しい側面とは手を切ってもらったらいいと思う。
いろいろ言われているけれど、この国の「テレビ」文化の培ってきた手法を応用すれば、まだこんなにおもしろいことができるのだ、ということを証明するのが彼の使命だと僕は勝手に思っている。
さて、この件で思い出したので(直接は関係ないが)今日は前々から思っていたことを書こうと思う。それは端的に言うと、僕はこの国のメディア人は出版からテレビまでもう少し現代的な「モラル」というものに敏感になったほうがいいということだ。
ジャニー喜多川による性加害問題を、テレビ業界の少なくない人たちが知っていて、実質的に黙認していた可能性が極めて高いことは読者もよく知っていると思う。とんでもない話だと僕は思うのだけれど、「なんとなく」やっていると自然とそうなってしまう「業界」なのは僕も新聞社や出版社やテレビ局とある程度仕事をしてきたからよく分かるのだ(だから「ダメだ」という話をこれからするので、誤解しないように)。
結論から述べると(特に古いタイプの)メディアの人は、メディアは「中立」なのだから自分たちが直接被害を受けたのでもない案件については不問にしていい、と考えている。それが今回のジャニーズ事務所の問題にまで大きく「炎上」すると慌ててダメージコントロールに入るのだけれど、もっと小さな事件はほとんどスルーしている。この辺のモラルは基本的に麻痺しているというか、むしろそれが「フェアなメディア人の条件」なのだと思っている人も多いと思う。しかし、僕はいい加減それじゃダメなんじゃないかと思う。自明かもしれないけれど、これからその理由を書くし、どうすれば変わっていけるのかも僕なりに考えてみたい。
以前ある高名な男性小説家が若手女性作家に痴漢的な行為を働いたのを、老舗文芸誌の編集者が黙認(消極的な支持)をしていたことが問題になっていたが、このレベルのことは少し前までは当たり前のように、そしていまでもそれなりに起きている。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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