「リジェネレラティブ」をめぐる問題は「緑色」をしていない(赤く血塗られている)
今日は午前中から落合陽一さんと「リジェネレーション」を掲げたイベントに登壇してきた。この種のイベントの午前中に、まったく空気を読まずに考えていることを話す僕たちをキャスティングするあたりに主催側の「クリエイティブな意地悪さ」を感じたのだけど、おかげでいい話ができたと思う(ありがとうございました)。
これは、おそらく僕たちをキャスティングした企画者も考えていたことなのだと思うが、実はこの種の「リジェネレーション」や「サスティナブル」を掲げたイベントはほとんど「擬似問題」しか話していないのがヤバいと思う。
一般的なイメージとは裏腹に、こういった話は「ちゃんと考えれば」あまりキラキラしたストーリーにはならない。たとえば絶対にさけて通れないのは、途上国の経済発展(貧困の撲滅)の地球に与える負荷を、先進国が何かをガマンして支える、という話だ。そして本来ならここに再分配をめぐるジレンマが加味される。要するに経済はグローバルだが、国家はローカルでしかない。再分配は国家が行う(しか、今のところはない)ので、ここに生まれるのは端的に戦争リスクだ。要するにグローバル資本主義の恩恵に預かれるエリート(再分配をしてほしくない)は、国家を自分についているタグくらいしか思っていない。しかしそうではない大半の人びとのうち、かなりの割合が能力や成果と無関係に共同体からの承認を得られる「政治」に、それも敵を貶めて味方を称えるタイプの行為に依存するようになるだろう。すでにブレグジットやトランプ現象として顕在化しているように、グローバリゼーションに対するアレルギーは反応してネーション(共同体としての国家幻想)に回帰していく。そして、その次のステージに待っているのは「戦争」であることも半ばすでに証明されているようなもので、ここをだましだましダメージコントロールしながら、どう構造的な問題(要するにグローバルな市場で発生する格差はローカルな国家の再分配で埋めることには限界がある……)に手当するかを考えないといけない。こうして、おそらくは(ウクライナとパレスチナはおそらく「序章」にすぎず、この後に続く想像したくもないもろもろの結果として……)昔、小沢一郎が主張していたような「国連主義」みたいな議論がシリアスな課題として浮上するだろう。
しかし、少なくとも国内のこういった「リジェネレーション」とか「サスティナビリティ」とか看板にしがちなイベントは、昆虫食とか再生エネルギーとか、そういう補助金が付きそうなきれいな話ばかりをしすぎだ。いや、昆虫食や再生エネルギーならまだマシなのだけど、以前僕が登壇した他のイベントではもっとやばいものが目白押しだったこともある。
そこでは平気で「ブロックチェーンで贈与経済を復活」みたいなハートフルな外見だけ整えて実態は「無」な(ロクに「村八分問題」や「監視社会問題」も検討されていない)構想がロマンチックに語られたりしていた。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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